名台詞のオンパレードだった「ローレライ」の中でもインパクトの高かった台詞「君はドストエフスキーの『罪と罰』を読んだかね?」by堤真一
その堤真一にえらそうに「罪と罰」の講釈をたれる笹野高史・・・堤さんの顔が苦笑してるように見えた。
「フォーガットン」「フライトプラン」に続くなんじこりゃ大作。
何から書こうか・・・
セットはけっこう金かかってて、闇市のシーンとかエキストラもわんさかいて、大作っぽいゴージャス感は感じられる。しかし満州での戦闘シーンは申しわけないけどちょっと笑ってしまった。多分、カメラが大沢たかおの背後に廻れば、もの凄い数のソ連軍が映ったのだろうが、カメラはひたすら大沢たかおの正面から、彼の姿を撮り続ける。
機関銃を撃ちまくる大沢たかお!!膨大な数(推定)のソ連軍が撃ち返す銃弾!!
こっちには数千人のソ連兵がいると思って演技してくださああい!!と指示が飛んでいたのだろう。
しょぼ・・・・
ひょっとしてイーストウッドみたく、大沢たかおの向こう側のソ連軍視点の映画を連作で撮るのかもしれない
<以下、かなりネタバレですので、未見の方は読まないでくださいな>
にしても、この映画ほど、フェミニストたちから猛反発を喰らいそうな映画も珍しい。
男たちのあまりに勝手な生き方が印象深い。
一番気になるのは妻の扱いだ。母とはよく話し合い、子供とはキャッチボールするが、妻には何の愛情も示さない主人公。
愛人がいるんだから当然かもしれないが、彼の父親もまた妻はひっぱたくが、愛人には愛情をたっぷり注ぐ。
しかも都合良く愛人死亡。女は男の幸せのため命を投げだす。
私を生んだ人の幸せと、私が愛する人の幸せをはかりにかけていいか?などと聞く愛人だが・・・命を投げ出せば主人公が本当に幸せになるとでも思ってたのだろうか?そんなんで女を殺すストーリーを考えた人とは友達になれない気がする。
だいたい愛人は、自分を身ごもっている母親もろとも階段から転げ落ちるという、ダブル蒲田行進曲を実行する前に、それにより自分ばかりか母親の命も危険にさらすということを少しでも考えたのだろうか?まるでサイコな殺人者じゃないか
で、男たちはのうのうと生き残るが、それなりに天寿を全うするわけで、妻と愛人がひたすら可哀想であった。
そんなこんなで、マダムクニコさんあたりなら腹の底から嫌悪しそうな本作であるが、ここまでダメダメだとあきらめモードで苦笑しながら観る私である。
一眠りするたびに昭和の昔へトリップする主人公。何故か愛人まで一緒にトリップしちゃうわけだが、一体なんでさ??と思っていたら、なんと愛人は主人公の腹違いの妹だったのだ。なんだ!!だからか!!!っっっってちょっと待てよ。そもそも堤真一がトリップする理由が全く判らんちゅうねん。
トリップした先の服装は、基本的にはトリップ直前の本人たちの服装が受け継がれるっぽい。
だとしたら主人公と愛人のセックスシーンの後、2人が服を着て昭和39年にトリップしてるのはなんでだろ?しかも微妙にネクタイなしでボタンがはだけてたりして、事が終わって服を着替え始めたところでトリップしたのだろうか?
