「わたしは、ダニエル・ブレイク」
100点[100点満点中]
まぎれもないケン・ローチの最高傑作にして、この10年を代表する一本にもなるであろう、映画史的傑作と俺は信じる。
泣ければ名作という考えには賛成しないが、労働を禁じられた労働者ダニエル・ブレイクの怒りの叫びに、俺は共感の怒りとともに、随所で熱い涙を流し、感動しすぎてヤバいやつみたいになってしまった!
イギリス映画といえば、「王室もの」と「ロックでパンクなキレキレ系」とともに世界に誇る確固たるジャンルがある。そう「左翼映画」
こういうレッテルはいけないのかもしれないけど、「貧しい労働者頑張る映画」においてなぜかイギリスは世界の先進国だ。ほぼ毎年その系の佳作が作られ何年かおきにすごい傑作が出てくる。「ブラス!」「フルモンティ」「リトルダンサー」「パレードにようこそ」
そんなイギリス左翼映画界の巨匠ケン・ローチが、左翼映画の真打ちとも言える作品を世界に叩きつけた
カンヌのパルムドールまでとって、大ベテランがまさかの新たな代表作を作ってしまった
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オープニング
真っ暗な映像の中、市民と役人(本当は役人でなく役所から委託された民間)の会話が聞こえてくる
男が障害者保険の申請をしているが、マニュアル対応の役人に話が通じない
男は心臓に病があり医者から働くことを禁止されたこと
男は言葉が粗暴で映像がなくても、いわゆるインテリではない人なんだとすぐわかるが、一方でユーモアがあり、遠慮なく思いを言葉にする、頑固オヤジであることもわかる
一方受付の女性は完全なマニュアル対応で、男の切実な思いは一切伝わらない
映像を伴わないこのオープニングだけで、この映画の目指すものが、目に見えてくる
システム化された社会に対する、本来はシステムの一部なんかではない生の人間の反抗だ。
規則、法律、ルール、数字、電子データetcよりも人と向き合え、それこそがケン・ローチがこの映画を作らずにはいられなかった理由だ
彼のモチベーションの源は怒りだ
面白い映画に必要なものってなんだ、ストーリー?映像?いやいや、センスオブワンダーだ、などとよく言われるし、多くの場合はその通りだろう。
けれど「私はダニエル・ブレイク」にセンスオブワンダーはあるか?否!この映画に映画的革新性などない!映画を次のステージに進めるような斬新さなど、ストーリーにも映像にも演出にも技術的にも 芸術的にも何もない!
にもかかわらず!この映画には他を圧倒するエネルギーがある
世の不条理に対する映画作家である前に人としてこみ上げる怒りだ!
ついに怒りを爆発させた主人公ダニエル・ブレイクのやったことなどただの落書きにすぎない
だがその落書きは、人間の魂が、魂なきシステムを信奉する社会に対する、唾のはきかけなのだ。「狼たちの午後」のアル・パチーノの演説シーンを彷彿とさせつつ、それよりもはるかに人間としての魂の震えをかんじさせる。
ああ、思えば映画的センスオブワンダーとやらなどかけらもないのに感動したシーンなんてたくさんある
例えば「独裁者」のラストのチャップリンの演説。ただ喋るだけのほぼフィックスワンカットのシーン。そんなの映画じゃない。けどその演説の内容は人類史に残る名演説であり、それがフィルムの中のチャップリンによって語られる映画的事件。
最近だと「終の信託」のクライマックス、座って喋るだけのほぼバストショット切り返しのみの40分。映画でいちばんやっちゃいけない演出と思うようなそれをやりながら1秒たりとも緊張感の途切れない映画的確信犯な奇跡
もちろんこれらの映画はそのシーンの前までのセンスオブワンダーな場面の連続があるからこその、終盤の無演出による非映画的シーンが生きるのはわかる
けど、要は言いたいのは、映画に一番強く作用するのは作り手の純粋な思いなのだ
人を人とも思わない社会に対する怒りと、今これを映画にして言わなくてはならないという監督ケン・ローチの使命感が、「わたしは、ダニエル・ブレイク」という奇跡の傑作を産んだのだ。
人々よ、人と向き合え。きちんと話を聞け。そして話し合え。
こんな極めて単純なことを、映画にしてまで言わねばならない今の社会はなんなんだ!
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結局、右も左もない。人が人として生きられない窮屈な世界で暮らす人たちへの愛や憐憫の段階はとっくに終わった。声をあげよう!戦おう!と
無理矢理政治的発言ぶっこむと自民党型上からの政治はこうした社会を徐々に作っていく
やはり希望は下からの改革にある。(いま「希望」って言葉は政治的な意味で使いたくないんだけど。胸糞悪いから)
俺たちの思いを行動に変えることだけが社会を改善する道なんだ
じゃあ、俺にできることってなんだろう?ケン・ローチと同じ。その思いを伝えるために映画を撮ろうと、そんなことを決意させてくれた巨匠ケン・ローチに感謝
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涙なしで見れないシーン
・若いお母さんが、思わず援助品の缶詰開けて中のソースを飲んでしまうシーン
・ダニエル・ブレイクが亡き妻のことを最高にイカれた女だったよと悪態をつきながら思い出を語るシーン
・で、やっぱり「I, Daniel Blake」と魂の落書きをするシーン!大興奮!あの「サー・ダニエル・ブレイク!」と叫ぶホームレスも最高
・ラストシーンももちろんのこと
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「わたしは、ダニエル・ブレイク」
2017/3/26 新宿武蔵野館にて鑑賞
監督:ケン・ローチ
出演:デイヴ・ジョンズ、ヘイレイ・スクワイアズ
100点[100点満点中]
まぎれもないケン・ローチの最高傑作にして、この10年を代表する一本にもなるであろう、映画史的傑作と俺は信じる。
泣ければ名作という考えには賛成しないが、労働を禁じられた労働者ダニエル・ブレイクの怒りの叫びに、俺は共感の怒りとともに、随所で熱い涙を流し、感動しすぎてヤバいやつみたいになってしまった!
