75点(100点満点)
2015年1月10日、丸の内ピカデリーにて鑑賞
マーケットを大切にしながら作った娯楽ファンタジー映画。作家性よりもヒットメーカーとしての仕事をきっちりこなすノーランの職人芸。
ゼロ・グラビティ直後に、アカデミー受賞直後のマシュー・マコノヒーで超大作宇宙映画ポンと作るこのタイミングを逃さないところ含めて時代に選ばれた凄い人だと思います。
本格SFっていうよりはディズニーファンタジーのノリに近い。テーマは「愛」。個人的には「愛の奇跡はあります」という万人受けする着地点へ目指すのもなんだかな…なんだけど…
成人した子供を見て涙を流す主人公の顔をアップでとらえる俗っぽすぎる演出を否定する気もないが、ノーランの「インセプション」や「バットマン」はもう少しクールな演出してたよな~って、さほど評価してなかったノーランの過去作品がちょっと懐かしくなっちゃった。
でも「メメント」は彼の最高傑作でゼロ年代アメリカ映画を代表する作品の一つだと思ってます。
SF映画としてはリアルと娯楽の狭間に揺れているもどかしさ。
無重力、真空の描写は「ゼロ・グラビティ」以降の映像新時代の一員的な超かっこいい演出だが、物語は「スタートレック」とMナイト・シャマランのブレンドのような割と古典的娯楽SF。
最高級の食器にマクドナルド盛り付けたようなチグハグ感を私の場合は感じたのでした。
なまじリアリティSF仕立てなもんで、ヤマトやスタートレックならまるで気にならないところが色々気になってきます。
土星の近くに開いたワームホールへ向けて出発。ワームホールは土星と一緒に太陽を公転してるのだろうかという疑問は「映画だから」置いといて、「土星まで2年かかる」という設定にはすごくリアリティがあります。現在、無人探査機が土星まで4年かけて飛ぶので「インターステラー」くらいの未来なら2年ってのは妥当でしょう。
(ちなみにウルトラホーク2号は地球と土星を3日で往復できます。すごいテクノロジーだね、ウルトラ警備隊って!!)
ここまではよいのだけど、問題はそのあと。
ワームホールくぐった後に3つの星の間を行ったり来たりする展開になるのだけど、あの3つの星は同じ恒星系にあるわけじゃないよね。
恒星と恒星の間って1光年くらい平気で離れてるもんでしょう。
もしも仮に奇跡すぎる幸運で最初の星とマン博士の星までの距離がたったの0.1光年しか離れていなかったとしましょう。
地球→土星の距離
最長で16億キロメートル=1.6×10の9乗キロメートル
0.1光年=9.5×10の11乗キロメートル
土星まで2年で飛ぶ宇宙船の場合、0.1光年の移動には1200年かかる計算です。
もっとも未来世界では赤く塗った機体に仮面被って乗り込むだけでスピードが3倍になる都市伝説があるから、ワームホール超えた時に人知を超えたエネルギーを授かって3倍のスピードになったとしましょう。それでも400年かかるんだ。
いやいやワームホール超えたらスピードは一気に光速レベルになるんだよ、なんて言った日にゃ、それこそ相対論的効果で地球では何十年何百年経過するのかわかったもんじゃない。
では仮にあの3つの星が全て同じ恒星系にあったとしましょう。それだけ近接してたら他の2つの星だってブラックホールの重力波の影響で「こっちのうん時間は地球のうん十年」になっちゃうでしょ。
だいたいブラックホールの周囲からはもの凄い量のガンマ線が放出されてると思われ、ブラックホールの近くの星ってだけで人間の生存は相当厳しいと思うが…これは実際にブラックホール行ったことないんでどうなってるか判りませんし、それ言い出すとクライマックスでマシュー・マコノヒーは被爆して娘にデータ送る前に死んじゃうからその辺は目をつぶりましょ
話を戻して、そうすると納得できる説明は一つ。ワームホールの出口は一つでなく、あの3つの星の間の移動にもワームホールを使っていた。
その割にワームホール突入シーンは映画で一回しか出てこないのは、編集でカットしただけ。
これしかない!!
…だとしたら、クライマックスはどういうことだ?
ワームホールよりブラックホールのある最初の星の方が近かった?
え、じゃあ結局マン博士の星はどこにあったのだ?と最初の疑問に戻る。
だいたい、地球からワームホールまで2年の距離なら、ワームホールの出口から目的地の星までもそれくらい離れていてしかるべきと思うのだけど、ワームホール通過後に人口冬眠してたような描写はなかったしなぁ。
このモヤモヤ、どなたかスッキリ解説してくれませんか!!
