木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

古代より現代のほうが高い男女の間のハードル

2021年05月27日 | Weblog

今日は一日中雨だった。今5時過ぎにはやんだ。

大正から昭和にかけて建てられた住居に郷愁を感じる人が増えているようだ。結婚やその他記念行事の背景にこうした「古民家」を使う。
私は長野市松代でボランティアガイドをしているが、ここ一年はコロナで休止しているが。
山寺常山という江戸時代末期に儒学者として活動した人の子孫が大正時代末期から昭和初期に建てた建物がこうした撮影スポットに使われている。
今の季節は新緑が美しくそんな緑が映える丸窓がある。それを背景に着物姿でポーズを取る。ここを管理している地元の人達が積極的PRしているという。
ここはまず玄関が広い。座敷に上がるとガラス戸はサッシではなく従来のガラス戸。冬は寒いがこれから秋口までは楽しめる。ここをギャラリーとして絵や手芸や書の展示会がよく行われている。
ここではないが、この時代、出窓があってそこに座れるなどいたるところ余裕と遊びがあって居心地にいい住まいだったろう。
中流階級の住まいとして文学や映画に登場して来た。

古代から中世の解放的な性風俗
私はいま「御伽草紙」という平安末期から鎌倉・室町時代にかけての庶民の文学を学んでいるが、実に男女関係が大らか。
明治時代になって、プロテスタント系キリスト教の影響で「一夫一妻制」や配偶者以外の相手との関係を罪とする文化が進んだように思う。
もちろん子供を生み育てる家庭の存在はどの時代でも大切だから「一夫一妻制」は理にかなっているわけだけど。
近代以前は「多産多死」。子供は成人するまで育つのはなかなか難しく、はやり病いでの若者の死もまれではない。
「源氏物語」でも貴族の女性達は光源氏より先に死んでいく。
人に顔を見せないで家の中であまり運動などせずに不健康な生活を送るのだから身体が弱い。そんな身で出産するのだからこの時期に命を落す女性は多かった。そんな現実を物語は反映している。
さて「御伽草子」だが、「ものぐさ太郎」という物語では都に出た太郎が清水寺の前で向こうからやって来たお供を連れた身分の高そうな女性にいきなり求婚するという筋立てになっている。編み笠の前をあげて品定めをし「妻になれ」と迫る。現代ならあり得ない設定だが、しかし少し前までは親が決めた相手と顔も知らずに結婚したという話もあったのですから結婚は気の合った者同士が一緒になるというものではなく、家の存続のためにするものであって、離婚も割合簡単にしたらしい。
現代はそうはいかず「結婚のハードル」は男女ともに高くなっている。わが村では独身の男女が親と同居している例が目立つ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする