映像作品とクラシック音楽 第三回「アマデウス」
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クラシック音楽好きインディーズ映画監督の齋藤新です。
クラシック音楽が印象的な映像作品について書いてみたよってシリーズでお届けしております。第三回で取り上げるのはクラシック音楽映画の金字塔「アマデウス」です。
ミロシュ・フォアマン監督のアカデミー作品賞受賞作。
ざっくりストーリー解説
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天才モーツァルトと彼にただならぬ嫉妬心を抱く宮廷作曲家で音楽の才能としては中のよくて上くらいのアントニオ・サリエリの物語。
モーツァルトは私が殺したと語る頭のおかしそうなサリエリ爺さんが自殺未遂し、精神病院に入れられる。
神父が爺さんに懺悔をさせるべく伺うと、その爺さん、昔は皇帝陛下にも褒められた作曲家だったという。
爺さんは神父に何十年も前の天才青年モーツァルトに抱いた強い憎しみと殺意の思い出を語る。そしてサリエリは正体を隠してモーツァルトに「レクイエム」の作曲を依頼。その曲が完成したらモーツァルトを殺し、レクイエムをサリエリ作曲作品としてモーツァルトの葬式で演奏しようとしたというのだ!果たしてサリエリの計画は成功していたのか?!
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映画開巻と同時にドンジョバンニ序曲の冒頭部分が高らかに鳴り響きますが、すぐに音楽は消えて、サリエリ爺さんの家を訪ねる従者たちの描写になります。
ドアを開けてください、という従者たち。しかし爺さんは開けてくれず、中からは爺さんの「モーツァルトぉぉ!」の声とやがて悲鳴、そしてピアノの上に崩れ落ちたかのような音
只事ではないと従者がドアを蹴破ると、自らの首を掻っ切って血まみれになったサリエリ爺さんがいます。
ここでモーツァルト交響曲第25番の第一楽章が大音量で始まります。
ストリングスが力強くドラマチックに響くのと呼応して血まみれのサリエリ!
オーボエのパートの静かな部分でサリエリを救急搬送する馬車が雪降る夜の街を寂しげに走る画に被せてタイトル
続くストリングスが華麗に奏でられるところでセレブたちが舞踏会に興じている華やかな画に切り替わる
…といった具合に、音楽と見事にマッチした編集が楽しめます。
そのまま25番1楽章のワンコーラス(?)かけて、メインキャストとスタッフのクレジットです。
この映画の音楽担当はというと、サー・ネビル・マリナーです。
劇伴音楽の作曲はなく、基本的にモーツァルトの音楽を(編曲なしで)使用していますが、過去の名演の録音を使うのではなく、映画のために新たに録音しているとのことです。
それにしましても、25 というチョイスが絶妙ですよね。
モーツァルトの交響曲というとだいたいおセレブさんの依頼で作ったものが多いので長調の曲ばかりです。わざわざ金払って作曲家の苦悩に付き合いたい人も(その当時は)いなかったでしょうから当然です。
そんなモーツァルトの数少ない短調交響曲(ていうか実は41もある交響曲全部聞いたわけじゃないんですが、短調って25と40の2つだけなんですよね?)を持ってくるところ、いいですよね。
短調交響曲なら音楽単体でなら25より40の方がはるかに好きです。
25は、そうは言っても17歳の青年の作曲で(それでもあれほどの曲を作れるのだからサリエリの妬みもわからんではないですが)、まあまあ人生経験積んでからの40の方が曲として遥かに深いものを感じます。
しかしだからといってあのオープニングに40があうとは思えません。だいたい40じゃ有名すぎて観る人それぞれになんらかの固定観念ついてそうですしね。
交響曲ではなく、例えば開巻からのつながりでドンジョバ序曲でメインタイトルシークエンスを組み立てることもできそうですが、ここでドンジョバ使うと、後のドンジョバ公演のシーンとか、そこで語られるモーツァルトと父との関係などから、いらん深読みを呼ぶ恐れもあるでしょう
だから25番です。
映画のおかげであまり人気のなかったモーツァルトの20番台が脚光を浴びたんではないでしょうか。
25をチョイスしたのがネビル・マリナーなのか、監督ミロシュ・フォアマンなのか、はたまたオリジナルの舞台の演出を踏襲したものなのかはわかりませんが。
