木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

連合赤軍の時代

2021年02月11日 | Weblog

東京医師会会長尾崎氏の兄は連合赤軍事件の関係者?
ネットを検索していたらそんな記事が引っかかって来た。
私は「木もれ日」という個人誌を20018年まで出していて、2000年に連合赤軍事件について書いたのだが、確か尾崎と言う青年は榛名山のアジトで最初に総括と言う名の「リンチ」で死亡させられたはずだが、と思って久しぶりに冊子を引っ張り出して確かめてみた。
実は尾崎は二人いて、革命左派という毛沢東主義の組織のメンバーだった尾崎康夫は栃木県真岡市の銃砲店から銃を奪って車で逃走中検問にかかり逮捕されてしまい、アジトに集結できなかった。この人がどうやら尾崎会長の兄のようだ。
しかしもう一人尾崎充男は山岳アジトで最初にリンチ死させられている。
今から50年前、青年達は新左翼、その中でも赤軍派という暴力革命を目ざした組織に惹かれて行った人達がいた。
尾崎は赤軍派ではないが、山にアジトを作りそこから出撃していって交番を襲うという組織のメンバーだった。
警察に捕まってそれ以上の罪を犯すことから免れた尾崎とリンチ死させられた尾崎。
最終的に追いつめられた連合赤軍は「あさま山荘」で警察機動隊と銃撃戦を行う。
1972年ちょうど冬の札幌オリンピックの最中だった。
最終的に逮捕され収監された彼等。裁判を受け主犯格の永田洋子は病気のため獄中死。
あさま山荘で銃撃戦を行った坂口弘は現在も獄中。短歌を友としている。
共にあさま山荘で警察と向き合った坂東国男は超法規でアラブに渡った。吉野正邦は無期懲役を言い渡されたが、仮釈放されているのではないか?
メンバーの植垣康弘は刑期を終え、バーを経営しながらマスコミにも時々登場する。
青年時代は苦悩と過ちの時代でもある。オウム真理教に集まった者達も根は同じだと思う

コメント
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