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いちお無理やり自分を納得させた私なりの仮説。
ワームホールの出口は複数あって後半の星間移動にはやはりワームホールを使う。
最初のブラックホールに近い星をA、マン博士の星をB、最後の星をCとする。
AとBはワームホールの出口のすぐそばでCはワームホールの出口から遠い。
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だからこんな見るものに余計なモヤモヤ起こさせるくらいなら、最初に土星まで2年とかもっともらしい設定の説明しなきゃよかったんだよ。
「異次元からのメッセージをもとに開発した波動エンジンだ。タキオン粒子がエネルギー源だ。」とか言えばそれで良かったのにさ…
他に作劇的にどうだかなぁって思ったところ。
最初の星の冒険で地球時間で20年ほどたって戻ったら、留守番してたクルーが20年歳とってたところ。
お前バカか?って思ったよ。20年もあるならマン博士の星でも行って様子見てこいよ。
そんな彼にさしたる活躍もさせずに爆死させる脚本担当のノーラン兄弟ってどんだけ残酷なんだろ。
2番目の星で始まるまさかの格闘アクション。
カーペンターの映画ならともかく今日はアクション見たくなかったなぁ、始まっちゃったよ、おいおいってちょっと笑っちゃった。
しかも地球のシーンとのクロスカッティング。その演出はやっぱりダメじゃないかな…と思ったのだが、観ていると不思議なくらいに燃えてくるシーンに仕上がってしまった。
今のノーラン以外の誰がやっても、ああはうまく決まらないシーンだと思う。根拠はないけど。
監督がノリに乗っちゃって、イキまくりながら演出し編集してる様が眼に浮かぶような不思議なシーンではあった。
誰にも止められない変なゾーンに入った監督。やり過ぎがかえって恍惚を産む。そんなシーン。
ハンス・ジマーのずっと鳴り響いている情感たっぷりの音楽がまた気分を高める。
実は「ダークナイト」をさほど評価してない私としましては、ノーラン作品の中ではかなり楽しめたことを告白しますが、大した映画じゃなかったなというのが正直な感想。
でも宇宙映画が「ゼロ・グラビティ」以降のステージに入ったことは確認できたことと、丸の内ピカデリーの馬鹿でかいスクリーンで観れたことは良かったです。
愛の力は時空を超える…か…
愛の奇跡も科学的に解明して欲しかったな。
愛に関しちゃ思考停止してる脚本。
でも人間が最後にすがるのはやっぱ愛だけなんだろうな
でもなんか、父と娘の愛の物語のせいでドラマは陳腐になってしまった気がする。
『インターステラー』
監督:クリストファー・ノーラン
脚本:ジョナサン・ノーラン、クリストファー・ノーラン
撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ
音楽:ハンス・ジマー
出演:マシュー・マコノヒー、アン・ハサウェイ、ジェシカ・チャスティン
---以下、鑑賞直後のTwitterフラッシュ映評---
@shinpen: 「インターステラー」やっと観たのです。土星まで2年かかったけど、ワームホール超えたら急に宇宙がせまくなって惑星間をひゅんひゅん移動?それともあれはあれで数年単位で移動してるんだろうか?
@shinpen: 「インターステラー」まさかの惑星の原野で大格闘戦勃発!!そこからの地球シーンとのクロスカッティング!!鳴り響くハンス・ジマーの荘厳な音楽!!やり過ぎを超えて映画監督がハイを超え変なゾーンに突入してイキまくりながら作ったような壮絶シーンに悶絶シビれるッあこがれるうッ
@shinpen: 「インターステラー」カメラが宇宙船の外出ると無音になるし、重力は無いのが当たり前。アメリカのSFは確実に「ゼログラビティ」後のステージに進んでいる。
だからね、今さらスターウォーズEP7にのれるんだろうかと不安になるのです。
@shinpen: 「インターステラー」こっちのうん時間があっちではうん十年だった「インセプション」の逆パターン映画。「メメント」も含めて時間の中でもがく人間たち三部作。
む、「インソムニア」と「インセプション」とあわせて睡眠三部作っていうのもありだ
@shinpen: 「インターステラー」いまの子供たちはなんか起こったら妖怪のせいにするらしいが、インターステラーを観た大人たちはなんか起こったら五次元世界の人のせいにします。
異次元から超常現象を起こしていたマシュー・マコノヒーを昔の日本人は「ヤプール」と呼んで恐れていたというのは本当ですか?
@shinpen: 「インターステラー」私的に一番のハラハラシーンだったのは、畑燃やされて怒りに燃えてた兄が妹の時計ぶっ壊すんじゃないかってところ。
そんなことしたらあと1時間は終わらない、落ち着け兄貴!
でも妹の映画の観客以外には気が触れたとしか思えない「パパよ」発言で怒りを抑えた兄は偉い。愛だ
@shinpen: 「インターステラー」結論としましては一回観れば十分な映画で多分二回目鑑賞はないかな…と。でもその一回が丸の内ピカデリーのどデカいスクリーンで良かった!!3Dじゃなくていいけどせめて大スクリーンで観ないとね。
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自主映画制作団体 ALIQOUI FILM
最新作「チクタクレス」
小坂本町一丁目映画祭Vol.12 入選
日本芸術センター映像グランプリ ノミネート
まあ私の場合、怒涛の展開に観てる間は殆ど気にならなかったのですけど。
ちなみに記事にも書きましたが、「ゼログラ」に関しても、私はリアルなSFというよりは宗教的な暗喩劇だと解釈していて、その意味ではわりと本作と近い作品だと考えています。
「2001年宇宙の旅」というのは、色んな映画に影響は与えてますけど、やはり孤高の存在なのだなと思います。
あ、ちなみにTB入ってなかったですよ。
実はこれ書いた後にまた仮説を立てまして、ワームホールは出口があるのではなくて、ワームホールの中に縮んだ宇宙があってその中を移動していたのかもしれない、なんても思いました。
ゼログラの宗教的暗喩というのはわかる気がします。下を向きながら亡くなった子供という宇宙の果てよりも遠くに想いをはせるヒロインは、神を拝んでこうべを垂れる人たちっぽいところがありますね。
インターステラーもノーラン風の神話と解釈しましょう。
TBしたつもりでした。きっとブラックホールに飲み込まれたんだと思います。次元の裂け目から再度TBいたします