難解な映画を撮る監督という印象の吉田喜重監督の2003年公開作品。本作は筋立てという点に関してはとても判りやすいものの、何故?と問い返したくなる点ではやはり難解である。
この映画を観る前に吉田喜重監督のトークセッションがあり小津安二郎監督の思い出と「父ありき」「東京物語」についての小津の演出方法についての解説を聞いていたので、本作鑑賞時もそのときの話が頭に渦巻いていた。
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女優岡田茉莉子との婚約を発表した吉田喜重はある日岡田を伴って病床の小津を見舞いに行く。岡田は小津の「秋日和」「秋刀魚の味」で好演し小津のお気に入りでもあったから小津は岡田とは良く喋るが、吉田にはほとんど声をかけない。
そして帰り際に小津が吉田にぽつりと話す
「映画はね、ドラマだよ。アクシデントではない。」
この言葉を吐いた小津の真意は今でもわからないが、吉田には強い印象を残し、いつもこの言葉の意味を頭の中で考えながら映画を撮るようになった。
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映画「鏡の女たち」では、祖母、母、娘という主要登場人物3人の口から非常にドラマチックな体験が語られる。祖母は広島で被爆し、その時の防空壕での出来事を語り、また広島で夫を失ったこと、夫の代わりに別の男性を愛し寄り添って生きていったこと。
母は娘を産んだ後家出をする。そして毎月11日に子供を誘拐しその後家に送り届けるという奇行を繰り返す記憶喪失の女性が、失踪した母ではないかとの情報が、祖母と娘に届く。母は社会的身分の高い裕福な男の情婦となってマンションを与えられて暮らしている。
記憶の戻らない彼女だが、唯一かすかに残っている記憶は、昔、自分の娘を荒れた海岸に一人で取り残し殺そうとしたこと
娘は自分に思いを寄せる職場同僚と、海外留学時代に親密になった外国人男性との間で心が揺れている。自分を捨てた母を憎み、母と思われる女性の過去を探す祖母の行動に気乗りしない。しかしその記憶探しの旅は自分自身を探すことであると思い、祖母と母(と思われる女性)とともに、広島に行く
「映画はドラマであり、アクシデント(出来事)ではない」という小津の言葉を反映するかのような、非常にドラマチックな内容である・・・と思わせておきながら、上記のドラマはほとんどが後日談として台詞で語られているにすぎない。映画は2002年という時制からほとんど動かない。回想シーンとして当時を再現することすらしない。わずかに母が幼い娘を置き去りにした荒海のイメージシーンが挿入されるが、それ以外はすべて現在の時制から台詞として喋るのみである。だから映画の中に実際に流れている時間においてドラマはほとんど展開しないしドラマが再現/再構築されることはないのだ。
黒木和男の「父と暮らせば」では戦後まもなくの広島の民家が「再現され」、原爆投下の瞬間の破壊と殺戮をもたらす巨大なきのこ雲もCGで「再現」されていた。(「鏡の女たち」は「父と暮らせば」の前年に公開されているから、黒木和男が再現することを過剰に意識したのかもしれない)
原爆を扱った本作では上記の荒海のイメージショットをのぞき、過去の出来事を再現することを頑なに拒否する。最も印象深いシーンは娘が被爆した米軍捕虜について調べている雑誌記者の女性を訪ねて原爆資料館を訪れるシーン。彼女がふと振り向くと、展示用の巨大なパネルが続々と運び込まれてくる。そのパネルは原爆犠牲者の焼けただれた遺体の写真や、犠牲者の遺品の時計(8時15分で止まった時計)の写真など。それまで語りだけで原爆の恐ろしさを祖母から語られていた娘にとって戦争も原爆も遠い世界のファンタジーのように感じていたかもしれない。セットやミニチュアやCGで原爆投下を再現してもそれは遠い世界の出来事であることに変わりはないだろう。だが写真は原爆投下直後の時間と空間をそのまま切り取ったものであり、現代まで保存されてきた現実である。巨大パネルに貼り付けられた現実を目の当たりにして娘の表情はこわばる。原爆がファンタジーではなくリアルであることを実感した瞬間だったのだろう。
とは言え、それとてそのシーンを要約すれば、「若い娘がパネルを見ている」だけであり、ドラマではなくアクシデントでしかないように思える。
恐らく、吉田監督が言いたかったのはこういうことではないか。
現実世界で生きる我々の実生活においてドラマなどほとんど起こらない。しかし無数のドラマをバックグラウンドにして人間や社会は作られている。積み重ねられたドラマの重みをアクシデントの羅列で表現しているのではないかと思う。
またこの映画では映像への非依存性も何か意味があるのかと勘ぐりたくなる。全編にわたりまるでホームビデオの映像のような、奥行きのない、色彩に乏しい映像。映画とは映像で語るものだ、という常識に挑むかのように、映像に凝らず物語は台詞だけで説明される。
「あえて描かないことにより、描かれていないものに対する観客の想像力を働かせる」そんな逆説的な演出を突き詰めた結果としての本作なのかもしれない。原爆描写が展示パネルの写真以外にないこともその演出論の一貫だと思うが、そもそも映像そのものを提示しないことで、登場人物たちの内面を観客の想像力にまかせようとしたのかもしれない。
そう考えてくるとますますわからなくなるのが、荒波の海岸に取り残され泣き叫ぶ女の子のイメージショットだ。
恐ろしくインパクトのある映像であり、母の心の内面を映像で再現するショットである。
何故か、ここだけが、この「鏡の女たち」という映画のルールに反しているように感じる。何故だろう。何故このようなシーンを入れたのだろう?
