バイク旅の報告も少し。「温泉にでも入れたら。後は、気ままに」。
それだけを思って北に向かったのです。まず、たどり着いたのは、東
京から100キロ程はなれた宇都宮。
走っている間に目についたのは、閉鎖されたガソリンスタンドとファ
ミリーレストラン。「構造不況」の象徴だ。法律にがんじがらめでセル
フ販売が禁止されていたガソリン。それは「解禁」になった途端、ビジ
ネスの構造が以前とはまったく違うものになってしまった。
ファミリーレストランも同じ。「晴れの日の食事」の提供というスタン
スで開始されたビジネス。「晴れの日の食事」というニーズは、まだ
あるものの真空パックにつめられた食材を皿に盛り、画一的なサー
ビスしか提供できないアルバイトが出す「晴れ」に、みんな客単価
1000円を超える金額を誰もが出せなくなってしまった。
悲しいのは、この店に勤務した人達。特に、家族を抱えた父親は
つらかったであろう。彼のがんばり、器用さ、努力、がまん・・・、す
べてが水泡に帰してしまった。私は、彼らのがんばりを信じる。だけ
ど、こういう時の子どもを抱えた母親には冷静な判断はなかなかで
きない。多くの家族が「最後の分岐点」でわかれを経験したのだと
思う。
人生を歩いて行く事は簡単ではない。自分ではどうにもならない試
練がやってくる事もある。ならば、日々の生活の中にある「ちょっとし
たつらさ」やハードワークに耐えられないようでは生きていく事さえ難
しい。そんな甘えは、無縁のものにしなければって、走りながらまじに
なった。「閉鎖になった店舗」の数は、それは夥しいものだった。
そして、宇都宮市街へ。あの斉藤和義さんも歌ったオリオン通りは歩
く人も少なく閑散としている。「ジャズの街」という匂いもなく、音楽の匂
いをかぎ回ってみつけたのは「宮フォーク村」の看板。ここで、最近の
宇都宮の状況でも聞こうかとビルに入ったが店主さんの都合で休業中
のご様子。作戦を変更して、宇都宮からほど近い足利に向かった。
変更した作戦とは、ローグのゆかりの地、「前橋」に行く事。そして、
足利の温泉に入っている時、高知のきくちゃんから清志郎さんについて
の情報が入った。
路上音楽情報紙「ダダ」編集発行人・青柳文信
追記・斉藤和義さんの地元の近くの日光街道沿いにもハード・オフ店が
あった。彼も実家に帰ってあまりにも暇だと、あの店のギターをひやかし
たりするのだろうか(笑)。