社会科学上の不満

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原理主義者だった昭和天皇

2015-06-28 00:00:35 | 社会常識と教育

 明治の元勲、大久保利通や木戸孝允は靖国神社に祀られていない。靖国神社はあくまでも「戦死者」を祀る神社である。

 昭和天皇の侍従長だった富田氏が残した「富田メモ」が公開されて、昭和天皇が「『東条だけでなく白鳥や松岡までも』と嘆かれ、その後靖国への参拝を辞められた」みたいな記事が世間を沸かせた。

 原理主義者だった昭和天皇にとって、この「戦死者を祀る」と言う大原則は、如何に東条英機を信頼されていても譲れない一線であった。

 内務省で件の富田氏の後輩の方(以下B氏と称す)から、この「富田メモ」が公開される2年ほど前に、「富田氏が生前、『戦死者でない者がなぜ靖国に』と陛下がそう仰せられた」と言う話をお聞きしていた。その為、この「富田メモ」が公開された時違和感はなかった。

 「東条総理や白鳥イタリア大使、松岡外務大臣は、政治家や外交官として処刑されたのであり、「戦死」ではない。それが昭和天皇のお考えだったのでは」と富田氏の内務省時代の後輩のB氏からお聞きした。

 1978年に俗に言うA級戦犯が靖国に合祀されてから、昭和天皇は靖国に参拝されなくなった。1975年の参拝を最後に昭和天皇は靖国に行かれていない。

 当時の靖国神社神官であった筑波氏は、東条英機の子飼いの一人だったそうだ。当時東条家の窮乏に心を痛められ、昭和天皇が戦後初の外遊中にこのA級戦犯と言われる方々を靖国に合祀したそうだ。これにお怒りなった昭和天皇はその後靖国参拝を辞められたそうである。靖国に合祀されれば「戦死者」となり窮乏していた東条英機夫人に「戦死者としての軍人恩給」が出される。「戦死者」となれば陸軍大将ではなく陸軍元帥としての軍人恩給(戦死者は倍)の支給となる。これは筑波神官の個人的な東条家への恩返しでしかない。

 また富田氏は昭和天皇が「国政に口を挟まないのが『立憲君主制』での君主であると言う原則論を貫かれた」とB氏にお話されたと言っておられた。ご自分の外遊中に靖国にこのA級戦犯と称される「戦死でない方」を合祀された事に昭和天皇はかなりお怒りだったそうだ。この筑波神官の姑息さにお怒りだったそうだ。東条英機に対する信頼とこの原理原則とは全く別なものと言うことのようだ。

 現在の靖国問題の根本がそんな個人的な俗事が原因と話を聞いた時は驚いた。このB氏がまだご存命の内に色々と昭和史の裏話をお聞きしたい。B氏のご指示でお名前は明かせないが、私のBlogのネタ元のお一人である。

 このB氏の功績もBlogに載せたいのであるが「自分が死んでからにしてくれ」と釘を刺されているので残念である。

コメント (1)
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