主人公はスーツ姿のまま寝てしまった時にばかりトリップしてたが、普通にパジャマとか着てる時、満州のソ連の大軍との戦場に飛ばされたらどうしてたんだろう。その場合ソ連軍の隊長には「奴は裸足だ。ガラスを撃て」とか言ってほしい。演じるのはロシア人じゃないけどアラン・リックマンで。あ、アレキサンダー・ゴドノフってロシア系じゃん・・・
そういえば、レニー・ハーリンの「エルム街の悪夢4」を思い出したぞ。あれは夢の中に現れるフレディと戦うため女の子が完全武装で眠りにつくのだ。そこまでしろとは言わないけど、せめて旧札とドル紙幣を忍ばせて寝るくらいの機転は利かしてほしかったなあ・・・
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
その堤真一にえらそうに「罪と罰」の講釈をたれる笹野高史・・・堤さんの顔が苦笑してるように見えた。
「フォーガットン」「フライトプラン」に続くなんじこりゃ大作。
何から書こうか・・・
セットはけっこう金かかってて、闇市のシーンとかエキストラもわんさかいて、大作っぽいゴージャス感は感じられる。しかし満州での戦闘シーンは申しわけないけどちょっと笑ってしまった。多分、カメラが大沢たかおの背後に廻れば、もの凄い数のソ連軍が映ったのだろうが、カメラはひたすら大沢たかおの正面から、彼の姿を撮り続ける。
機関銃を撃ちまくる大沢たかお!!膨大な数(推定)のソ連軍が撃ち返す銃弾!!
こっちには数千人のソ連兵がいると思って演技してくださああい!!と指示が飛んでいたのだろう。
しょぼ・・・・
ひょっとしてイーストウッドみたく、大沢たかおの向こう側のソ連軍視点の映画を連作で撮るのかもしれない
<以下、かなりネタバレですので、未見の方は読まないでくださいな>
にしても、この映画ほど、フェミニストたちから猛反発を喰らいそうな映画も珍しい。
男たちのあまりに勝手な生き方が印象深い。
一番気になるのは妻の扱いだ。母とはよく話し合い、子供とはキャッチボールするが、妻には何の愛情も示さない主人公。
愛人がいるんだから当然かもしれないが、彼の父親もまた妻はひっぱたくが、愛人には愛情をたっぷり注ぐ。
しかも都合良く愛人死亡。女は男の幸せのため命を投げだす。
私を生んだ人の幸せと、私が愛する人の幸せをはかりにかけていいか?などと聞く愛人だが・・・命を投げ出せば主人公が本当に幸せになるとでも思ってたのだろうか?そんなんで女を殺すストーリーを考えた人とは友達になれない気がする。
だいたい愛人は、自分を身ごもっている母親もろとも階段から転げ落ちるという、ダブル蒲田行進曲を実行する前に、それにより自分ばかりか母親の命も危険にさらすということを少しでも考えたのだろうか?まるでサイコな殺人者じゃないか
で、男たちはのうのうと生き残るが、それなりに天寿を全うするわけで、妻と愛人がひたすら可哀想であった。
そんなこんなで、マダムクニコさんあたりなら腹の底から嫌悪しそうな本作であるが、ここまでダメダメだとあきらめモードで苦笑しながら観る私である。
一眠りするたびに昭和の昔へトリップする主人公。何故か愛人まで一緒にトリップしちゃうわけだが、一体なんでさ??と思っていたら、なんと愛人は主人公の腹違いの妹だったのだ。なんだ!!だからか!!!っっっってちょっと待てよ。そもそも堤真一がトリップする理由が全く判らんちゅうねん。
トリップした先の服装は、基本的にはトリップ直前の本人たちの服装が受け継がれるっぽい。
だとしたら主人公と愛人のセックスシーンの後、2人が服を着て昭和39年にトリップしてるのはなんでだろ?しかも微妙にネクタイなしでボタンがはだけてたりして、事が終わって服を着替え始めたところでトリップしたのだろうか?
主人公はスーツ姿のまま寝てしまった時にばかりトリップしてたが、普通にパジャマとか着てる時、満州のソ連の大軍との戦場に飛ばされたらどうしてたんだろう。その場合ソ連軍の隊長には「奴は裸足だ。ガラスを撃て」とか言ってほしい。演じるのはロシア人じゃないけどアラン・リックマンで。あ、アレキサンダー・ゴドノフってロシア系じゃん・・・
そういえば、レニー・ハーリンの「エルム街の悪夢4」を思い出したぞ。あれは夢の中に現れるフレディと戦うため女の子が完全武装で眠りにつくのだ。そこまでしろとは言わないけど、せめて旧札とドル紙幣を忍ばせて寝るくらいの機転は利かしてほしかったなあ・・・
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