個人的評価: ■■■■■□
[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]
イーストウッドのために「ミリオンダラー・ベイビー」と「父親たちの星条旗」の脚本を書き、監督デビュー作「クラッシュ」でアカデミー作品賞を獲り、瞬く間に現代アメリカを代表する映画人に駆け上ったポール・ハギス。そして本作を観て、まさに今こそがポール・ハギスの旬なんだと感じた。
「たしかに世の中は悪い。しかし世の中のせいにして悪いことする奴はもっと悪い」
うろ覚えだが、黒澤明の「野良犬」での三船敏郎の台詞である。
本作は「世の中のせいだという自覚すら与えずに悪いことする人間を生む世の中はもっと悪い」と現代アメリカを憂いているような物語であった。
「まあ、あんな事件のことは早く忘れるんだな。いや、自然に忘れるさ。次から次へと起こる事件を追いかけてるうちにな。」
これもうろ覚えだが「野良犬」の志村喬の台詞である。
しかしトミー・リーは決して忘れることはないだろう。あの時息子に何か言ってやっていれば、もっと早く息子のヘルプシグナルに気付いていれば・・・と、生きてる限りその後悔をかかえていくのである。
ポール・ハギスの「クラッシュ」は人種差別を題材にした群像劇であった。しかし声高に人種差別はいけないよと叫ぶ映画とは違った。信条に反して人種差別に加担してしまう人や、異人種を救う差別主義者を描くことで、信念や善悪を無意味なものとする社会または大都市の仕組みを描いていた。
本作では社会とか都市とかいった実体のあるようでないものを対象とはせず、もっと明確な事件「イラク戦争」を持ち出し、それによって歪められた人々の心の闇を描く。
善悪の概念も倫理観も破壊された人々を描くわけだが、外部から闇雲に戦争批判をするだけの浅はかさも忘れていない。
戦争を批判するシャリーズ・セロンが逆に戦場を知るものから言い返される場面がそれを象徴している。
何よりも重いのは、父親が捜査の果てに息子の悪事を知るところである。
父親は正しく息子を育て、息子も父を信じて生きて、そして皆がその場その場で正しいと思える事をしていたが、戦争によって少しずつ歪められた人々はついに最悪の結果に行き着く。間違っている事にすら気付かせない社会を憂いて、ラストは逆さまの星条旗が翻る(ラストの星条旗が映されるまでの「わかりきっているのに的タメ」がちょい余計に感じたが)。
と、こうして書くとくそ真面目な社会派サスペンスのようだが、本作では「クラッシュ」に薄かったユーモアが随所にいい感じで溢れている。
傍若無人なトミー・リーを見るのは何度目だろうか。重いテーマをかろうじてトミー・リーの豪快キャラが救っている。みんなが触れて欲しくない部分をあえてかき回すキャラの面白さに、ついニヤニヤさせられる。
本作のトミー・リーにイーストウッドのキャラがダブって見えても来る。トミー・リーを「許されざる者」くらいのころのイーストウッドに置換えてもしっくりきそうなくらい、主人公キャラはイーストウッドっぽかった。
子供に本をよんで聞かせる任務を言いわたされた直後のトミー・リーの、「苦手だな、やりたくねーな、なんで俺が・・・」みたいな表情をする場面など、本来はイーストウッドのために書かれた場面のように感じた。
(しかしイーストウッドと宇宙に飛んだ元スペースカウボーイズ、トミー・リーもやはりイーストウッド流男道の免許皆伝者であった。イーストウッドに負けず劣らずそのシーンが様になっていた。)
自らは老いて、社会は変わり、それでも昔ながらの自己流を貫いて、巨大な組織にへつらうことなくワンマンで事件を追う主人公。
まあイーストウッドなら捨て台詞の一つも吐いて悪党を撃ち殺すところだが、さすがにハギス脚本・監督のトミー・リーはそこまでしない。逆さの星条旗を掲げてスクリーンからアメリカSOSを世界に訴えるのである。
真面目さとユーモアとがうまくブレンドされた本作は、娯楽性を兼ね備えた社会派ドラマとしては「クラッシュ」以上の完成度になっている(脚本構成の巧さは「クラッシュ」の方が上だが)
21世紀に入ってからトミー・リー・ジョーンズにハズレがあっただろうか
いい企画に恵まれ、いい作家たちに恵まれ、本作では久々のアカデミー賞候補にもなり、トミー・リー・ジョーンズにとっても今が旬の時期でもあるのかもしれない(今さらだが)。
ポール・ハギスとトミー・リー・ジョーンズ。二つの旬が重なり、とってもいい作品として結実したように感じる。
********
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]
イーストウッドのために「ミリオンダラー・ベイビー」と「父親たちの星条旗」の脚本を書き、監督デビュー作「クラッシュ」でアカデミー作品賞を獲り、瞬く間に現代アメリカを代表する映画人に駆け上ったポール・ハギス。そして本作を観て、まさに今こそがポール・ハギスの旬なんだと感じた。
