ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン
↑この度、「ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン」を選出しました。映画好きブロガーを中心とした37名による選出になります。どうぞ00年代の名作・傑作・人気作・問題作の数々を振り返っていってください
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個人的評価: ■■■■□□
[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]
私の企画した「00年代映画ベストテン」の日本映画第8位にランクインした人気作です。
実はその「00年代ベストテン」にランクインした邦洋20作品中、唯一未見の作品だったのが「愛のむきだし」でした。
なので00年代ベストの総括記事では
「00年代最大の問題作。09年度のキネ旬4位、映画芸術1位、映画秘宝5位(外国映画と混成で)と、毛色の違う三誌がこぞって絶賛。映画秘宝のゼロ年代ベストでも6位に。」
と内容に触れずに受賞歴だけ並べた解説を書いたのです。
ともかく見なくてはなるまいと、DVDで二枚組になる本作をレンタルしました。
しかし、人には向き不向きというものがあるものです。
正直、あまりのれませんでした。
4時間という上映時間にも関わらず一気に見れたのは確かです。4時間だろうとも見るものに疲れを感じさせないある種トランス状態にもっていくことをちゃんと計算して作っているからだと思いました。
でも個人的にはベルイマンの5時間の「ファニーとアレクサンデル」とか、ベルトルッチの5時間の「1900年」の方がもっと時間を感じませんでしたけどね。
映画にノリノリになっているかどうかを測るバロメーターとして私の場合は「ギャグシーンでもないのに思わずプハハっと吹き出すか否か」を用いています。「男たちの挽歌2」の場合、もう20~30回は繰り返し見たというのに、いまでも鑑賞中に20回は吹き出します。
「愛のむきだし」を見て吹き出したのは4時間中2回か3回でした。
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個人的にこの映画の何がダメだったかと言えば、やっぱり脚本でしょう。
オープニングの20分間は登場人物に誰一人魅力を感じず、やってることも温くて、まったく面白くありません。
ただ20分たって、唐突に「奇跡まで365日」というテロップが出てくるところはおおっと思いました。
そこからの展開は、悪くはありませんが、映像的に魅力不足です。
パンチラ盗撮にしてもただエグザイルみたなダンスを引きのショットで撮るだけで、アクションの撮り方としてセンスがあるとは思えません。くるくる動くだけの動作なんてワンショットで見せるほど凄いものじゃないんだから、格闘シーンのようにカット割ってテクニックを強調するべきだったと思います。香港映画ならもっと凄い映像になって心から喜べただろうなあと思いました。あんな派手な動き、普通にバレるだろ・・というツッコミが無意味なのはわかるから、そこをとやかくは言いません。
カメラをヨーヨーのようにして股間を盗撮するというのはアイデアとしては面白いのに、それも引きの画で撮って何が面白いんだろう・・・と思います。それこそ「カメラ目線」で撮ればインパクトばっちりの画になったことでしょう。
まあ、そういう所は予算や設備が無くて無理なのでノリ重視にしたのかもしれません。
ただ個人的に残念なのは、盗撮のスーパーテクニックを身につけるには想像を絶する努力と血の滲むような特訓があったハズなのに、その過程をばっさり省いてカリスマ盗撮魔になった結果に一気に飛ぶところです。
盗撮テクニックなど本題ではないといえばそうかも知れませんが、それを描いておけば後半ゼロ教会の合宿に参加してもなお自分を見失わなかった場面に説得力が生まれたことでしょうし、「変態だって変態なりに本気で生きている」的なユウの台詞にも深みが出たでしょう。
それから映像の説得力の無さを説明台詞で誤摩化そうとする安易な発想も気になります。
盗撮仲間たちがパンチラ写真を見せ合い、ユウが盗撮写真のデキで盗撮の後輩に負けるシーン。
