個人的評価:■■■■■■
[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)
今、自主映画を撮る人の物語を撮っている。
で、前から観たかったけど、いまだに観ていなかったトリュフォーの74年の作品をDVDで観賞。映画のスタジオを舞台にした監督、俳優、スタッフたちの群像劇。
観るんじゃなかった
今、自分が撮ってるものがひどくつまらなく思えて来た。
そりゃ、トリュフォーに匹敵するような映画作れるとは思っていないけど、自分の映画にはない全てがこの作品にはあった。もうめちゃくちゃ面白くて面白くて。
8mmフィルムが高いくらいでぼやくアマチュア監督と、大ヒットと絶賛を義務づけられた巨匠との違いを見せつけられたのであった。
私らスピルバーグ世代には「未知との遭遇」のフランス人科学者役の方が下手したら印象深いフランソワ・トリュフォー氏。自身の監督作にも俳優として出演したりもする氏だが、「アメリカの夜」では映画監督役を演じている。
いちお主演は「主演女優役」のジャクリーン・ビセットとなっていて、キャストのクレジットでも俳優役の人たちが最初にクレジットされトリュフォーの名前はだいぶ後になってから申し訳無さそうにクレジットされるのだが、本作の実質主役といってもいいのがトリュフォー演じるフェラン監督である。
まるで映画のメイキングのように撮影現場の数々の作業が映される。撮影シーン、ラッシュの試写に、編集作業の一部まで。
周防正行なら「あれ何やってるんですかね」「バカ、そんなことも知らんのか。あれはなあ・・・」と無知と物知りのQ&A台詞がそこかしこに出てくるだろう。(ちなみに三谷幸喜なら知ってる者同士で知識を披露し合うウザイ会話にする)
だがトリュフォー氏はマニアックな映画用語の解説などほとんどしない。
せいぜいがさりげなく「アメリカの夜」の説明を入れるくらいである
イギリス人スタントマンに、イギリス人である主演女優が監督の説明を通訳する。
監督「アメリカの夜で撮る」
女優「アメリカの夜って?」
監督「フィルタを使って撮影して昼を夜のように見せるんだ」
女優「ああ、「昼を夜に」(DAY FOR NIGHT)のことね」
あとはヘンテコな機器や、でかいクレーンやらの説明もない。
しかし生き物のように動くカメラやクレーンや、編集機器(?)から吐き出されるフィルムは観ているだけでわくわくしてきて、撮影現場の楽しさが伝わってくる。
なお、この作品フランス語題は「La Nuit américaine」(アメリカの夜)
英語題は「DAY FOR NIGHT」
(邦題の冒頭の「映画に愛をこめて」っていらなくね?)
しかしこんなに楽しげな撮影現場の雰囲気はトリュフォーという人の人柄によるところが大きいのだろう。
小津の現場ならシィーーーーンと静まりかえってるだろうし、黒澤の現場なら罵声が飛び交ってたりしていて、どちらも映画の題材には不向きそうだ。
トリュフォーのモノローグ(うろおぼえ)
「はじめは情熱を持って撮り始めるが、そのうちに完成させることしか考えなくなる」
わかります。
暑い、疲れた、時間がない・・・と気苦労ばかり。早く撮り終えてぇぇぇと思う。撮り終えればのんびりした編集作業が待っている。
トリュフォーのモノローグ
「映画監督はあらゆる質問を受ける職業だ」
トリュフォー演じるフェラン監督は、小道具を見てくれ、曲を聴いてくれ、この衣装どう? 明日の台詞早くちょうだい?(そう言われて女優がプライベートで監督に語った言葉がそっくりそのまま彼女の台詞に使われてしまい、女優が頭にくるところとかとても面白い) ・・・とどこに行っても質問や要求が飛んでくる。制作費数万の自主映画でもそうなのだ。
しかしさすがは商業映画。監督の気苦労はそれだけではない。
保険がどうの、予算がどうの、スケジュールだ、ハリウッドの意向だ、記者会見だ、・・・と、あんなんでよくもまあ創作活動にまわす頭があるもんだ。
しかも、ほれた、ふられた、あいつがあいつと寝た、といった映研でもよくある人間関係のこじれが勃発し、大女優はアル中で台詞も段取りも満足に覚えられず、あいつは妊娠してるの隠してるし、おまけにあのベテラン俳優はあんなことになって・・・
観ているだけで気が狂いそうだが、そんな数々のトラブルをなんとか解決したり時にはなんとか誤摩化したりしながら進んでいく撮影風景はとても面白い。
映画は生き物だ。