イギリス映画といえば、「王室もの」と「ロックでパンクなキレキレ系」とともに世界に誇る確固たるジャンルがある。そう「左翼映画」
こういうレッテルはいけないのかもしれないけど、「貧しい労働者頑張る映画」においてなぜかイギリスは世界の先進国だ。ほぼ毎年その系の佳作が作られ何年かおきにすごい傑作が出てくる。「ブラス!」「フルモンティ」「リトルダンサー」「パレードにようこそ」
そんなイギリス左翼映画界の巨匠ケン・ローチが、左翼映画の真打ちとも言える作品を世界に叩きつけた
カンヌのパルムドールまでとって、大ベテランがまさかの新たな代表作を作ってしまった
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オープニング
真っ暗な映像の中、市民と役人(本当は役人でなく役所から委託された民間)の会話が聞こえてくる
男が障害者保険の申請をしているが、マニュアル対応の役人に話が通じない
男は心臓に病があり医者から働くことを禁止されたこと
男は言葉が粗暴で映像がなくても、いわゆるインテリではない人なんだとすぐわかるが、一方でユーモアがあり、遠慮なく思いを言葉にする、頑固オヤジであることもわかる
一方受付の女性は完全なマニュアル対応で、男の切実な思いは一切伝わらない
映像を伴わないこのオープニングだけで、この映画の目指すものが、目に見えてくる
システム化された社会に対する、本来はシステムの一部なんかではない生の人間の反抗だ。
規則、法律、ルール、数字、電子データetcよりも人と向き合え、それこそがケン・ローチがこの映画を作らずにはいられなかった理由だ
彼のモチベーションの源は怒りだ
面白い映画に必要なものってなんだ、ストーリー?映像?いやいや、センスオブワンダーだ、などとよく言われるし、多くの場合はその通りだろう。
けれど「私はダニエル・ブレイク」にセンスオブワンダーはあるか?否!この映画に映画的革新性などない!映画を次のステージに進めるような斬新さなど、ストーリーにも映像にも演出にも技術的にも 芸術的にも何もない!
にもかかわらず!この映画には他を圧倒するエネルギーがある
世の不条理に対する映画作家である前に人としてこみ上げる怒りだ!
ついに怒りを爆発させた主人公ダニエル・ブレイクのやったことなどただの落書きにすぎない
だがその落書きは、人間の魂が、魂なきシステムを信奉する社会に対する、唾のはきかけなのだ。「狼たちの午後」のアル・パチーノの演説シーンを彷彿とさせつつ、それよりもはるかに人間としての魂の震えをかんじさせる。
ああ、思えば映画的センスオブワンダーとやらなどかけらもないのに感動したシーンなんてたくさんある
例えば「独裁者」のラストのチャップリンの演説。ただ喋るだけのほぼフィックスワンカットのシーン。そんなの映画じゃない。けどその演説の内容は人類史に残る名演説であり、それがフィルムの中のチャップリンによって語られる映画的事件。
最近だと「終の信託」のクライマックス、座って喋るだけのほぼバストショット切り返しのみの40分。映画でいちばんやっちゃいけない演出と思うようなそれをやりながら1秒たりとも緊張感の途切れない映画的確信犯な奇跡
もちろんこれらの映画はそのシーンの前までのセンスオブワンダーな場面の連続があるからこその、終盤の無演出による非映画的シーンが生きるのはわかる
けど、要は言いたいのは、映画に一番強く作用するのは作り手の純粋な思いなのだ
人を人とも思わない社会に対する怒りと、今これを映画にして言わなくてはならないという監督ケン・ローチの使命感が、「わたしは、ダニエル・ブレイク」という奇跡の傑作を産んだのだ。
人々よ、人と向き合え。きちんと話を聞け。そして話し合え。
こんな極めて単純なことを、映画にしてまで言わねばならない今の社会はなんなんだ!
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結局、右も左もない。人が人として生きられない窮屈な世界で暮らす人たちへの愛や憐憫の段階はとっくに終わった。声をあげよう!戦おう!と
無理矢理政治的発言ぶっこむと自民党型上からの政治はこうした社会を徐々に作っていく
やはり希望は下からの改革にある。(いま「希望」って言葉は政治的な意味で使いたくないんだけど。胸糞悪いから)
俺たちの思いを行動に変えることだけが社会を改善する道なんだ
じゃあ、俺にできることってなんだろう?ケン・ローチと同じ。その思いを伝えるために映画を撮ろうと、そんなことを決意させてくれた巨匠ケン・ローチに感謝
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涙なしで見れないシーン
・若いお母さんが、思わず援助品の缶詰開けて中のソースを飲んでしまうシーン
・ダニエル・ブレイクが亡き妻のことを最高にイカれた女だったよと悪態をつきながら思い出を語るシーン
・で、やっぱり「I, Daniel Blake」と魂の落書きをするシーン!大興奮!あの「サー・ダニエル・ブレイク!」と叫ぶホームレスも最高
・ラストシーンももちろんのこと
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「わたしは、ダニエル・ブレイク」
2017/3/26 新宿武蔵野館にて鑑賞
監督:ケン・ローチ
出演:デイヴ・ジョンズ、ヘイレイ・スクワイアズ