「たしかに世の中は悪い。しかし世の中のせいにして悪いことする奴はもっと悪い」
うろ覚えだが、黒澤明の「野良犬」での三船敏郎の台詞である。
本作は「世の中のせいだという自覚すら与えずに悪いことする人間を生む世の中はもっと悪い」と現代アメリカを憂いているような物語であった。
「まあ、あんな事件のことは早く忘れるんだな。いや、自然に忘れるさ。次から次へと起こる事件を追いかけてるうちにな。」
これもうろ覚えだが「野良犬」の志村喬の台詞である。
しかしトミー・リーは決して忘れることはないだろう。あの時息子に何か言ってやっていれば、もっと早く息子のヘルプシグナルに気付いていれば・・・と、生きてる限りその後悔をかかえていくのである。
ポール・ハギスの「クラッシュ」は人種差別を題材にした群像劇であった。しかし声高に人種差別はいけないよと叫ぶ映画とは違った。信条に反して人種差別に加担してしまう人や、異人種を救う差別主義者を描くことで、信念や善悪を無意味なものとする社会または大都市の仕組みを描いていた。
本作では社会とか都市とかいった実体のあるようでないものを対象とはせず、もっと明確な事件「イラク戦争」を持ち出し、それによって歪められた人々の心の闇を描く。
善悪の概念も倫理観も破壊された人々を描くわけだが、外部から闇雲に戦争批判をするだけの浅はかさも忘れていない。
戦争を批判するシャリーズ・セロンが逆に戦場を知るものから言い返される場面がそれを象徴している。
何よりも重いのは、父親が捜査の果てに息子の悪事を知るところである。
父親は正しく息子を育て、息子も父を信じて生きて、そして皆がその場その場で正しいと思える事をしていたが、戦争によって少しずつ歪められた人々はついに最悪の結果に行き着く。間違っている事にすら気付かせない社会を憂いて、ラストは逆さまの星条旗が翻る(ラストの星条旗が映されるまでの「わかりきっているのに的タメ」がちょい余計に感じたが)。
と、こうして書くとくそ真面目な社会派サスペンスのようだが、本作では「クラッシュ」に薄かったユーモアが随所にいい感じで溢れている。
傍若無人なトミー・リーを見るのは何度目だろうか。重いテーマをかろうじてトミー・リーの豪快キャラが救っている。みんなが触れて欲しくない部分をあえてかき回すキャラの面白さに、ついニヤニヤさせられる。
本作のトミー・リーにイーストウッドのキャラがダブって見えても来る。トミー・リーを「許されざる者」くらいのころのイーストウッドに置換えてもしっくりきそうなくらい、主人公キャラはイーストウッドっぽかった。
子供に本をよんで聞かせる任務を言いわたされた直後のトミー・リーの、「苦手だな、やりたくねーな、なんで俺が・・・」みたいな表情をする場面など、本来はイーストウッドのために書かれた場面のように感じた。
(しかしイーストウッドと宇宙に飛んだ元スペースカウボーイズ、トミー・リーもやはりイーストウッド流男道の免許皆伝者であった。イーストウッドに負けず劣らずそのシーンが様になっていた。)
自らは老いて、社会は変わり、それでも昔ながらの自己流を貫いて、巨大な組織にへつらうことなくワンマンで事件を追う主人公。
まあイーストウッドなら捨て台詞の一つも吐いて悪党を撃ち殺すところだが、さすがにハギス脚本・監督のトミー・リーはそこまでしない。逆さの星条旗を掲げてスクリーンからアメリカSOSを世界に訴えるのである。
真面目さとユーモアとがうまくブレンドされた本作は、娯楽性を兼ね備えた社会派ドラマとしては「クラッシュ」以上の完成度になっている(脚本構成の巧さは「クラッシュ」の方が上だが)
21世紀に入ってからトミー・リー・ジョーンズにハズレがあっただろうか
いい企画に恵まれ、いい作家たちに恵まれ、本作では久々のアカデミー賞候補にもなり、トミー・リー・ジョーンズにとっても今が旬の時期でもあるのかもしれない(今さらだが)。
ポール・ハギスとトミー・リー・ジョーンズ。二つの旬が重なり、とってもいい作品として結実したように感じる。
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トミー・リーもイーストウッド(「トゥルー・クライム」)も、小さな子供に手をやきながらも、まんざらではないシーンは、お茶目で好きです!
「野良犬」の音の悪さはたしかにひどく、大学の後輩は「コルトがなきゃブローニングでやってるさ」という台詞を長い間「コルトがなきゃ包丁でやってるさ」だと信じていました。
それはともかく、ヒューマニズムに明るい希望を見出した「野良犬」のころの日本より、人間性ズタズタにされどんどん腐っていく今のアメリカの方が救いが無いなと感じました