関わる人たちのあれやこれやで形を変えて行く。しかしトリュフォー演じるフェラン監督は、えらそうな説明はせずになんとかコントロールして完成に向かわせる。
そんな神経すりへる監督だが、眠りについても不穏な夢を見る。
モノクロ映像で監督の少年時代と思しき人物が杖をついて夜の街を歩いている。一体何がはじまるのだろう・・・と期待と不安を抱かせるが、歩くだけで夢は終わる。ところがその夢をもう一度観る。さらに三たび見る。夢を見ている時の監督の寝顔は心なしか苦しげだ。こんなに繰り返すからには何かすごく嫌な思い出に違いない・・・と思ったら
なんてことない。少年は映画館から「市民ケーン」のスチール写真を盗んで行くのだ。
「市民ケーン」を観たこと無くても充分に微笑ましいシーンであるが、「市民ケーン」で描かれた無垢への郷愁がトリュフォー演じる監督の心情とだぶってきて「映画ファンならニヤリとするにちがいない」と恥ずかしい解説が目に浮かぶシーンでもあるのだ。実際ニヤリとしちゃったし。
あーあ
今撮ってる映画もスタッフ同士の痴話げんかの一つでも撮影中のエピソードにぶっこめば良かった。
今から増やすか?
いやしかし、今さらなあ
フィルムも高いし・・・
撮影全部済んでから見れば良かった。
悩ませるトリュフォー氏であった
トリュフォーが頼んでいた書籍が届いたぞ、といって小包を開けると何冊もの映画監督本が出てくる。
ホークス、ヒッチコック、ゴダール、ベルイマン、ロッセリーニ・・・
はいはい、ここも「ニヤリ」とすればいいんでしょ
トリュフォー面白いな
何本かしか観たこと無かったけど
今度は「大人は判ってくれない」とか「アデルの恋の物語」とか借りに行こ
「野性の少年」も観たいな
「華氏451度」も
********
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今、自主映画を撮る人の物語を撮っている。
で、前から観たかったけど、いまだに観ていなかったトリュフォーの74年の作品をDVDで観賞。映画のスタジオを舞台にした監督、俳優、スタッフたちの群像劇。
観るんじゃなかった
今、自分が撮ってるものがひどくつまらなく思えて来た。
そりゃ、トリュフォーに匹敵するような映画作れるとは思っていないけど、自分の映画にはない全てがこの作品にはあった。もうめちゃくちゃ面白くて面白くて。
8mmフィルムが高いくらいでぼやくアマチュア監督と、大ヒットと絶賛を義務づけられた巨匠との違いを見せつけられたのであった。
私らスピルバーグ世代には「未知との遭遇」のフランス人科学者役の方が下手したら印象深いフランソワ・トリュフォー氏。自身の監督作にも俳優として出演したりもする氏だが、「アメリカの夜」では映画監督役を演じている。
いちお主演は「主演女優役」のジャクリーン・ビセットとなっていて、キャストのクレジットでも俳優役の人たちが最初にクレジットされトリュフォーの名前はだいぶ後になってから申し訳無さそうにクレジットされるのだが、本作の実質主役といってもいいのがトリュフォー演じるフェラン監督である。
まるで映画のメイキングのように撮影現場の数々の作業が映される。撮影シーン、ラッシュの試写に、編集作業の一部まで。
周防正行なら「あれ何やってるんですかね」「バカ、そんなことも知らんのか。あれはなあ・・・」と無知と物知りのQ&A台詞がそこかしこに出てくるだろう。(ちなみに三谷幸喜なら知ってる者同士で知識を披露し合うウザイ会話にする)
だがトリュフォー氏はマニアックな映画用語の解説などほとんどしない。
せいぜいがさりげなく「アメリカの夜」の説明を入れるくらいである
イギリス人スタントマンに、イギリス人である主演女優が監督の説明を通訳する。
監督「アメリカの夜で撮る」
女優「アメリカの夜って?」
監督「フィルタを使って撮影して昼を夜のように見せるんだ」
女優「ああ、「昼を夜に」(DAY FOR NIGHT)のことね」
あとはヘンテコな機器や、でかいクレーンやらの説明もない。
しかし生き物のように動くカメラやクレーンや、編集機器(?)から吐き出されるフィルムは観ているだけでわくわくしてきて、撮影現場の楽しさが伝わってくる。
なお、この作品フランス語題は「La Nuit américaine」(アメリカの夜)
英語題は「DAY FOR NIGHT」
(邦題の冒頭の「映画に愛をこめて」っていらなくね?)
