江戸時代中期以降、西洋数学とは異なった数学、和算が日本で発展しました。
和算の根底は実際には実に細密な作業を行うものでした。
例えば、円の面積を求める方法は、円の形を無数の長方形の集まりと考えて、この長方形の面積を合計する方法で行っていました。
(現代数学の積分に通じるところがあります)
久留米藩の第七代藩主、有馬頼徸(よりゆき)(1714年~1783年)
は算術大名として知られています。
関流数学(和算)を学び、前述のやり方を応用して、それまで52桁までしか知られていなかった円周率をさらに30桁算出しました。
また当時、流派内に秘されていた公式や解法を公表して和算をさらに発展させるきっかけをつくりました。
このように数学家としては業績を残していますが、政治家としては、領内に一揆が頻発するなど、苦労が絶えなかったようです。
学問を現実の社会にどのように応用していくのか、ということを考える時の一つの例になるのではと思います。
(yos)
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