婚姻の平等をテーマにした映画祭、レインボーマリッジフィルムフェスティバル2022にて上映された2010年のアメリカ映画
アネット・べニングとジュリアン・ムーアが結婚し精子提供で子供を産んだレズビアンのカップルを演じ、マーク・ラファロが精子提供者を演じる
アネット・べニングが本作でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたが、この年は『ブラックスワン』のナタリー・ポートマンが本命といった感じでアカデミー賞も番狂わせなくナタリーが受賞した。
監督のリサ・チョロデンコは、自身も同性パートナーと暮らし、精子提供で出産したのだという。
精子提供を受けて2人の子供を産んだレズビアンのカップル、ニックとジュールスの家庭。その娘ジョニが18になり、精子提供者との接触が(当事者同士が望めば)可能となったため、両親に黙って弟レイザーと会いに行く。
精子提供者(マークラファロ…ハルクだし精子強そうなどと思ったけれど、この人イケメンじゃないけどなんかとってもセクシーだよね)
精子提供者のポールのことを子供たちは好意的に受け止めるが、やがてひょんなことから子供たちがポールに会ったことを知った両親は、子供の手前ポールとちょっとだけ会って愛想良くして終わりにしようと思ったけれど、話の流れでジュールスがポールの家の庭園デザインをすることに
そこから壊れていく家族の絆
娘の大学進学を目前にした家族の崩壊と再生ってあたりがそういえば『コーダあいのうた』に似ている。割と脚本的にはよくある構成で、最後の爽快感もどこか似ている。
でもコーダもそうだったように、彼/彼女らの普通の幸せを、当たり前の愛を描くには、奇をてらったような映画にせず、正攻法のストーリーがいいってことかもしれない
アネット・べニングもジュリアン・ムーアもレズビアンではないので、マイノリティは当事者が演じるべきという最近の風潮からいくとあの演技は素晴らしいとかは言いづらい。ジュリアン・ムーアが息子からどうして男同士のAVを観るのかと問われて、女同士のAVもあるけどストレートが演じてるから嘘っぽい、と言うのがなにか2周くらいした高度なギャグに思えてしまう。
そうした意味でのたった10年なのに感じる古さは社会が猛スピードで成熟している証だからいいとして、それでも脚本のうまさには古さは全くなく引き込まれる。
アネット・べニング演じるニックを短髪に、ジュリアン・ムーア演じるジュールスを長髪にし、序盤でさりげなくジュールスの髪の毛が排水口に詰まるとニックに文句を言わせたことが、後半での伏線になっているのはうまい。その場面のサスペンス描写、誰かが誰かを殺すんじゃないかと不安になるくらいの緊迫感はすごい。
こういうテーマ性と関係なくとにかく面白い場面を用意するところがアメリカ映画のすごさだと思う。(言いたくないけど日本映画って手に汗握る面白いシーンってとても少ないと思いません?)
この辺りは映画の本質部分ではないのだけど、やっぱり映画はまず面白くなきゃね
さて、テーマ的なところに話を戻すと、結婚のことをよくゴールインなどと言ったりして、異性婚であっても結婚で話を終えることは多いわけですが、結婚って全然ゴールではなく、普通の人生では結婚前の期間より結婚してからの期間の方が長いわけで、結婚後の物語の方がやはり描く価値はあるのだと思うのである。
10数年たった家族に訪れる家族崩壊の危機。なるほど、同性婚の家族ならよくあるストーリーだが、異性婚のカップルでのそうした物語はあまり馴染みはなかった。
でも結局のところ、愛の深さも、愛の脆さも、異性婚だろうと同性婚だろうと変わらないのだとわかる。
ニック(アネット・べニング)は医者で多分給料はパートナーのジュールス(ジュリアン・ムーア)より相当高いのだろう。そしてニックはジュールスが仕事につくことを快く思わない。経済的に優位な立場にいたいのだ。そんなニックにマウント取られているようでジュールスは面白くなく、鬱憤が溜まっていたところに自分の仕事を評価してくれる人物が現れ浮気に走る。
異性婚の夫婦にも良くある話ではないか。
変わらないのだ。
怖くないのだ。
普通なのだ。
ただ性的指向が違うというだけなのだ。
と、そんな感想を抱いた。そういう意味では「普通」の感想だけど、なにか心が洗われるような気がした映画だった。
『キッズ・オールライト』
監督 リサ・チョロデンコ
脚本 リサ・チョロデンコ/スチュアート・ブルムバーグ
撮影 イゴール・ジャデュー=リロ
出演 アネット・べニング/ジュリアン・ムーア/マーク・ラファロ/ミア・ワシコウスカ/ジョシュ・ハッチャーソン
2022/05/07 レインボーマリッジフィルムフェスティバル2022(なかのZERO)にて鑑賞
#RMFF2022