9月に入っても、暑い日が続いている。。。
身内のことだが、実は、この3月に、尊敬する兄が急死した。
オイラが今、ウクレレやスチールギターを弾いている原点は、全て兄だった!
そんな大きな存在の兄が、突然脳溢血で急死した。。
原点が、亡くなった。。。
あまりのショックで、ウクレレやハワイアンを聴くのがつらくなった。。
身内でないと、分からないかもしれないが、、、、楽器を弾くのは、
「泣きたいけど、笑え!」って感じなんだよね。
4月の、横浜のスチールギタールネッサンスを兄と一緒に行こうと、約束していたのに。。
その後、、ウクレレサークルでの活動は、そんなことは言っていられない、、から
何とか、活動は続けたが、つらい時期でしたね。
兄の訃報から、半年、、何とか最近は、ハワイアンも聴けるようになってきた。
そんな中、今日は、毎年挙行されている、ヨコハマ・ハワイアンミュージック・アカデミー主催の
年一回あるウクレレコンサートが、テアトルフオンテであるので、行ってきました。
こういうイベントに行くのは、そんなわけなので、久しぶりです。
12時開場、12時半開演、、なので、少し早めに出かけて、最寄りの駅、いずみ中央(相鉄)で
昼食をした。オイラには珍しく、モスバーガー&コーヒーね。
時間は、11時半前。。
会場時間前に、受付前に来たら、知人のGさんご夫妻に声をかけられた。
同時に、私の知らない方だったが、Gさんの知人殿も同席された。
話をしている中で、スチールギターをやられている方だったので、共通の
話題が、沢山ありました。名刺交換したが、新たにスチールの知人ができました、、Kさん。
さて、開演時間の12時半をすぎたので、着席する。司会進行は、網島美和子さん。
主催者さんの方のご挨拶の後のトップは、アカデミー全出演者のアンサンブル。
おお、今年は、マヒナスターズだね。
愛して愛して愛しちゃったのよ、泣かないで。
なんと、前列は、全てスチールギターでした。
こんな光景は、他では、まずないでしょう。
続いて、YHMAバンド(ヨコハマ・ハワイアンミュージック・アカデミー)。
先程の全出演者の前列スチール9人衆がそのまま、、すごい豪華なバンドだ。
以下は、プログラム通り、詳細は、省略します。
皆さん、お上手ですねえ、特にマイクの使い方が。。
ブログ仲間の、apelilaさん。個人の他、2つのグループでも活動されてます。
10分間の休憩の後、第二部へ。
おお、尚吾君、大きくなりました。親子演奏ですね。
ここで、10分間の休憩後、ラストの第3部に入ります。
ANEGOGUMI、、
最後は、アオラニ、、左のスチールさんは、普段は、ベースの名手、新たな挑戦、、
素晴らしいです、オイラも逆に、スチール→ベースやってみようかな。。
最後は、先生バンド「カニカピラ」の演奏です。
オープニングは、hawaii calls、、、一気にハワイムードいっぱい、、ですね。
12時半から、5時までの長時間でしたが、毎度のことながら
あっという間に、終わってしまいましたね。
久しぶりの演奏会、、兄急死のショックは、まだありますが、少し前向きになれました。
ハワイアンバンドでスチールやられてる事は聞いていましたので、さぞ残念な事でしょう。
いつの間にか自分もそれなりの年齢になり、訃報に接することが多くなってます。
出来るだげ、長く元気に余生を楽しみたいと思ってます。
また今年も記事にしていただき、感謝しております。
4月のスチルネにいらしていなかったので、どうなさったのかなと思っていたのですが、お兄様がご逝去されていたとは、心よりお悔やみ申し上げます。
いつぞやのスチルネで、お兄様と並んでご覧になってましたよね。
私たちの発表会がすこしでもお気持ちが楽になる助けになったら、幸いです。
これからもYHMAを応援していただけると嬉しいです。
自分が、ウクレレやスチールに興味を持ったのは全て兄の影響です。世間でよく、兄弟、姉妹で同じことやってる、、その典型ですね。どうしても楽器を弾くと、兄を思い出してしまうのです。。でも、先日の皆様の演奏を聴かせて頂き、元気もらいました。いつまでもクヨクヨしないで、前向きに、、、頑張ります!ありがとうございます。
コメントありがとうございました。
お兄様の御逝去、お悔み申し上げます。
父は大阪生まれ、京都育ちでしたので、昔の京都の写真が沢山あり、父を思い出します。これからも京都からの発信楽しみにしています。気が向いた時にでも、ここにご訪問下さい。月に2,3回の更新ですが。ありがとうございました。
私の周囲も訃報に接する事が多くなりました。自分なりに健康に気をつけて過ごしていきたいと考えています。合掌
兄弟をなくしたのは、初めてです。父母とは、違う喪失感がありますね。父母は、親なので、心のどこかで覚悟はしていたんでしょうけど、兄弟となると、全くの想定外だったことも影響しているのでしょう。兄は、自分の楽器の原点でした、、を失い、未だボーとしています。簡単には、克服できないですね。