私の「現代の名工」の件.
多くの方から祝いの言葉を頂きました。
誠にありがとうございます。
分不相応であることは自分自身で理解しております。
「分相応」と言われるように精進いたします。
さて「現代の名工」の授賞式は東京は早稲田の「リーがロイヤルホテル東京」でありました。
その内容は・・・・と言っても官製の式ですので、特に余興や派手な演出がある訳でなく粛々と行われました。
しかし私にとって嬉しかったことは会場に行くのに「高田馬場駅」で降りたことです。
振り返れば43年前、大学進学を「しない」と宣言し、高校3年時に東京のホテル学校の面接に出かけたのです。
そして卒業し、1977年の4月から2年間、高田馬場駅から約10分の道のりを歩いて通学。
懐かしい風景も残り、しかし、変わってしまったなあ、という部分もあり・・・
東京へは何百回と出掛けていますが、実は高田馬場は卒業以来でした。
なんか嬉しかったですね。
「18歳の僕ちゃん」を思い出しました。
次に機会があれば住んでいた練馬(石神井)に出かけてみたいと思います。
樋口誠
多くの方から祝いの言葉を頂きました。
誠にありがとうございます。
分不相応であることは自分自身で理解しております。
「分相応」と言われるように精進いたします。
さて「現代の名工」の授賞式は東京は早稲田の「リーがロイヤルホテル東京」でありました。
その内容は・・・・と言っても官製の式ですので、特に余興や派手な演出がある訳でなく粛々と行われました。
しかし私にとって嬉しかったことは会場に行くのに「高田馬場駅」で降りたことです。
振り返れば43年前、大学進学を「しない」と宣言し、高校3年時に東京のホテル学校の面接に出かけたのです。
そして卒業し、1977年の4月から2年間、高田馬場駅から約10分の道のりを歩いて通学。
懐かしい風景も残り、しかし、変わってしまったなあ、という部分もあり・・・
東京へは何百回と出掛けていますが、実は高田馬場は卒業以来でした。
なんか嬉しかったですね。
「18歳の僕ちゃん」を思い出しました。
次に機会があれば住んでいた練馬(石神井)に出かけてみたいと思います。
樋口誠