自主映画制作工房Stud!o Yunfat 改め ALIQOUI film 映評のページ

映画作りの糧とすべく劇場鑑賞作品中心にネタバレ徹底分析
映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

天然コケッコー [監督:山下敦弘]

2008-03-01 01:36:35 | 映評 2006~2008
個人的評価:■■■■■□ (最高:■■■■■■、最低:■□□□□□)

遅まきながら、やっと観ました。劇場で。

昨年の多くの映画賞で第二位に選ばれた、「2007年度・2番目の作品」
朝日ベストテン映画祭 1位
キネマ旬報ベストテン2位
キネマ旬報読者ベストテン2位
ヨコハマ映画祭 2位
毎日映画コンクール 優秀賞(第2位)
映画芸術ベストテン 3位
日本インターネット映画大賞 3位
おおさかシネマフェスティバル 3位(ただし1位は同じ山下監督の「松ヶ根乱射事件」)

・・・以上の朝日ベストテンを除く全ての映画賞で、1ランク上に「それでもボクはやってない」が選ばれている。
周防監督が新作を発表しなければ、主要映画賞ほぼ総ナメだったに違いない・・・ある意味不運な映画であった。日アカはどのみち「東京タワー」だったろうが。
ま、ともかくシネマセレクトさんの尽力により、わが松本でもやっと観ることが叶ったわけである。

*******
田舎のゆったりした空気に身をゆだねるように、四季折々の表情をみせながら2年間の物語はゆったりと流れる。
原作漫画は読んでないけれど、リアルな季節の移ろいを、リアルな俳優とともに写すことで得られる、時の流れの現実感は漫画や小説やアニメや舞台では表現できるものではないだろう。映像だけに与えられた特権である。
その代わりといってはなんだけど、夏帆ちゃんがリアルに可愛い娘であることに、逆に現実感を遠ざけ、映画というファンタジーであることを認識させられる気がする。ただまあ東京から来たイケメンくんが短期間で魅力感じてチューしたくなるにはかわいい娘である方が説得力あるわけで、イケメンとカワイイの物語である必要性を持たすところが、ファンタジーのくせに巧い。

田舎の四季を美しく描いているからといって、決して田舎賛歌にしていないところもいい。
やはり松ヶ根の監督である。
とはいえ、田舎批判でもない。
東京からきたイケメンくんに心ときめかせ、そのまま東京への憧れにつながる心理
東京への修学旅行で、人の多さに面くらい、慣れない都会につかれる様が描かれる。
田舎と対立するものとして東京を描いているわけではない。ふと耳に手を当て聞こえてくるゴーゴーという音が田舎のそれと変わらないことを知る。
田舎も東京も同じだ。いつか東京の人たちを理解できる時がくるかもしれない・・・と非常に前向きな考えを示す。
スローライフ推奨映画でも、無機的都会の批判物語でもない。
若さゆえの柔軟で未来志向の考え方に心が癒される。
そして女の子は、住み慣れた田舎の学校に別れを告げ、未知の都会(といっても地方都市だが)へと旅立っていく。
都会だから、田舎だから、という紋切り型の思考を排除し、人と人とが理解しあう姿が描かれている。

だが一方で、田舎ゆえの不安な要素も付きまとう。
情報量の極めて少ない生活をおくるそよちゃんは、性の対象としての男は広海くんしか知らない。
ほかにほぼ選択肢がない関係上、とんとん拍子で仲良くなる二人だが、父親の浮気疑惑が、そよちゃんのまだ知らない恋愛の暗黒面への不安をかもし出すのだ。

どちらを向いてもあまり人を見かけず、たまに見かける人は知った顔ばかり・・・という田舎を舞台にした映画を同じ年に二作発表した山下敦弘監督だが、内容的には両極端となっているのが面白い。
「コケッコー」ゆったりした時間の中ですこしずつ育まれる思い
「松ヶ根」は停滞しマンネリ化した田舎の生活で、濁り澱み腐敗した社会と人間が描かれる

「コケッコー」は引きぎみのショットにたっぷり風景を写しこみ、細かく刻まないカット割りで田舎の伸びやかさを印象付ける。
「松ヶ根」はカメラと被写体の距離が近く、長回しも少なく、狭い社会の淀んだ空気感を印象付ける。

「松ヶ根」の家族や住民は長年にわたり蓄積された鬱憤が限界に達しているが、「コケッコー」は中学生や小学生の物語だから不平不満が我慢の限界に達しているわけもなく、容量にたっぷゆとりがある。
だが、「松ヶ根」の監督だ。馴れ合い社会による間隔麻痺が、やんわりと描かれる。佐藤浩市の浮気疑惑であり(結局モトサヤに収まったようだが)、キモダサKYなしげちゃんであったりする。
物語を佐藤浩市視点にして、金塊強奪犯が現れれば「松ヶ根」になるのかもしれない。
松ヶ根にしたって、交番の前をわーいと無邪気に通り過ぎていった小学生たちを主人公にすれば、コケッコーみたいな映画になるかもしれない。姉ちゃんからしかバレンタインチョコをもらったことのない弟は、美女の死体があれば股間をまさぐってしまうのかもしれない。

*******
ところで、キモいしげちゃんを演じた廣末哲萬であるが、2005年公開の高橋泉監督の「ある朝スウプは」で主役を演じた方である。
「ある朝スウプは」は出演ほぼ二人だけ、ロケ地はほぼアパートの一室だけの超低予算映画だが、男女の神経衰弱ギリギリの心理劇がものすごく面白い。特に自主映画撮りたい人の創作意欲を刺激する作品である。2005年度の日本映画監督協会最優秀新人監督賞受賞作である。ちなみに内田けんじ監督の「運命じゃない人」を破っての受賞だ。(受賞発表は2006年の6月くらいなので、すでに評価の固まっていた「運命じゃない人」をあえて避けたのかもしれないが)
その廣末自身も監督として作品を撮っており、高橋泉監督との共同監督ユニットとして「14歳」という作品を作り昨年公開されている(私は未見)
山下監督とそうした同年代の若手監督たちの仲の良さが感じられていい。こういう人たちが20年後には巨匠とか言われるようになっているのかもしれない。