秩序だてられた世界に投げ込まれた一粒の異物であるこのシーンは強烈な印象を残す
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この映画を観る前に吉田喜重監督のトークセッションがあり小津安二郎監督の思い出と「父ありき」「東京物語」についての小津の演出方法についての解説を聞いていたので、本作鑑賞時もそのときの話が頭に渦巻いていた。
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女優岡田茉莉子との婚約を発表した吉田喜重はある日岡田を伴って病床の小津を見舞いに行く。岡田は小津の「秋日和」「秋刀魚の味」で好演し小津のお気に入りでもあったから小津は岡田とは良く喋るが、吉田にはほとんど声をかけない。
そして帰り際に小津が吉田にぽつりと話す
「映画はね、ドラマだよ。アクシデントではない。」
この言葉を吐いた小津の真意は今でもわからないが、吉田には強い印象を残し、いつもこの言葉の意味を頭の中で考えながら映画を撮るようになった。
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映画「鏡の女たち」では、祖母、母、娘という主要登場人物3人の口から非常にドラマチックな体験が語られる。祖母は広島で被爆し、その時の防空壕での出来事を語り、また広島で夫を失ったこと、夫の代わりに別の男性を愛し寄り添って生きていったこと。
母は娘を産んだ後家出をする。そして毎月11日に子供を誘拐しその後家に送り届けるという奇行を繰り返す記憶喪失の女性が、失踪した母ではないかとの情報が、祖母と娘に届く。母は社会的身分の高い裕福な男の情婦となってマンションを与えられて暮らしている。
記憶の戻らない彼女だが、唯一かすかに残っている記憶は、昔、自分の娘を荒れた海岸に一人で取り残し殺そうとしたこと
娘は自分に思いを寄せる職場同僚と、海外留学時代に親密になった外国人男性との間で心が揺れている。自分を捨てた母を憎み、母と思われる女性の過去を探す祖母の行動に気乗りしない。しかしその記憶探しの旅は自分自身を探すことであると思い、祖母と母(と思われる女性)とともに、広島に行く
「映画はドラマであり、アクシデント(出来事)ではない」という小津の言葉を反映するかのような、非常にドラマチックな内容である・・・と思わせておきながら、上記のドラマはほとんどが後日談として台詞で語られているにすぎない。映画は2002年という時制からほとんど動かない。回想シーンとして当時を再現することすらしない。わずかに母が幼い娘を置き去りにした荒海のイメージシーンが挿入されるが、それ以外はすべて現在の時制から台詞として喋るのみである。だから映画の中に実際に流れている時間においてドラマはほとんど展開しないしドラマが再現/再構築されることはないのだ。
黒木和男の「父と暮らせば」では戦後まもなくの広島の民家が「再現され」、原爆投下の瞬間の破壊と殺戮をもたらす巨大なきのこ雲もCGで「再現」されていた。(「鏡の女たち」は「父と暮らせば」の前年に公開されているから、黒木和男が再現することを過剰に意識したのかもしれない)
原爆を扱った本作では上記の荒海のイメージショットをのぞき、過去の出来事を再現することを頑なに拒否する。最も印象深いシーンは娘が被爆した米軍捕虜について調べている雑誌記者の女性を訪ねて原爆資料館を訪れるシーン。彼女がふと振り向くと、展示用の巨大なパネルが続々と運び込まれてくる。そのパネルは原爆犠牲者の焼けただれた遺体の写真や、犠牲者の遺品の時計(8時15分で止まった時計)の写真など。それまで語りだけで原爆の恐ろしさを祖母から語られていた娘にとって戦争も原爆も遠い世界のファンタジーのように感じていたかもしれない。セットやミニチュアやCGで原爆投下を再現してもそれは遠い世界の出来事であることに変わりはないだろう。だが写真は原爆投下直後の時間と空間をそのまま切り取ったものであり、現代まで保存されてきた現実である。巨大パネルに貼り付けられた現実を目の当たりにして娘の表情はこわばる。原爆がファンタジーではなくリアルであることを実感した瞬間だったのだろう。
とは言え、それとてそのシーンを要約すれば、「若い娘がパネルを見ている」だけであり、ドラマではなくアクシデントでしかないように思える。
恐らく、吉田監督が言いたかったのはこういうことではないか。
現実世界で生きる我々の実生活においてドラマなどほとんど起こらない。しかし無数のドラマをバックグラウンドにして人間や社会は作られている。積み重ねられたドラマの重みをアクシデントの羅列で表現しているのではないかと思う。
またこの映画では映像への非依存性も何か意味があるのかと勘ぐりたくなる。全編にわたりまるでホームビデオの映像のような、奥行きのない、色彩に乏しい映像。映画とは映像で語るものだ、という常識に挑むかのように、映像に凝らず物語は台詞だけで説明される。
「あえて描かないことにより、描かれていないものに対する観客の想像力を働かせる」そんな逆説的な演出を突き詰めた結果としての本作なのかもしれない。原爆描写が展示パネルの写真以外にないこともその演出論の一貫だと思うが、そもそも映像そのものを提示しないことで、登場人物たちの内面を観客の想像力にまかせようとしたのかもしれない。
そう考えてくるとますますわからなくなるのが、荒波の海岸に取り残され泣き叫ぶ女の子のイメージショットだ。
恐ろしくインパクトのある映像であり、母の心の内面を映像で再現するショットである。
何故か、ここだけが、この「鏡の女たち」という映画のルールに反しているように感じる。何故だろう。何故このようなシーンを入れたのだろう?
秩序だてられた世界に投げ込まれた一粒の異物であるこのシーンは強烈な印象を残す
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