今年のベスト1にしてもいいんじゃないかってくらい、間違いなく今まで観たあらゆる韓国映画の中で一番面白い映画だった。
詳しくは後で書こう。
しかし今年は映画が豊作だ。
直接的には「プライベート・ライアン」の影響だろう。それ以降のアメリカ製戦争映画全般から影響を受けているとも考えていい。主人公の妻がアカに協力したとして民兵組織によって処刑させられそうになるくだりは、文革を扱った中国の大作映画(シェ・チン、チェン・カイコー、チャン・イーモウらの)がダブって見える。それに香港映画の影響も少なからずあるように感じる(その根拠(ってほどでもないが)はこの映評の最後に記した「俳優について」を参照)。
外国映画の影響もろに受けつつ、もっと面白くアレンジするのが韓国流である。
愛国的戦争賛美映画にも反共プロパガンダ映画にもせず、正義だの平和だの戦争批判だのも脇に押しやって、思想的なメッセージなどかなぐり捨て、歴史の教科書映画にもせず、ドキュメンタリー風でも、崇高な哲学映画でもない。カン・ジェギュ監督は、戦争を舞台にしたヒューマンドラマを作りたかったようだ。ジョン・ウーは戦争映画で友情を描こうとして大失敗していたが、友情や愛みたいなロマンチックな題材ではなく、もう少し現実味のある「家族」を題材にしている。
「ブラザーフッド」はタイトル通り、兄弟愛を描くことに全力集中している。少なくともドラマの奥深さでは「プライベート・ライアン」など軽く超えている。(アクション描写はスピルバーグの方が上だけど)
北が怒涛のごとく攻めこみプサン近くまで押し寄せた序盤。アメリカ中心の国連軍の介入で南がピョンヤンを制圧した中盤。中国の介入で北が国連軍を38度線まで押し戻した終盤。…と史実通りに推移する戦争を背景に、しかし「作戦」とか「ギミック」とか、ともすれば戦争をゲーム感覚に描きかねない要素は必要最小限に留め、ただひたすらに戦争に身を投じた二人の兄弟のドラマを追っていく。
ドラマ中心なので物語が都合よく進んだり、くさい展開になったりもするのだが、そこは大作映画。低予算映画なら批判の対象となるダメ要素を全て味方につけて感動を膨らませている。
先に述べた戦争とか国家とかへの監督なりの熱い思いは、伝えたくなかったわけではなく、戦争を背景に人間を徹底的に描き続ければ自ずと浮かび上がってくるだろう、というそんな姿勢だったのだろう。
やたらと比較するが、スピルバーグの場合は、戦争とか国家とかへの監督なりの熱い思いは激しい戦闘シーンを描き続ければ自ずと浮かび上がってくるだろうという姿勢だったのではないか?
要は戦争映画よりもアクション映画を撮りたかったスピルバーグと、戦争映画よりも兄弟ドラマを描きたかったカン・ジェギュのスタンスの違いが、「プライベート・ライアン」と「ブラザーフッド」という二つの映画を似て異なるものにしているように思う。
物語はまず「あなたのの遺体が発見されました」との報せを受けたイ・ジンソク老人が38度線付近の発掘現場に孫を伴って向うところから始まる。
現代パートはそこで終り、ここからずっと戦争中の物語が展開。ラストはまた現代パートになり遺体が自分と間違えられた理由を老人が知ることになるわけだ。現代で始まり、過去が主舞台となり、現代に戻って終わる、という辺り「プライベート・ライアン」だよな。
物語の主要舞台となる過去のシーン。イ・ジンテとジンソクの仲良し兄弟。兄ジンテは妻と子供がおり、学はなく、弟ジンソクに一家の希望を託している。18歳のジンソクが大学に行けるようにと靴磨きまでして金を稼ぐ。
戦争勃発前の平和な描写。結構くさいが映画は始まったばかり。とりあえず流そう。
やがて戦争となる。疎開中にジンソクが軍隊の強制召集にあい無理矢理前線に送られそうになる。ジンテは弟が戦場に連れていかれないように助けようと軍に掛け合うが、そのジンテも軍につかまり2人で前線に送られる。
(この時2人の母親(聾唖)が2人の乗った前線行き列車を追いかけ続けるシーンがある。この母の姿でいきなり涙ぼろぼろにさせられる)
さて、願わずして戦争に放りこまれた2人であるが、兄のジンテは国家も体制も関心なく、戦争する目的は弟を助けることのみである。
北にソウルも奪われ、全滅必至の戦況。勲章をもらったら弟を除隊させてもいいという師団長の言葉を信じ、兄ジンテは危険な任務に進んで飛びこみ必要以上に勇敢に敵と戦う。
しかし、連隊の中で仲間意識が育まれてきた弟ジンソクは、兄のそんな行動を次第に鬱陶しく思うようになる。
アメリカ軍の上陸で戦況は一転し、ジンテたちの部隊はピョンヤンまで進撃。そのころには兄の心境に変化が生じる。戦争に身を投じ過ぎた彼は戦争の狂気にとりつかれ、人間性を失いかけている。
アカを皆殺しにするという考えにとりつかれ、投降した捕虜の虐殺・虐待にまで進んで乗り出すようになる。弟はそんな兄を憎む。
兄はそうなってもなお、弟と家族を救いたいという思いを決して捨てない。弟にすれば、そこまでして守られる理由がわからない。わからないどころか保ち続けている理性が兄を人間として軽蔑させる。
これは俺の見方だが、兄は戦争の狂気までも一人で背負い込むことにより、弟の命ばかりか人間性まで守ろうとしたのではないか?
