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マーラー交響曲の楽曲別感想 8番、大地の歌、9番

2017-11-16 08:50:20 | クラシック音楽

【8番 「1000人の交響曲」】
最初から最後まで歌詞によって埋め尽くされる。それでも「交響曲」と呼ぶ。マーラー本人が交響曲と言ってるんだから仕方ない。
なんでも歌声や歌詞ですらも楽器の一部だと考えてのことらしい
声はともかく歌詞が楽器ねぇ・・・天才の考えることは良くわからん
どのみち日本人の私にはドイツ語の歌詞は全く意味が入ってこないので、単純に美しい声とオーケストラのハーモニーを楽しむ
副題の「千人の交響曲」とは、大編成のオケと大編成のコーラス諸々で初演には900と何十人だかの人が必要だったのでちょいと大きく出て「1000人の~」としたという
1000人必要とは、なんとも主催者泣かせの楽曲だ。そうか1000人で演奏か、すげーなーと思いつつ、よくよく読むと、劇場スタッフも入れて1000人・・・なんかだまされた気もする。
いやいやスタッフなしで成り立つ公演など決してありませんからね、はい、感謝してます、はい
それに20世紀初頭ってことは録音スタッフもテレビスタッフもネット配信スタッフもいなかっただろうから、いまならもっと膨れ上がるんだろうな~~
マーラー本人もこんな壮大な曲今まで聴いたことない!!!!とかなり興奮しながら作曲したそうであるが・・・・
個人的にはあんまのれんな~
 
5番に話を戻すと5番の第一楽章の中盤にジョン・ウィリアムズっぽいところがあって、もっと具体的に言うと「帝国の逆襲」の雲の都市での戦闘シーンの曲の一部と似たところがあり、それまでずっと‪ジョン・ウィリアムズ‬はチャイコフスキーの影響が強いと思ってきたけど、もしかしてマーラーの影響も強いのかもしれない・・・と思った。
そして8番の第一部で、「シンドラーのリスト」のテーマそっくりなメロディのとこがあって、5番で感じた‪ジョン・ウィリアムズ‬への影響説もまんざら外れちゃいないのではと、思ってます


CDは現在進行形の巨匠の1人のワレリー・ゲルギエフによる2009年録音を購入。超最近のやつ。
いや実はゲルギーが聴きたかったのではなく、ロンドン交響楽団のマーラーが聴きたかったのだ
先の‪ジョン・ウィリアムズ‬云々の話のつながりで、ウィリアムズ⇒スター・ウォーズ⇒ロンドン響、だからきっとロンドン響とマーラーはハマると勝手に思ったのである
もっとも俺が好きなロンドン響って映画音楽全盛の80年代なので、だいぶスタイル変わっちゃってるけどね~
あのころの景気よく鳴るブラスと厚みあるストリングスと主張強い木管群はどれもだいぶおとなしくなったな~
でもコーラスとオケの渾然一体となった響きはスターウォーズで言えばエピソード1や3を髣髴とさせるかっこよさがあり、やっぱり名門の響きだの~と、そこは満足
ゲルギ―さんの評価は自分の中では保留中。この人のブラームスがあったら聞いてみたいなー

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【大地の歌】
マーラーは「9番」を書くのを恐れていた
ベートーベン、ブルックナー、ドボルザークといった人たちが9番を書いて死んでいる。
俺も9番書いたら死ぬんじゃないか・・・
その恐れからこの9番目の交響曲にはナンバーを振らなかった。でも完成して初演してまだピンピンしていたので、やった!9番の呪いをかわしたぞ、してやったりだ!!と思ったらしい
ところがその後に作った10番目の交響曲である、第9番が遺作となってしまう。なんという運命ナンバーなんだろう、No.9
それはともかく「大地の歌」は8番に続いての「歌もの」である。8番が合唱主体だったのに対して「大地の歌」は独唱主体
奇数楽章は男性独唱、偶数楽章は女性独唱
必然的に歌手の好みがこの曲の評価を大きく左右すると思われる
自分の場合買ったCDが良くなかったのか、どうにもあまり魅力を感じない曲だった


買ったCDは、伝説的名指揮者と呼ばれたカルロス・クライバーのまだ若いころ1967年のウィーン交響楽団での演奏版である
これがモノラルで、ノイジーで、高音は割れてるし
いや、そういう録音はフルトヴェングラーで慣れてるけれども、1967年といえばカラヤンだったらとっくにステレオでかなりいい音のレコードを作っていた時期なわけで、それでこの音なんだから、もしかしてこのアルバム非正規盤なんだろうかと疑ってしまう(それこそフルヴェンのアルバムは非正規盤の嵐だから、別にいいんだけど)
よっぽど気に入った曲しか演奏しないという気難し屋のクライバーは、あまりマーラーの指揮者としては有名ではなく、マーラーは得意でも無かったらしい
この大地の歌のアルバムも、やっぱりな、酷評されたらしい
以来彼はマーラーをあまり振らなくなったともいう
誰にでも向き不向きはあるのだ
だからなんとなく「大地の歌」とは自分としては不幸な出会いとなってしまった気がして、いつか別の人のバージョンで再評価してみたい
バーンスタイン?カラヤン?