ユウの写真も、後輩の写真も、その優劣は映像で何も表現されていません。「イチゴだ」という説明台詞だけですが、イチゴがどうしたと食い下がることだってできるような気がします。少なくとも私はイチゴパンツがそれほど魅力的とは思ってませんし、イチゴのパンツが優れていることを訴えたかったら事前にイチゴパンツの写真がいかに貴重であるかを伏線として説明しておくべきだったでしょう。でもそれはテンポをそぎます。だから、はっきり言えば後輩の写真がパンツはいてないものだったら問答無用だったのです。
そんなこんなで映像にも物語構成にもイマイチ何か凄いものを感じることのできなかった第一章ですが、それでも顔アップ中心で、やたら細かく刻んで、オーバーなアクションと、オーバーな台詞に、単調な音楽をかけて、強制的に見るものをトランス状態にする映像設計はさすが巧いと言わざるを得ません。
ただそれによって得られる興奮は生理現象にすぎず、私はそれを本物の感動とは思いません。ただし生理的興奮もドラマ的感動もどっちも何も無い映画があまりに多い中で、少なくとも興奮は与えてくれる本作は貴重と言えるでしょう。
そうした演出で強引に奇跡までもっていき、映画開始後50分もたってから、ついに「奇跡」の場面になってタイトルを出すというのはいいですね。
そんなこんなでユウを主人公としたいわばアバンタイトルにあたるChapter1は、まあなかなかの面白さだったと言えましょう。
つづくコイケの章は特にどうということも無かったですが、短いので退屈はしません。
つづくヨーコの章も人物紹介として手堅くまとまっていましたね。
ただそれからしばらく、私は非常に退屈を感じました。
学園篇的なパートです。
出会って一目惚れの女の子は、偶然にも同じクラスに転校生としてやってくる。
昔の少年漫画かよ・・・と。そんな物語でないと「愛のむきだし」を表現できないの・・・と。
なにより続けて転校してきたコイケが「さそり」を名乗るところ。
「さそり」の言うことなら何でも信じるヨーコです。ユウが電話一本かければ済むことを、なぜ彼はコイケが家に乗り込んできて家族に取り入るまでの恐らく何日~何週間の間しなかったのでしょう。
またユウとコイケの関係も、ユウにしてみれば直接話をしたのは一度だけの間柄。彼女との因縁が薄いため、コイケが家に乗り込んできてもユウとの間に劇的高揚が生じることはありません。
ここいらの場面を削るとかして、もっと別の場面を膨らませるべきだったのではないかと、つくづく思います。
そしてゼロ教会に入信し回復不能なくらいに洗脳されたヨーコを救うため、ユウと盗撮仲間が彼女を拉致ります。
ここでの洗脳回復の過程が、ただバスの中で何日か一緒に過ごすだけというのも非常に残念です。
その後、満島ひかりの女優魂が炸裂する聖書のコリント書の一説を朗読する件はさすがの迫力です。けど彼女にそれを激昂しながら語る程度のことで洗脳が解けるきっかけになるとは思いません。まして、もとから愛し合っていた二人ならともかく、ヨーコはユウをはじめすべての男たちを心から憎悪してきた娘です(カート・コバーンとキリストを除く)。コイケにナイフを渡されユウのチンポを切っちゃいなと言われた彼女がなぜ躊躇ったのか、正直私にはわかりませんでした。私にわからないだけで何か理由はあったのでしょうから、それは別にいいのですけど。
そしてゼロ教会でのユウの生活が始まります。
しかし洗脳中の信徒が、外部の人間と簡単に接触できたりするというのはどうなんだろう・・・と思います。肝心なところでセキュリティが甘い教団です。
教団というと、本作ではゼロ教団なるカルト教団を「ろくでもないところに決まっている前提」で話を進めます。
実際、どれほどロクでもないことをやっている奴らなのかということが、映画を見ていてもイマイチ伝わってきません。それは「ほらオウムとかあの辺のカルトについての皆さんの知識で補完してください」・・・ということなんでしょうが。繰り返しますが中盤の退屈な学園ドラマを削って、そういうところの尺を増やすべきだったと思うのです。
そんなこんなでユウがヨーコに「ゼロ教団のことなんか信じるな」と説得しますが、ヨーコはもちろん私にも今ひとつ彼の想いは伝わってきません。