そんで戦争は中国の介入でさらに激化。兄弟のドラマもさらに色々あって物語は進んでいくのである。
そういったドラマが壮絶かつ凄惨な戦闘シーンと共に綴られていく。全ての戦闘シーンが並の映画のクライマックスを超える迫力であり、しかもドラマ展開上の重要な位置を占めるため、息つくひまもなく戦争の渦中での兄弟の反目を見つめ続けることになる。
はっきりいって、演出にも脚本にも「技」と呼べるものはなく、全てがストレート。だがこれだけ金をかけ、朝鮮戦争の始まりから終りまでの歴史背景と、激しい戦闘シーンも盛り込み、大抵の女の子なら直視できない血みどろのシーンも多すぎない程度に付けて、2時間30分によくもまとめた。
おまけに兄弟愛の有り方を描ききってラストでは溢れ出す涙を抑えることができない。しかも戦争って何?家族って何?信じるってどういうこと?と様々な問いかけが頭の中で渦巻き、ずっしりとした思いは見終わって数日たっても消えない。
これはもう巨匠の映画としかいいようがないではないか。たかが「シュリ」でちょっと注目され、娯楽アクションが得意らしい程度にしか認識されていなかったカン・ジェギュがこの作品で一気に化けた。
韓国最大のヒットもうなずけるし、韓国映画史に残る傑作であろう。
同じ言葉をしゃべる敵との戦争はそれだけで悲惨さが増す。
アメリカはそういう戦争を独立戦争と南北戦争という大昔の伝説的な戦争を除いては経験していない。アメリカの敵はいつもドイツ語、日本語、ベトナム、アラビア、わけわかんない言語を用いているから感情移入不可能な人格なしの殺戮集団として描くのが容易であった。
しかし「ブラザーフッド」は敵の言葉がすべてダイレクトに理解できる同じ民族同士の戦争である。敵はとち狂った殺戮生物ではなく、れっきとした人間である。
そんな敵を撃ち殺すのだから、アメリカ兵が様々な戦争で感じたであろう良心の呵責よりもさらに激しいものに襲われただろう。おまけに、こないだまで友達だった奴が敵にいたり、味方だった兵が敵についたり。人々は疑心暗鬼の塊となり、同朋を碌に調べもせず処刑してしまうような狂気にも発展していく。
この重さはアメリカ映画にはない。明治以降そうした戦争を経験していない日本人も恐らく考えつかない。
たった50年前に同じ民族同士で殺し合い、しかもいまだ分断されている朝鮮半島の人間だからこその映画という気がする。民族分断の歴史の重さを実感させられる。
最後、俳優について。
兄ジンテを演じたチャン・ドンゴンであるが…この男、その容貌がとてもとても…ユンファ似である。丸顔とか大きな目とか髪型もなんとなく…
しかも命をかけて弟を守る兄貴…ユンファが得意そうな役柄ではないか。そんで全力で演技するその芝居もやっぱユンファ系。
アジアの男は熱いっていうより、あの系の顔は熱いってことだろうか。なんにせよチェ・ミンス以来の、俺を熱くさせる韓国俳優と出会ってしまった。
弟ジンソクを演じたウォンビンは、役柄的には若き日のレスリーなんだが、容貌は女性ファンの増えそうなアイドル顔ってわけでもなく、微妙に濃い。だがこいつも若くして超大作の主演となったことをバネに、これから大きく飛躍していくだろう。
イ・ビョンホンっていいわあって言うミーハーはほっといて、ハン・ソッキュもどうでもよくて、チャン・ドンゴンとウォンビン、朝鮮戦争を戦い抜いたこの2人に今後は要注意。
詳しくは後で書こう。
しかし今年は映画が豊作だ。
直接的には「プライベート・ライアン」の影響だろう。それ以降のアメリカ製戦争映画全般から影響を受けているとも考えていい。主人公の妻がアカに協力したとして民兵組織によって処刑させられそうになるくだりは、文革を扱った中国の大作映画(シェ・チン、チェン・カイコー、チャン・イーモウらの)がダブって見える。それに香港映画の影響も少なからずあるように感じる(その根拠(ってほどでもないが)はこの映評の最後に記した「俳優について」を参照)。
外国映画の影響もろに受けつつ、もっと面白くアレンジするのが韓国流である。
