東京五輪招致の狂気に鉄槌を。
八日のIOC総会で2020年のオリンピック開催国が決定する。
東京都と日本政府、JOCは東京にオリンピックをと金を引っさげて走り回っているが、福島の原発事故を解決できない日本に世界の人々を集める資格はない。
放射能汚染水はあふれ、海に続々と流れ出し始めている。汚れた海流は地球を何度でも巡って、世界中の海を汚していくだろう。
招致委員長の竹田会長は「東京の放射能汚染は心配ありません」と言った。東京が汚染されていなければそれでいいのか。汚染のために故郷をあきらめ、避難民となっている福島の人達を侮辱し、切り捨てる言葉だと思った。ちなみに東京が汚染されていないとは言えない。
仕事も家も失った人々を置き去りにして東京近辺だけで「お祭り騒ぎ」をするというのか。願わくばIOC委員にほんの少しでいい、理性と正気を持ってもらいたい。
今回最終候補に残った他の二つの都市、マドリッドとイスタンブールも経済危機と政情不安という問題を抱えている。
全く平和と安定がなければ「スポーツの祭典」はできない。
IOCのロゲ会長は「7年後にその都市がオリンピック開催にふさわしいかで判断されなければならない」と意味深な発言をした。
これは3都市すべてに可能性を残した言葉のようでもあるが、一番この課題に答えきれないのが日本であり、東京ではないか。
「体育」と「スポーツ」
スポーツ評論家の玉木正之氏が本来「スポーツ」とは「遊戯」という意味であり、日常から離れ、社会秩序からも離れることだと言っていた。
人間もまた動物と同様、相手を倒し、そして生き延びてきた。だがそうした「闘争」の歴史を経て、暴力を振るわない、傷つけない、殺さないをルール化して、「スポーツ」にすることで、「闘争心」、「競争心」を楽しむことを考えた。
オリンピック選手を輩出してきた天理大の柔道部の上級生が下級生に暴力制裁を行なっていたことが明るみにでた。
柔道もスポーツとしてオリンピック種目に認知されてきたはずなのに、これでは「スポーツ以前」を露呈した。
これをみても日本にオリンピックを招致する資格がないことは明らか。バッドタイミングと言うべきか、はたまたグッドタイミングと言うべきか。
日本では戦前の軍事教練が戦後体力テストに利用されてきた経過があり、軍隊式の「体育」が「スポーツ」と混同された。
大学における「体育会」の体質はそのまま「軍隊」の秩序を受け継いだもので、そこで育ったというか、きたえられ、生き残った者が体育教師や指導者として、高校・中学の運動部の活動で権力をふるってきた。
そういう意味でも日本と日本国民は「五輪招致に失敗」して反省する必要がある。
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