今回の映像作品とクラシック音楽ですが、念願だった黒澤明監督『乱』のサントラ(音楽:武満徹)を入手したので、そのレビューをしたいと思います。
『乱』の音楽についてはこのシリーズの第10回でも少しばかり書きました
重なる部分もありますが、ご容赦くださいませ。
さて『乱』の音楽ですが、サントラで改めて聞くとやはり映画音楽としてはこれが武満徹の最高傑作だという思いを新たにするのです。
しかしサントラCDの構成はなかなか豪快で驚きます
トラックは1つのみ、収録時間は30分程度。
そんなに余白があるなら『どですかでん』の音楽もおまけ収録してくれたらいいのに…などとちょっと思います。
その1つだけのトラックの曲名は
「組曲「乱」」
映画で使われたたぶん全楽曲を一つの組曲のごとく演奏しています。
『乱』の音楽はけっこう場面転換ブリッジ的な小曲も多く、「組曲化」されても取っ散らかった感は否めないのですが、それでも様々な和楽器と、武満風の幽玄なオーケストラが違和感なく組み合わさった音楽世界は、「ノベンバーステップス」をさらに拡大発展させたような邦楽と洋楽の融合した世界を楽しめます。
それもこれも黒澤があちこちイメージとしてマーラーを持ち出したからで、マーラーっぽい曲を書かされた武満の苦労がしのばれます。
曲順は映画での使用順とは異なっております。
まず最初に横笛だけの短い曲から始まりますが、これは次郎の正室・末の方の首がはねられた遺体が挿入される映画でも相当終盤のシーンの曲です。
その後オープニングタイトルシーンの曲になります。のどかな山間で秀虎たちが猪狩りをする映像に合わせて、メインキャスト・スタッフが紹介されていく時の曲です。やがてしげみから飛び出した猪を秀虎が弓で狙う躍動感ある映像に変わり、横笛が力強く奏でられます。
横笛が本作での音楽面での主役で、随所で映画を彩ります。
なかでも末の弟・鶴丸が転がり込んできた秀虎たちに聞かせる、恨みと悲しみのこもった笛の音が一番心に刺さります。もちろんその曲も組曲の中盤にしっかり入っています。
話を戻してメインタイトル曲の後しばらく、主に場面転換用の小曲が続きますが、ところどころにいつもの武満と違うと思わせる曲も顔を出します
秀虎が末の方と会う場面の、明確に悲しみを打ち出した曲です。
武満はあまり感情を込めた曲を書くタイプとは思えず、少し前に書いた『切腹』のような、無情な曲の方が性分に似合っている気がします。しかし、末の方の場面はどれも悲しみがあふれかえっています。
この文章で何度も出した末の方ですが、演じているのは宮崎美子ですが、映画ではアップはほぼなく、末の方の登場シーンは遠巻きなショットばかりです。本当に宮崎美子なの?と疑問に思うくらいでした。何年か前『乱』の4Kリマスター版が劇場で公開されたので見に行きましたが、劇場の大スクリーンでやっと宮崎美子さんの顔を確認できました。映画館で見ることを大前提にした映画作りをしていた方なのですね。黒澤明という監督は。
対して『乱』の女性といえば圧倒的に強烈な存在感を放つのが原田美枝子演じる、一文字太郎の正室・楓の方です。いつも男ばかりな黒澤映画において、これほど女が存在感を放つのは珍しいことです。山田五十鈴や『赤ひげ』の香川京子もかなりの悪女っぷりでしたが、『乱』の原田美枝子が最強だと思ってます。そんな楓の方の場面には音楽はほとんど用意されません。音楽で何らかの強調をすることなく純粋にそのキャラクターの強さのみを感じさせたかったからでしょう
すいません。話がそれました。
組曲「乱」での4番バッター的な曲は、やはり三の城落城シーンの曲なわけです。
以前の記事でも書きましたが、マーラーの大地の歌の第六楽章をイメージした黒澤と、武満が作り上げた名シーンです。
黒澤映画でセリフも効果音もなく、延々と音楽だけが流れるシーンというのは、ないわけじゃないですが、こんなに長い時間のシーンとなると『乱』くらいなのです
あらためてサントラをじっくり聞くと、三の城落城シーンの曲のメロディはわりとあちこちに顔を出していました。横笛の音色を音楽的な縦軸とするなら、落城シーンのモティーフは横軸と言えるでしょうか。
と思ったのですが、その割にその二つが交差する楽曲がないのです。
横笛の素朴な音色を武満的とすれば、オケによる壮大なスケール感の落城のモティーフは黒澤的ってところでしょうか。
決して交わらないが全体で一つの壮大な世界を作るところが、『乱』における黒澤と武満の関係を思わせますってのはもちろん深読みです。
しかしこの作品で黒澤と武満は落城シーンでコーラスを入れるか入れないかで大もめにもめたそうです。武満の作風などお構いなしにマーラーっぽい曲を要求する黒澤に武満はかなり反発したようです。
武満の師匠にあたる早坂文雄もまた黒澤とぶつかりながら、毎度のように黒澤さんとはもう2度とやらないと言って、でも結局遺作が黒澤映画の『生き物の記録』になったりしてたのでした。
武満もあと二つくらいは黒澤映画をやってほしかったと思います。篠田正浩監督や小林正樹監督の武満もいいのですが、黒澤と組んだ2作品が真打ち登場感あると思うんですよね。
組曲にはほかにも、秀虎の葬列を彩るマーラー1番の3楽章っぽい曲も楽しめますし、ラストで鶴丸が城跡で末からもらった観音様の絵姿を落とす場面のこれまた猛烈に悲しみをたたえた横笛の音もつい涙を誘われます。
そしてエンドクレジット曲になるわけですが、落城シーンの曲がもう一回、重々しくも悲しく切なく歌い上げられて終わります。
30分という長さも苦にならない、どころかもっと長く聞いていたいと思わせる名曲です。
他の武満の作品同様、聞き終わると鬱になってしまいそうなどんより曲ですが、それでも武満の純音楽と比べるとどこか華やかさがあるのは、やはり黒澤映画の力なのだと思います。
終わらない戦争、良くならない景気、無くならない差別、盛り上がらない選挙、・・・と、しばらく嫌な世の中が続きそうです。まさに『乱』の終盤で丹後の台詞「言うな!神や仏を罵るな!泣いているのは神や仏だ!何時の世にも繰り返すこの人間の悪行、殺し合わねば生きてゆけぬこの人間の愚かさは、神や仏も救う術はないのだ!」を思い出すご時世ですが、そんな時代にある意味ピッタリな武満徹の音楽をこの機会にぜひ!
それではまた!
素晴らしい映画とクラシック音楽でお会いしましょう!