愛国的戦争賛美映画にも反共プロパガンダ映画にもせず、正義だの平和だの戦争批判だのも脇に押しやって、思想的なメッセージなどかなぐり捨て、歴史の教科書映画にもせず、ドキュメンタリー風でも、崇高な哲学映画でもない。カン・ジェギュ監督は、戦争を舞台にしたヒューマンドラマを作りたかったようだ。ジョン・ウーは戦争映画で友情を描こうとして大失敗していたが、友情や愛みたいなロマンチックな題材ではなく、もう少し現実味のある「家族」を題材にしている。
「ブラザーフッド」はタイトル通り、兄弟愛を描くことに全力集中している。少なくともドラマの奥深さでは「プライベート・ライアン」など軽く超えている。(アクション描写はスピルバーグの方が上だけど)
北が怒涛のごとく攻めこみプサン近くまで押し寄せた序盤。アメリカ中心の国連軍の介入で南がピョンヤンを制圧した中盤。中国の介入で北が国連軍を38度線まで押し戻した終盤。…と史実通りに推移する戦争を背景に、しかし「作戦」とか「ギミック」とか、ともすれば戦争をゲーム感覚に描きかねない要素は必要最小限に留め、ただひたすらに戦争に身を投じた二人の兄弟のドラマを追っていく。
ドラマ中心なので物語が都合よく進んだり、くさい展開になったりもするのだが、そこは大作映画。低予算映画なら批判の対象となるダメ要素を全て味方につけて感動を膨らませている。
先に述べた戦争とか国家とかへの監督なりの熱い思いは、伝えたくなかったわけではなく、戦争を背景に人間を徹底的に描き続ければ自ずと浮かび上がってくるだろう、というそんな姿勢だったのだろう。
やたらと比較するが、スピルバーグの場合は、戦争とか国家とかへの監督なりの熱い思いは激しい戦闘シーンを描き続ければ自ずと浮かび上がってくるだろうという姿勢だったのではないか?
要は戦争映画よりもアクション映画を撮りたかったスピルバーグと、戦争映画よりも兄弟ドラマを描きたかったカン・ジェギュのスタンスの違いが、「プライベート・ライアン」と「ブラザーフッド」という二つの映画を似て異なるものにしているように思う。
物語はまず「あなたのの遺体が発見されました」との報せを受けたイ・ジンソク老人が38度線付近の発掘現場に孫を伴って向うところから始まる。
現代パートはそこで終り、ここからずっと戦争中の物語が展開。ラストはまた現代パートになり遺体が自分と間違えられた理由を老人が知ることになるわけだ。現代で始まり、過去が主舞台となり、現代に戻って終わる、という辺り「プライベート・ライアン」だよな。
物語の主要舞台となる過去のシーン。イ・ジンテとジンソクの仲良し兄弟。兄ジンテは妻と子供がおり、学はなく、弟ジンソクに一家の希望を託している。18歳のジンソクが大学に行けるようにと靴磨きまでして金を稼ぐ。
戦争勃発前の平和な描写。結構くさいが映画は始まったばかり。とりあえず流そう。
やがて戦争となる。疎開中にジンソクが軍隊の強制召集にあい無理矢理前線に送られそうになる。ジンテは弟が戦場に連れていかれないように助けようと軍に掛け合うが、そのジンテも軍につかまり2人で前線に送られる。
(この時2人の母親(聾唖)が2人の乗った前線行き列車を追いかけ続けるシーンがある。この母の姿でいきなり涙ぼろぼろにさせられる)
さて、願わずして戦争に放りこまれた2人であるが、兄のジンテは国家も体制も関心なく、戦争する目的は弟を助けることのみである。
北にソウルも奪われ、全滅必至の戦況。勲章をもらったら弟を除隊させてもいいという師団長の言葉を信じ、兄ジンテは危険な任務に進んで飛びこみ必要以上に勇敢に敵と戦う。
しかし、連隊の中で仲間意識が育まれてきた弟ジンソクは、兄のそんな行動を次第に鬱陶しく思うようになる。
アメリカ軍の上陸で戦況は一転し、ジンテたちの部隊はピョンヤンまで進撃。そのころには兄の心境に変化が生じる。戦争に身を投じ過ぎた彼は戦争の狂気にとりつかれ、人間性を失いかけている。
アカを皆殺しにするという考えにとりつかれ、投降した捕虜の虐殺・虐待にまで進んで乗り出すようになる。弟はそんな兄を憎む。
兄はそうなってもなお、弟と家族を救いたいという思いを決して捨てない。弟にすれば、そこまでして守られる理由がわからない。わからないどころか保ち続けている理性が兄を人間として軽蔑させる。
これは俺の見方だが、兄は戦争の狂気までも一人で背負い込むことにより、弟の命ばかりか人間性まで守ろうとしたのではないか?