********
いつものように長くなりついでに、もうひとつ
山下作品の魅力は、会話型コミュニケーションの不全が描かれるところにある。
言葉を交わす人物の間で、それぞれの思いにズレが生じ、それがクスリとした笑いになったり、切なさになったりする。
そして、ぺらぺらよく喋る人物より、口数少ない人物の方が、本質を見抜いていたりする。リンダリンダのベースの娘や、ペ・ドゥナや、本作の広海らがそうだ。

言葉を発するもの同士の思いのすれ違いがもっとも巧く面白く描かれていたのは「リンダリンダリンダ」である。
カラオケボックスでペ・ドゥナにワンドリンク制を一所懸命説明しようとする店員と、話のさっぱりわからないペ・ドゥナのやりとり
松山ケンイチがペ・ドゥナに頑張って覚えた韓国語で告白を試みるが、ペ・ドゥナはきょとんとして日本語で友達待ってるからと言い捨てて去っていく
香椎由宇は、韓国語をしゃべるペ・ドゥナと日本語を喋る自分とで普通に会話が成立する夢を見る
ラストの大熱狂につつまれるライブにせよ、決してペ・ドゥナの歌声や、音楽の力によってのみ得られたものではない。たまたま雨に降られ体育館に退避していた生徒たちが、ペ・ドゥナたちが遅刻したおかげで始まった飛び入りライブに聞き惚れテンションが上がっていたからなのだ。だがそれでも熱狂に包まれた体育館の中でペ・ドゥナたちバンドのメンバーが青春の忘れられない一ページを記憶に刻みつけ陶酔している、その気分がビシバシ伝わってきて心を締め付ける。聴衆の1人に「人間には二種類しかいない。スウィングするものとしないものだ」などとわざとらしい説明などさせずとも、気持ちの高ぶりが伝わってくる。・・・が、同時にその場の熱狂する観衆と、バンドメンバーの気持ちがすれ違っていることも判ってしまうのが、微妙な「痛み」となって心に突き刺さるのである。
(余談・・・「リンダリンダリンダ」のラストのライブの盛り上がりが「うそ臭い」などという意見も散見されるが、上記のようにその前までの体育館での描写を丁寧に検証していけば、ラストライブが盛り上がるお膳立てがしっかりできていることが判る。「リンダリンダリンダ」を批判する者たちの大半が賞賛する「スウィング・ガールズ」のラストの盛り上がりの方が私に言わせりゃよほどうそ臭い。偽善とも言える胡散臭さを感じるが、わざとそう感じさせるシニカルさがあるでもない。その辺が同じ女子高生音楽ものでも『リンダリンダリンダ』の方がはるかに優れていると感じる所以である。)

「松ヶ根乱射事件」は、喋って伝えるという行為に対する不信感ともとれる物語となっている。
主人公の父親(三浦友和)は、自然にサラリと、本物の悪人にしか喋れない一言一言を発し、主人公と恋人の間に深い亀裂を生む。
この映画の登場人物たちはよく喋る者たちが多かったが、誰も彼もが想いを巧く伝えることができずに鬱屈している。
そして最終的に観客の感情移入を誘うのは、ほとんど台詞のない、村人たちの性のおもちゃとなっている少女であったりする。
無言で弟をポカポカ殴る兄貴の長回しシーンも同様だろう。言葉にならない思いの方が、きちんと相手に伝わる。

「天然コケッコー」においても、喋っているのにずれていく思いが色々なところに現れている。
そよちゃんは、自分のいらん一言が友達を傷つけている・・・ことをひどく気にしているが、おそらく友達はそよちゃんが思うほどには傷ついていない。喋ることの恐怖感にとりつかれているような、そよちゃんだが、それだからこそ一生懸命喋って広海くんに気持ちを伝えるラストの方が感動できる。
序盤のチューをめぐるやりとりで(山下流に)すれ違いまくっていた2人の気持ちは、ラストのチューでは気持ちがぴたりとシンクロしている。
ちょいと甘い。だがファンタジーと割り切って撮ってるフシもあるので、観るものを安心させるように物語を収束させていく様も狙い通りなのだろう。

山下流の言葉への不信感は、会話で全てを説明し納得させる周防監督とは対照的である。
ただし、言葉で伝える物語の方が一般人には判りやすく受けがよい。言葉の力を信じてメッセージを伝えていこうとする「それボク」が「天コケ」よりつねに一個上に評価されていたのも、その辺によるものかもしれない。
山下作品にはメッセージなんてないし

******
超余談
中国語題は「天然子結構」だって。なんかおかしい

********
↓面白かったらクリックしてね
人気blogランキング

自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第80回アカデミー賞・・・の結果 | トップ | [なんとなく企画]90年代の私... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
松本上映 (sakurai)
2008-03-03 08:26:54
あめでとうございます。
映画見たあとに、漫画が見たくなって、買ってしまったのですが、きもいしげちゃんは、あのまんまでした。
原作にもとっても忠実だったことに意外な驚きがありましたです。
返信する
コメントどうもです (しん)
2008-03-04 22:08:08
>sakuraiさま
じゃあ、原作イメージから廣末哲萬をキャスティングしたんですかね。
きもい奴・・・廣末だな・・・
みたいな
そういえば「ある朝スウプは」も相当きもい役でした
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映評 2006~2008」カテゴリの最新記事