そしてクライマックス。やはり残念なのは、盗撮のテクニックが何もいかされないところです。「まさかこんなところで役に立つとは思わなかったぜ」的なシナリオへの組み込みをなぜしなかったのか。まあ、刀で斬りまくるというのも盗撮テクニックの延長だったのかもしれませんが、もちろんそれならそれで刀を使った盗撮シーンを第一章で描くべきでしょう。
もちろん「刀で大暴れ」は、白い壁が鮮血で染まる映像を撮りたかったからというのが一番の理由だと思います。だとしてもヨーコにおける血の意味が事前に脚本の中で提示すべきだったのでは・・・
さて、最終章です。
この最終章が私には「やっと面白くなったところ」でした。
ようやく愛し合う二人に愛による救済が訪れるこのシーン。これを見るための3時間30分だとしたら、なんと遠回りしたことか。
最後にヨーコの乗るパトカーを走って追いかけるユウの姿は、編集とかのテクニックに頼らず走るユウをそのまま撮って、彼の愛の疾走が表現されます。
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以上が私の現段階における率直な感想。
脚本って大事です。
ただ先にも言いましたが、顔アップばかりのカットを細かく刻んで次から次へと映像を切り替え、エモーションでシーンを埋め尽くして思考力を奪い、オーバーで大胆なアクションで視覚的高揚感を与えて、それを単調な音楽(ボレロとかベートーベンの第七とか、ロックっぽい曲とか)でラッピングすることで、観客を生理的な興奮状態に誘う手法は大変勉強になります。またその手法が、新興宗教という題材ともマッチしているし、愛は理屈じゃないという主題ともマッチしているし、やはりデキはいい映画なんだと思います。
でも去年劇場でこれを見ていても、私の年間ベストテンには決して入れなかったでしょう。
それでもこうした低予算で4時間という長丁場の映画が内外で絶賛されるというのは、いいことだと思います。個人的な好みはさておき00年代を代表する映画と呼ぶことに異論はありません。
[追記]
妻はこの映画を大変気に入っているので、これからまた何度か私も本作を見ることになるでしょう。そのうち考えも変わるかもしれません。
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↑この度、「ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン」を選出しました。映画好きブロガーを中心とした37名による選出になります。どうぞ00年代の名作・傑作・人気作・問題作の数々を振り返っていってください
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個人的評価: ■■■■□□
[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]
私の企画した「00年代映画ベストテン」の日本映画第8位にランクインした人気作です。
実はその「00年代ベストテン」にランクインした邦洋20作品中、唯一未見の作品だったのが「愛のむきだし」でした。
なので00年代ベストの総括記事では
「00年代最大の問題作。09年度のキネ旬4位、映画芸術1位、映画秘宝5位(外国映画と混成で)と、毛色の違う三誌がこぞって絶賛。映画秘宝のゼロ年代ベストでも6位に。」
と内容に触れずに受賞歴だけ並べた解説を書いたのです。
ともかく見なくてはなるまいと、DVDで二枚組になる本作をレンタルしました。
しかし、人には向き不向きというものがあるものです。
正直、あまりのれませんでした。
4時間という上映時間にも関わらず一気に見れたのは確かです。4時間だろうとも見るものに疲れを感じさせないある種トランス状態にもっていくことをちゃんと計算して作っているからだと思いました。
でも個人的にはベルイマンの5時間の「ファニーとアレクサンデル」とか、ベルトルッチの5時間の「1900年」の方がもっと時間を感じませんでしたけどね。
映画にノリノリになっているかどうかを測るバロメーターとして私の場合は「ギャグシーンでもないのに思わずプハハっと吹き出すか否か」を用いています。「男たちの挽歌2」の場合、もう20~30回は繰り返し見たというのに、いまでも鑑賞中に20回は吹き出します。
「愛のむきだし」を見て吹き出したのは4時間中2回か3回でした。