そんで戦争は中国の介入でさらに激化。兄弟のドラマもさらに色々あって物語は進んでいくのである。
そういったドラマが壮絶かつ凄惨な戦闘シーンと共に綴られていく。全ての戦闘シーンが並の映画のクライマックスを超える迫力であり、しかもドラマ展開上の重要な位置を占めるため、息つくひまもなく戦争の渦中での兄弟の反目を見つめ続けることになる。
はっきりいって、演出にも脚本にも「技」と呼べるものはなく、全てがストレート。だがこれだけ金をかけ、朝鮮戦争の始まりから終りまでの歴史背景と、激しい戦闘シーンも盛り込み、大抵の女の子なら直視できない血みどろのシーンも多すぎない程度に付けて、2時間30分によくもまとめた。
おまけに兄弟愛の有り方を描ききってラストでは溢れ出す涙を抑えることができない。しかも戦争って何?家族って何?信じるってどういうこと?と様々な問いかけが頭の中で渦巻き、ずっしりとした思いは見終わって数日たっても消えない。
これはもう巨匠の映画としかいいようがないではないか。たかが「シュリ」でちょっと注目され、娯楽アクションが得意らしい程度にしか認識されていなかったカン・ジェギュがこの作品で一気に化けた。
韓国最大のヒットもうなずけるし、韓国映画史に残る傑作であろう。
同じ言葉をしゃべる敵との戦争はそれだけで悲惨さが増す。
アメリカはそういう戦争を独立戦争と南北戦争という大昔の伝説的な戦争を除いては経験していない。アメリカの敵はいつもドイツ語、日本語、ベトナム、アラビア、わけわかんない言語を用いているから感情移入不可能な人格なしの殺戮集団として描くのが容易であった。
しかし「ブラザーフッド」は敵の言葉がすべてダイレクトに理解できる同じ民族同士の戦争である。敵はとち狂った殺戮生物ではなく、れっきとした人間である。
そんな敵を撃ち殺すのだから、アメリカ兵が様々な戦争で感じたであろう良心の呵責よりもさらに激しいものに襲われただろう。おまけに、こないだまで友達だった奴が敵にいたり、味方だった兵が敵についたり。人々は疑心暗鬼の塊となり、同朋を碌に調べもせず処刑してしまうような狂気にも発展していく。
この重さはアメリカ映画にはない。明治以降そうした戦争を経験していない日本人も恐らく考えつかない。
たった50年前に同じ民族同士で殺し合い、しかもいまだ分断されている朝鮮半島の人間だからこその映画という気がする。民族分断の歴史の重さを実感させられる。
最後、俳優について。
兄ジンテを演じたチャン・ドンゴンであるが…この男、その容貌がとてもとても…ユンファ似である。丸顔とか大きな目とか髪型もなんとなく…
しかも命をかけて弟を守る兄貴…ユンファが得意そうな役柄ではないか。そんで全力で演技するその芝居もやっぱユンファ系。
アジアの男は熱いっていうより、あの系の顔は熱いってことだろうか。なんにせよチェ・ミンス以来の、俺を熱くさせる韓国俳優と出会ってしまった。
弟ジンソクを演じたウォンビンは、役柄的には若き日のレスリーなんだが、容貌は女性ファンの増えそうなアイドル顔ってわけでもなく、微妙に濃い。だがこいつも若くして超大作の主演となったことをバネに、これから大きく飛躍していくだろう。
イ・ビョンホンっていいわあって言うミーハーはほっといて、ハン・ソッキュもどうでもよくて、チャン・ドンゴンとウォンビン、朝鮮戦争を戦い抜いたこの2人に今後は要注意。