しかしこんなに楽しげな撮影現場の雰囲気はトリュフォーという人の人柄によるところが大きいのだろう。
小津の現場ならシィーーーーンと静まりかえってるだろうし、黒澤の現場なら罵声が飛び交ってたりしていて、どちらも映画の題材には不向きそうだ。
トリュフォーのモノローグ(うろおぼえ)
「はじめは情熱を持って撮り始めるが、そのうちに完成させることしか考えなくなる」
わかります。
暑い、疲れた、時間がない・・・と気苦労ばかり。早く撮り終えてぇぇぇと思う。撮り終えればのんびりした編集作業が待っている。
トリュフォーのモノローグ
「映画監督はあらゆる質問を受ける職業だ」
トリュフォー演じるフェラン監督は、小道具を見てくれ、曲を聴いてくれ、この衣装どう? 明日の台詞早くちょうだい?(そう言われて女優がプライベートで監督に語った言葉がそっくりそのまま彼女の台詞に使われてしまい、女優が頭にくるところとかとても面白い) ・・・とどこに行っても質問や要求が飛んでくる。制作費数万の自主映画でもそうなのだ。
しかしさすがは商業映画。監督の気苦労はそれだけではない。
保険がどうの、予算がどうの、スケジュールだ、ハリウッドの意向だ、記者会見だ、・・・と、あんなんでよくもまあ創作活動にまわす頭があるもんだ。
しかも、ほれた、ふられた、あいつがあいつと寝た、といった映研でもよくある人間関係のこじれが勃発し、大女優はアル中で台詞も段取りも満足に覚えられず、あいつは妊娠してるの隠してるし、おまけにあのベテラン俳優はあんなことになって・・・
観ているだけで気が狂いそうだが、そんな数々のトラブルをなんとか解決したり時にはなんとか誤摩化したりしながら進んでいく撮影風景はとても面白い。
映画は生き物だ。
関わる人たちのあれやこれやで形を変えて行く。しかしトリュフォー演じるフェラン監督は、えらそうな説明はせずになんとかコントロールして完成に向かわせる。
そんな神経すりへる監督だが、眠りについても不穏な夢を見る。
モノクロ映像で監督の少年時代と思しき人物が杖をついて夜の街を歩いている。一体何がはじまるのだろう・・・と期待と不安を抱かせるが、歩くだけで夢は終わる。ところがその夢をもう一度観る。さらに三たび見る。夢を見ている時の監督の寝顔は心なしか苦しげだ。こんなに繰り返すからには何かすごく嫌な思い出に違いない・・・と思ったら
なんてことない。少年は映画館から「市民ケーン」のスチール写真を盗んで行くのだ。
「市民ケーン」を観たこと無くても充分に微笑ましいシーンであるが、「市民ケーン」で描かれた無垢への郷愁がトリュフォー演じる監督の心情とだぶってきて「映画ファンならニヤリとするにちがいない」と恥ずかしい解説が目に浮かぶシーンでもあるのだ。実際ニヤリとしちゃったし。
あーあ
今撮ってる映画もスタッフ同士の痴話げんかの一つでも撮影中のエピソードにぶっこめば良かった。
今から増やすか?
いやしかし、今さらなあ
フィルムも高いし・・・
撮影全部済んでから見れば良かった。
悩ませるトリュフォー氏であった
トリュフォーが頼んでいた書籍が届いたぞ、といって小包を開けると何冊もの映画監督本が出てくる。
ホークス、ヒッチコック、ゴダール、ベルイマン、ロッセリーニ・・・
はいはい、ここも「ニヤリ」とすればいいんでしょ
トリュフォー面白いな
何本かしか観たこと無かったけど
今度は「大人は判ってくれない」とか「アデルの恋の物語」とか借りに行こ
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「華氏451度」も
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