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私はサントラは持ってないのですが、25は2枚持ってます。
映画に敬意を表してのネビル・マリナーのアルバム
演奏:アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
1978年録音(38と39カップリング)
ジェームズ・レバイン×VPOのアルバムで1985年録音(26、27カップリング)
(アマデウスが84年の映画なので、多分アマデウス人気にあやかろうとしたアルバムなんでしょうね)
映画でのマリナーの演奏は見事でしたが、演奏それ自体はレバインの方が好みです…
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で、物語は一気に飛んで後半
映画において非常に重要な「レクイエム」作曲のくだりです。
(ネタバレになるので未見の方は、ぜひご覧になってからお読みくださるようお願いします)
レクイエムは知っての通りモーツァルト絶筆の作品で、後に妻のコンスタンツェが尽力しモーツァルトの弟子に補筆させて完成したとされています。
モーツァルトがほぼ完成させていたのは最初の3曲で、それ以降はスケッチをもとにしたり、全くの書きおろしだったりするみたいです
映画でも3曲目くらいまではモーツァルトが一人で作ってるかのように描いてます。
モーツァルトが座って楽譜を書いているのを引きで撮るだけの映像に、有名なDies iraeの激しいメロディがかぶったりして、BGMとしてなら恐ろしくミスマッチなんですが、これ要するに今そのメロディがモーツァルトの頭の中に流れていて今まさに譜面に起こしてるんだよ、という意味です。台詞なしで状況を伝えるのが映画演出として上の上であるなら、これほど上手い演出があるでしょうか。
そして映画では魔笛の初演中にぶっ倒れたモーツァルトをサリエリが家に運び込み、疲労困憊の彼を騙してレクイエムを一気に完成まで持っていこうとするのです。そこで7曲目くらいまでをサリエリが手伝って作ったことになっています
問題はレクイエムの作曲依頼をサリエリがしたというところです。
現在真実と言われているレクイエム作曲依頼の経緯とは全く異なります。(そこまで詳しくはないので、詳細はググッていただきたく…)
ただしこの映画全体が、精神の崩壊したサリエリの作り話もしくは妄想ともとれるように作られているので、事実と違うじゃないか的な批判は当たらないと思います
レクイエムのくだりはともかく、サリエリは実際モーツァルトの公演を政治力で邪魔したり、後年に私がモーツァルトを殺したと言ったりしたのは事実らしいです(DVDの解説より)。
他にレクイエムはモーツァルトが自分のために作曲していた説もあって、これは信憑性はともかく1番ロマンチックですよね
映画でレクイエムがじっくりかかることはありません。なにしろサリエリの回想終了時点ではまだ完成してませんから
しかし、モーツァルトとサリエリの共同作業のシーンで、モーツァルトがパートごとに構成を説明するのにあわせて、パートごとに音楽が鳴る演出は素晴らしいです。
そして、モーツァルトの才能についていけず彼の説明を理解できないサリエリが、わかってくるにしたがって音楽が彼にも聞こえているかのように鳴り出すところも素晴らしいです。
そしてサリエリの目論見は外れて楽譜はコンスタンツェにとられ、一方で天才モーツァルトの葬式の、天才に似つかわしくないあまりの寂しさもまた、モーツァルト作レクイエムをかけて壮大な葬式にして(密かに神を嘲笑いたかった)という計画もやぶれ、サリエリは何もかも負けたのです
でも彼の言う、「私は全ての凡人の神だ」は、この映画を観る全ての人に刺さりそうな恐ろしさを持ってますね
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レクイエムのCDですが、私は1枚しか持ってません。
カール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団
1960年録音
別にこのアルバムに不満は無いのですが、他と聞き比べたことがないので(映画アマデウスでのレクイエムの使い方はぶつ切りですし)、名盤なのかどうなのか判断できません。
いいのありましたら教えていただきたいです。
それではまた!
