まあそのね、法整備の話はしているし、先日書いた「田中ゆうたろう」という人と比べたら、かなりましかも。
猛烈に税金使って、どうみても利用者の少ないであろう高速道路を地元の足寄町に通しちゃう政治が弱者に寄り添ったものなのか、ということについては甚だ疑問ではありますが、そこは置いといて、ものすごく気になることが。
ムネムネの発言の
「自由主義・民主主義は相手を信用する。性善説が基本になるが、自分の子供を簡単に知らない人に預ける、あまりにも安易なやり方に何とも無神経と言わざるを得ない。」
というところ。(本題じゃなくてすいません)
この、自由主義・民主主義は相手を信用する。性善説が基本になるが、 って何です?(もちろん、「無神経」という言葉はあまりにも無神経な気がするけど。)
性善説なら専制君主だって問題ないですよね。
刑事罰とかいらんでしょ。裁判所もいるかね?
と、ちょっと、大げさに言ってみましたが、このムネムネの発想は何でしょうかね。
少なくとも、民主主義でやっているということは、(控え目に言って、)為政者のことをあまり信用していないということですよ。
ムネムネは、為政者側に対する視点が抜けてるでしょ。
民主主義は、決めるべきことがなかなか決まらないし、とにかく動きが遅いんだけど、それでも採用されているのは、最悪の事態を避けるためですよね。
独裁者が暴走したら、国なんて簡単に終了ですよ。
あるいは、能力のない(あるいは、なくなった)独裁者の側近が、悪い人だったら、それでお仕舞い。
始皇帝の側近の趙高みたいな意味で。
今の安倍政権だと、どうやら側近のほうが偉いようで、なんとかアメリカのご機嫌取って無難に韓国の大統領との会談を迎えようとしている矢先に、萩生田首相特別補佐官が、またなんか言ってますよね。
少なくとも、外交を考えたら、今のタイミングで「新談話の必要性」の話をするのは意味がわからない。
こういうのを止める者がいなくなったら、国なんて簡単に滅びます。
ついでにいうと、「自由主義」が性善説に基づいているという発想は、なんでしょう。ちょっと考えてみました。
そもそも、隣近所に親切で信用できる人がいれば、ネットで預け先を探したりしないんですけれども、それはおいといて。
その昔、「神の見えざる手」あたりの発想は、個人が利己主義に走った結果として、うまいところでバランスがとれちゃうということですよね。
むしろ、性悪説ですよね。
あるいはムネムネは、自由放任のことを言っているのかな。放っておいても、大丈夫というものの考え方みたいな。
ノージックのリバタリアニズムみたいな。ほぼ無政府主義ですけど。
トリクルダウン理論みたいな。
だとしても、おおむね、新自由主義じゃないですかね。
しかし、あまり関係ないようにも思うけど。
ノージックなんかの場合、政府を信用していないということですよね。
リバタリアニズムの極端なところでは、「国家は盗人」という言葉までありますからね。
ようするに、ムネムネの場合、為政者は最初から「善」に決まっているわけですね。
でも一般市民は「善」というわけではないから、政府が規制したりコントロールするんだ、という発想じゃないですかね。
最初に書いたように、田中ゆうたろうという人よりはずっとましだと思います。あの人は、ブラック企業の発想ですから。
しかし、ムネムネの発想は、自民党の改憲案を考えた人たちとあまり変わらないんじゃないだろうか。
「為政者は善である」という意味で。
自分が上から目線になっているということが分からないか、あるいは、それが当たり前になっているので、乙武氏から上から目線でものを言われていると思うんじゃないだろうか。
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