2年前蓼科高原映画祭で「Turn Over 天使は自転車に乗って」(その後「二人日和」と改題)を上映した際、監督の野村恵一、主演の藤村志保、栗塚旭らが、この地で映画を作りたいね、と語ったことから始まった企画ということである。茅野市と蓼科高原映画祭と野村監督らが一丸となって作り上げた作品である。主演は「二人日和」の藤村、栗塚と、新たに沢口靖子が加わる。
若い女と、彼女の父の愛人だった老女と、その老女を思い続けてきた男のドラマが、秋の蓼科の美しい風景をバックに展開される。
藤村志保演じる老女は蓼科に保存されている、かつての小津安二郎監督の別荘「無藝荘」の管理人という設定。ここに小津監督は脚本家の野田高悟とともにこもって脚本を執筆した。晩期の小津作品の脚本が執筆された場所である(小津のカラー作品の脚本はだいたいここで書かれたと思う)。
その藤村演じる管理人が、かつて好きだった男と一度だけ映画を見に行ったことが語られる。タイトルは言ってないが、娘を嫁に出す母の映画と語られているから小津の「秋日和」であろう。終盤、蓼科高原映画祭で上映している「秋日和」を観るシーンがあったりして、映画祭のPRもしっかりしている
蓼科映画祭にはお世話になっているし、地元民として歓迎すべき映画制作プロセスであったりもするので、内容面についての批評の書き進め方について若干公正をかくところがあるかもしれないがご容赦いただきたい。
タイトルといい上記のシーンといい小津へのオマージュで固められた作品かというと、そうでもない。
別にローアングル固定カメラにこだわった演出がされるわけではないし、物語的には小津作品よりむしろベルイマンの「秋のソナタ」なんかを思い出す
蓼科の映像の美しさに藤村志保の落ち着いた喋り方のナレーションがよくマッチしているのだが、自然描写とかナレーションという時点で小津の模倣とは全く異なるものだと考えなければならない。野村監督独自の作品となっている。
ほか面白かったのは、若いカップルの描き方。かわいらしく情欲のかたまりでデリカシーのない者として過度に描写されているように感じる。
少年時代の回想シーンにおけるグラマンの機銃攻撃のシーンも含め、意識的に過剰にしようとしているのだろうか?だとしたら何故だろう。しかしそれらも作品全体の抑制されたトーンの中に埋没し作品の印象には影響を与えない。
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
若い女と、彼女の父の愛人だった老女と、その老女を思い続けてきた男のドラマが、秋の蓼科の美しい風景をバックに展開される。
藤村志保演じる老女は蓼科に保存されている、かつての小津安二郎監督の別荘「無藝荘」の管理人という設定。ここに小津監督は脚本家の野田高悟とともにこもって脚本を執筆した。晩期の小津作品の脚本が執筆された場所である(小津のカラー作品の脚本はだいたいここで書かれたと思う)。
その藤村演じる管理人が、かつて好きだった男と一度だけ映画を見に行ったことが語られる。タイトルは言ってないが、娘を嫁に出す母の映画と語られているから小津の「秋日和」であろう。終盤、蓼科高原映画祭で上映している「秋日和」を観るシーンがあったりして、映画祭のPRもしっかりしている
蓼科映画祭にはお世話になっているし、地元民として歓迎すべき映画制作プロセスであったりもするので、内容面についての批評の書き進め方について若干公正をかくところがあるかもしれないがご容赦いただきたい。
タイトルといい上記のシーンといい小津へのオマージュで固められた作品かというと、そうでもない。
別にローアングル固定カメラにこだわった演出がされるわけではないし、物語的には小津作品よりむしろベルイマンの「秋のソナタ」なんかを思い出す
蓼科の映像の美しさに藤村志保の落ち着いた喋り方のナレーションがよくマッチしているのだが、自然描写とかナレーションという時点で小津の模倣とは全く異なるものだと考えなければならない。野村監督独自の作品となっている。
ほか面白かったのは、若いカップルの描き方。かわいらしく情欲のかたまりでデリカシーのない者として過度に描写されているように感じる。
少年時代の回想シーンにおけるグラマンの機銃攻撃のシーンも含め、意識的に過剰にしようとしているのだろうか?だとしたら何故だろう。しかしそれらも作品全体の抑制されたトーンの中に埋没し作品の印象には影響を与えない。
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