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【9番】
さっきも書いた通り結局9がマーラーの残した最後の交響曲となってしまった
もっとも未完のまま残された10番があって、マーラー没後だいぶたってから補筆され完成された。それはまだ聴いてません
でもこの9番でなんかマーラーの後期交響曲物語が綺麗に完結したように思えて、個人的には満足しちゃってます
 
2、3、4と独唱を取り入れ、5、6、7で一旦歌を捨てて、8と大地で歌を全面に押し出し、そして9でまた歌を捨てた
 
ベートーベンのイメージで第九っていえばコーラスの付いた荘厳なものを想像しちゃうけど、そういうの第8でやりつくしたマーラーにとって、第9は原点回帰のようでもあるし、新たな境地のようにも思える
第1楽章冒頭から、なんていうかドライなんです。それまでの湿っぽいマーラーでなく。気のせいかジェリー・ゴールドスミスの響きに似て。
第2楽章、こんどはまるでディズニーアニメのBGMみたいな楽しさ。こんなマーラー第1番以来だぞ。
第3楽章。さっきゴールドスミスみたいと言っておきながら、ここではまたまたジョン・ウィリアムズ風。どことなくスターウォーズエピソード7のレジスタンスのマーチに似て。でもそんな戦いの曲ではなく、やはりどこか楽しく楽天的。
そして終楽章。アダージョで締めくくるなんて
こんなに上がって上がって、そして穏やかな気持ちのまま終わるマーラーは今までなかった。
それは何もかも、死も含めて、人生をすべて肯定的に受け入れたマーラーなりの悟りじゃないか、もしくは諦念とか。
なんでか、マーラーに仏教的イメージを重ねてしまう私
あるいは、これがマーラーの第3ステージの始まりだったのかもしれない
小津映画で言えば「秋刀魚の味」みたいな次の展開を色々想像させる遺作
これを最高傑作に推す人が多いのもよくわかる


9番のCDで誰の指揮のを買うかは、最初から決めていた
1番から大地まできいて、この人のマーラーもう一つ欲しい!!って思えた人のを買おう
と言いながら、実は第一番でバーンスタインのマーラーにしびれた時に9割がた決めていた
バースタありきの出来レース。加計ありきのアベシンゾーのようだ
で、問題なのはバースタの残した多くの9番のどれを買うか
バースタがコンヘボを指揮した9番がかなりネットで評価高かったけど、ここはあえてクラシック音楽史的なトピックともいえる、あのバーンスタインがあのベルリンフィルで9番を指揮した時の1979年ライブ録音盤を買う
なんせこのころのベルリンフィルといえば、カラヤンが終身首席指揮者で、カラヤンとベルリンフィルの絶頂期
そしてバーンスタインとカラヤン仲悪い説もあったり、そうかと思えば仲いい説もあったりしたころ

ユダヤ人バーンスタインと、ドイツ人で若気の至りの軽い気持ちとはいえナチスに仮入党申請してしまったカラヤン

移民で元共産党員なバリ庶民のバーンスタインと、貴族階級で生まれつき超セレブなカラヤン

情熱的に踊り狂うように指揮して最後は汗びっしょりのバーンスタインと、目をつぶって優雅にタクトを振るカラヤン

そりゃ仲悪い説も出そうだな

噂によるとバーンスタインのベルリンフィルのマラ9を聴いたカラヤンが、マーラー全集録音を決意したとか、バースタに嫉妬して以来彼をベルリンフィル出禁にしたとか、このへん都市伝説の類なので本気にしなくていいです
一方でカラヤンの亡くなる少し前にバースタとジョイントコンサートやろう、ベルリンフィルで指揮してみるかい?などと勧めたらしいという話もちらほら

なんにせよ、指揮者として完全に正反対なタイプでそれぞれのスタイルで当時世界のツートップだった2人
またマラ9というやつも、いつもの熱ーい指揮では崩壊するような、熱い思いをぐっと飲み込まないと響かないような楽曲なので、その意味ではカラヤン色に染まりきったベルリンフィルに情熱を飲み込んだバースタというのは、以外と良い組み合わせだったか
それでもなんでも全体的に濃く深くじっくりと絞り出すような表現は、バースタのニューヨークフィルには無かったし、終楽章の美しさはベルリンフィルの圧倒的な力のなせる業であろうと思います

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まだ10番買ってないけど
1月から始めた私のマーラー収集、こうし感想かくことでとりあえず一区切り
マーラー大好き!と自信を持って言えるようになった2017年でした!

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