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個人的にこの映画の何がダメだったかと言えば、やっぱり脚本でしょう。
オープニングの20分間は登場人物に誰一人魅力を感じず、やってることも温くて、まったく面白くありません。
ただ20分たって、唐突に「奇跡まで365日」というテロップが出てくるところはおおっと思いました。
そこからの展開は、悪くはありませんが、映像的に魅力不足です。
パンチラ盗撮にしてもただエグザイルみたなダンスを引きのショットで撮るだけで、アクションの撮り方としてセンスがあるとは思えません。くるくる動くだけの動作なんてワンショットで見せるほど凄いものじゃないんだから、格闘シーンのようにカット割ってテクニックを強調するべきだったと思います。香港映画ならもっと凄い映像になって心から喜べただろうなあと思いました。あんな派手な動き、普通にバレるだろ・・というツッコミが無意味なのはわかるから、そこをとやかくは言いません。
カメラをヨーヨーのようにして股間を盗撮するというのはアイデアとしては面白いのに、それも引きの画で撮って何が面白いんだろう・・・と思います。それこそ「カメラ目線」で撮ればインパクトばっちりの画になったことでしょう。
まあ、そういう所は予算や設備が無くて無理なのでノリ重視にしたのかもしれません。
ただ個人的に残念なのは、盗撮のスーパーテクニックを身につけるには想像を絶する努力と血の滲むような特訓があったハズなのに、その過程をばっさり省いてカリスマ盗撮魔になった結果に一気に飛ぶところです。
盗撮テクニックなど本題ではないといえばそうかも知れませんが、それを描いておけば後半ゼロ教会の合宿に参加してもなお自分を見失わなかった場面に説得力が生まれたことでしょうし、「変態だって変態なりに本気で生きている」的なユウの台詞にも深みが出たでしょう。
それから映像の説得力の無さを説明台詞で誤摩化そうとする安易な発想も気になります。
盗撮仲間たちがパンチラ写真を見せ合い、ユウが盗撮写真のデキで盗撮の後輩に負けるシーン。
ユウの写真も、後輩の写真も、その優劣は映像で何も表現されていません。「イチゴだ」という説明台詞だけですが、イチゴがどうしたと食い下がることだってできるような気がします。少なくとも私はイチゴパンツがそれほど魅力的とは思ってませんし、イチゴのパンツが優れていることを訴えたかったら事前にイチゴパンツの写真がいかに貴重であるかを伏線として説明しておくべきだったでしょう。でもそれはテンポをそぎます。だから、はっきり言えば後輩の写真がパンツはいてないものだったら問答無用だったのです。
そんなこんなで映像にも物語構成にもイマイチ何か凄いものを感じることのできなかった第一章ですが、それでも顔アップ中心で、やたら細かく刻んで、オーバーなアクションと、オーバーな台詞に、単調な音楽をかけて、強制的に見るものをトランス状態にする映像設計はさすが巧いと言わざるを得ません。
ただそれによって得られる興奮は生理現象にすぎず、私はそれを本物の感動とは思いません。ただし生理的興奮もドラマ的感動もどっちも何も無い映画があまりに多い中で、少なくとも興奮は与えてくれる本作は貴重と言えるでしょう。
そうした演出で強引に奇跡までもっていき、映画開始後50分もたってから、ついに「奇跡」の場面になってタイトルを出すというのはいいですね。
そんなこんなでユウを主人公としたいわばアバンタイトルにあたるChapter1は、まあなかなかの面白さだったと言えましょう。
つづくコイケの章は特にどうということも無かったですが、短いので退屈はしません。
つづくヨーコの章も人物紹介として手堅くまとまっていましたね。
ただそれからしばらく、私は非常に退屈を感じました。
学園篇的なパートです。
出会って一目惚れの女の子は、偶然にも同じクラスに転校生としてやってくる。
昔の少年漫画かよ・・・と。そんな物語でないと「愛のむきだし」を表現できないの・・・と。
なにより続けて転校してきたコイケが「さそり」を名乗るところ。
「さそり」の言うことなら何でも信じるヨーコです。ユウが電話一本かければ済むことを、なぜ彼はコイケが家に乗り込んできて家族に取り入るまでの恐らく何日~何週間の間しなかったのでしょう。