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次回予告
「誰も寝てはならぬ」は殺しのテーマ
構想中の記事
・ウェストサイド物語
・トムとジェリー
・「レッドブル」「ウィロー」〜ジェームズ・ホーナーとソ連のクラシック音楽
・ヨーヨー・マとサントラ
・黒澤明作品でのクラシック音楽
・知りすぎていた男
・ライト・スタッフ
・惑星ソラリス
・ダイハード
・時計仕掛けのオレンジ
・ベニスに死す
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クラシック音楽好きインディーズ映画監督の齋藤新です。
クラシック音楽が印象的な映像作品について書いてみたよってシリーズでお届けしております。第三回で取り上げるのはクラシック音楽映画の金字塔「アマデウス」です。
ミロシュ・フォアマン監督のアカデミー作品賞受賞作。
ざっくりストーリー解説
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天才モーツァルトと彼にただならぬ嫉妬心を抱く宮廷作曲家で音楽の才能としては中のよくて上くらいのアントニオ・サリエリの物語。
モーツァルトは私が殺したと語る頭のおかしそうなサリエリ爺さんが自殺未遂し、精神病院に入れられる。
神父が爺さんに懺悔をさせるべく伺うと、その爺さん、昔は皇帝陛下にも褒められた作曲家だったという。
爺さんは神父に何十年も前の天才青年モーツァルトに抱いた強い憎しみと殺意の思い出を語る。そしてサリエリは正体を隠してモーツァルトに「レクイエム」の作曲を依頼。その曲が完成したらモーツァルトを殺し、レクイエムをサリエリ作曲作品としてモーツァルトの葬式で演奏しようとしたというのだ!果たしてサリエリの計画は成功していたのか?!
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映画開巻と同時にドンジョバンニ序曲の冒頭部分が高らかに鳴り響きますが、すぐに音楽は消えて、サリエリ爺さんの家を訪ねる従者たちの描写になります。
ドアを開けてください、という従者たち。しかし爺さんは開けてくれず、中からは爺さんの「モーツァルトぉぉ!」の声とやがて悲鳴、そしてピアノの上に崩れ落ちたかのような音
只事ではないと従者がドアを蹴破ると、自らの首を掻っ切って血まみれになったサリエリ爺さんがいます。
ここでモーツァルト交響曲第25番の第一楽章が大音量で始まります。
ストリングスが力強くドラマチックに響くのと呼応して血まみれのサリエリ!
オーボエのパートの静かな部分でサリエリを救急搬送する馬車が雪降る夜の街を寂しげに走る画に被せてタイトル
続くストリングスが華麗に奏でられるところでセレブたちが舞踏会に興じている華やかな画に切り替わる
…といった具合に、音楽と見事にマッチした編集が楽しめます。
そのまま25番1楽章のワンコーラス(?)かけて、メインキャストとスタッフのクレジットです。
この映画の音楽担当はというと、サー・ネビル・マリナーです。
劇伴音楽の作曲はなく、基本的にモーツァルトの音楽を(編曲なしで)使用していますが、過去の名演の録音を使うのではなく、映画のために新たに録音しているとのことです。
それにしましても、25 というチョイスが絶妙ですよね。
モーツァルトの交響曲というとだいたいおセレブさんの依頼で作ったものが多いので長調の曲ばかりです。わざわざ金払って作曲家の苦悩に付き合いたい人も(その当時は)いなかったでしょうから当然です。
そんなモーツァルトの数少ない短調交響曲(ていうか実は41もある交響曲全部聞いたわけじゃないんですが、短調って25と40の2つだけなんですよね?)を持ってくるところ、いいですよね。
短調交響曲なら音楽単体でなら25より40の方がはるかに好きです。
25は、そうは言っても17歳の青年の作曲で(それでもあれほどの曲を作れるのだからサリエリの妬みもわからんではないですが)、まあまあ人生経験積んでからの40の方が曲として遥かに深いものを感じます。
しかしだからといってあのオープニングに40があうとは思えません。だいたい40じゃ有名すぎて観る人それぞれになんらかの固定観念ついてそうですしね。
交響曲ではなく、例えば開巻からのつながりでドンジョバ序曲でメインタイトルシークエンスを組み立てることもできそうですが、ここでドンジョバ使うと、後のドンジョバ公演のシーンとか、そこで語られるモーツァルトと父との関係などから、いらん深読みを呼ぶ恐れもあるでしょう
だから25番です。
映画のおかげであまり人気のなかったモーツァルトの20番台が脚光を浴びたんではないでしょうか。