またユウとコイケの関係も、ユウにしてみれば直接話をしたのは一度だけの間柄。彼女との因縁が薄いため、コイケが家に乗り込んできてもユウとの間に劇的高揚が生じることはありません。
ここいらの場面を削るとかして、もっと別の場面を膨らませるべきだったのではないかと、つくづく思います。
そしてゼロ教会に入信し回復不能なくらいに洗脳されたヨーコを救うため、ユウと盗撮仲間が彼女を拉致ります。
ここでの洗脳回復の過程が、ただバスの中で何日か一緒に過ごすだけというのも非常に残念です。
その後、満島ひかりの女優魂が炸裂する聖書のコリント書の一説を朗読する件はさすがの迫力です。けど彼女にそれを激昂しながら語る程度のことで洗脳が解けるきっかけになるとは思いません。まして、もとから愛し合っていた二人ならともかく、ヨーコはユウをはじめすべての男たちを心から憎悪してきた娘です(カート・コバーンとキリストを除く)。コイケにナイフを渡されユウのチンポを切っちゃいなと言われた彼女がなぜ躊躇ったのか、正直私にはわかりませんでした。私にわからないだけで何か理由はあったのでしょうから、それは別にいいのですけど。
そしてゼロ教会でのユウの生活が始まります。
しかし洗脳中の信徒が、外部の人間と簡単に接触できたりするというのはどうなんだろう・・・と思います。肝心なところでセキュリティが甘い教団です。
教団というと、本作ではゼロ教団なるカルト教団を「ろくでもないところに決まっている前提」で話を進めます。
実際、どれほどロクでもないことをやっている奴らなのかということが、映画を見ていてもイマイチ伝わってきません。それは「ほらオウムとかあの辺のカルトについての皆さんの知識で補完してください」・・・ということなんでしょうが。繰り返しますが中盤の退屈な学園ドラマを削って、そういうところの尺を増やすべきだったと思うのです。
そんなこんなでユウがヨーコに「ゼロ教団のことなんか信じるな」と説得しますが、ヨーコはもちろん私にも今ひとつ彼の想いは伝わってきません。
そしてクライマックス。やはり残念なのは、盗撮のテクニックが何もいかされないところです。「まさかこんなところで役に立つとは思わなかったぜ」的なシナリオへの組み込みをなぜしなかったのか。まあ、刀で斬りまくるというのも盗撮テクニックの延長だったのかもしれませんが、もちろんそれならそれで刀を使った盗撮シーンを第一章で描くべきでしょう。
もちろん「刀で大暴れ」は、白い壁が鮮血で染まる映像を撮りたかったからというのが一番の理由だと思います。だとしてもヨーコにおける血の意味が事前に脚本の中で提示すべきだったのでは・・・
さて、最終章です。
この最終章が私には「やっと面白くなったところ」でした。
ようやく愛し合う二人に愛による救済が訪れるこのシーン。これを見るための3時間30分だとしたら、なんと遠回りしたことか。
最後にヨーコの乗るパトカーを走って追いかけるユウの姿は、編集とかのテクニックに頼らず走るユウをそのまま撮って、彼の愛の疾走が表現されます。
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以上が私の現段階における率直な感想。
脚本って大事です。
ただ先にも言いましたが、顔アップばかりのカットを細かく刻んで次から次へと映像を切り替え、エモーションでシーンを埋め尽くして思考力を奪い、オーバーで大胆なアクションで視覚的高揚感を与えて、それを単調な音楽(ボレロとかベートーベンの第七とか、ロックっぽい曲とか)でラッピングすることで、観客を生理的な興奮状態に誘う手法は大変勉強になります。またその手法が、新興宗教という題材ともマッチしているし、愛は理屈じゃないという主題ともマッチしているし、やはりデキはいい映画なんだと思います。
でも去年劇場でこれを見ていても、私の年間ベストテンには決して入れなかったでしょう。
それでもこうした低予算で4時間という長丁場の映画が内外で絶賛されるというのは、いいことだと思います。個人的な好みはさておき00年代を代表する映画と呼ぶことに異論はありません。
[追記]
妻はこの映画を大変気に入っているので、これからまた何度か私も本作を見ることになるでしょう。そのうち考えも変わるかもしれません。
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