25をチョイスしたのがネビル・マリナーなのか、監督ミロシュ・フォアマンなのか、はたまたオリジナルの舞台の演出を踏襲したものなのかはわかりませんが。
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私はサントラは持ってないのですが、25は2枚持ってます。
映画に敬意を表してのネビル・マリナーのアルバム
演奏:アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
1978年録音(38と39カップリング)
ジェームズ・レバイン×VPOのアルバムで1985年録音(26、27カップリング)
(アマデウスが84年の映画なので、多分アマデウス人気にあやかろうとしたアルバムなんでしょうね)
映画でのマリナーの演奏は見事でしたが、演奏それ自体はレバインの方が好みです…
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で、物語は一気に飛んで後半
映画において非常に重要な「レクイエム」作曲のくだりです。
(ネタバレになるので未見の方は、ぜひご覧になってからお読みくださるようお願いします)
レクイエムは知っての通りモーツァルト絶筆の作品で、後に妻のコンスタンツェが尽力しモーツァルトの弟子に補筆させて完成したとされています。
モーツァルトがほぼ完成させていたのは最初の3曲で、それ以降はスケッチをもとにしたり、全くの書きおろしだったりするみたいです
映画でも3曲目くらいまではモーツァルトが一人で作ってるかのように描いてます。
モーツァルトが座って楽譜を書いているのを引きで撮るだけの映像に、有名なDies iraeの激しいメロディがかぶったりして、BGMとしてなら恐ろしくミスマッチなんですが、これ要するに今そのメロディがモーツァルトの頭の中に流れていて今まさに譜面に起こしてるんだよ、という意味です。台詞なしで状況を伝えるのが映画演出として上の上であるなら、これほど上手い演出があるでしょうか。
そして映画では魔笛の初演中にぶっ倒れたモーツァルトをサリエリが家に運び込み、疲労困憊の彼を騙してレクイエムを一気に完成まで持っていこうとするのです。そこで7曲目くらいまでをサリエリが手伝って作ったことになっています
問題はレクイエムの作曲依頼をサリエリがしたというところです。
現在真実と言われているレクイエム作曲依頼の経緯とは全く異なります。(そこまで詳しくはないので、詳細はググッていただきたく…)
ただしこの映画全体が、精神の崩壊したサリエリの作り話もしくは妄想ともとれるように作られているので、事実と違うじゃないか的な批判は当たらないと思います
レクイエムのくだりはともかく、サリエリは実際モーツァルトの公演を政治力で邪魔したり、後年に私がモーツァルトを殺したと言ったりしたのは事実らしいです(DVDの解説より)。
他にレクイエムはモーツァルトが自分のために作曲していた説もあって、これは信憑性はともかく1番ロマンチックですよね
映画でレクイエムがじっくりかかることはありません。なにしろサリエリの回想終了時点ではまだ完成してませんから
しかし、モーツァルトとサリエリの共同作業のシーンで、モーツァルトがパートごとに構成を説明するのにあわせて、パートごとに音楽が鳴る演出は素晴らしいです。
そして、モーツァルトの才能についていけず彼の説明を理解できないサリエリが、わかってくるにしたがって音楽が彼にも聞こえているかのように鳴り出すところも素晴らしいです。
そしてサリエリの目論見は外れて楽譜はコンスタンツェにとられ、一方で天才モーツァルトの葬式の、天才に似つかわしくないあまりの寂しさもまた、モーツァルト作レクイエムをかけて壮大な葬式にして(密かに神を嘲笑いたかった)という計画もやぶれ、サリエリは何もかも負けたのです
でも彼の言う、「私は全ての凡人の神だ」は、この映画を観る全ての人に刺さりそうな恐ろしさを持ってますね
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レクイエムのCDですが、私は1枚しか持ってません。
カール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団
1960年録音
別にこのアルバムに不満は無いのですが、他と聞き比べたことがないので(映画アマデウスでのレクイエムの使い方はぶつ切りですし)、名盤なのかどうなのか判断できません。
いいのありましたら教えていただきたいです。
それではまた!
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次回予告
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