こんにちは、駿台ミシガンです。
詩的な年齢というと、これはもう17歳、一択だと思います。Stevie Nicksの「Edge pf Seventeen」、尾崎豊さんの「十七歳の地図」や、南沙織さんの、あるいは森高千里のさんの「十七歳」は、いずれも時代を代表する名曲です。
ここで着目したいのが、タイトルに17歳と入ることで、そこからすでに詩的世界が動き出しているという点です。「Edge of Seventeen」では、悲しく苦しくもどかしい思いを、白いハトが自分の代わりにないているさまが歌われています。「十七歳」では「好きなんだもの/わたしは今生きている」という、きらきらした思いが描かれています(いいですねえ)。これらの歌は、17歳の心象を歌ったものなのだ、という前提があるからこそ、この世界観の存在が可能となっています。尾崎豊さんが「半分大人のSeventeen's map」と歌っているように、もうじきおとな、でもまだおとなではない、17歳はそうした世代です。17歳という年齢は、ひとつの記号として認知されているのです。16でも18でもだめで、悲しんで苦しんで、喜びはじけて、という二面性を存分に内包し、それが社会的に脊髄反射のように即時的に理解されているのが、17歳という年齢なのだといえましょう。
駿台にも、そうした「17歳」の記号を背負った多くの生徒が在籍し、学んでいます。学ぶことは苦しいかもしれない。壁にぶつかり、なかなかその先に行けずにあがいているかもしれない。でも、何のために苦しいのか、あがくのか。背反した思いを抱えて一心に学んでいる君たちです。
そうした君たちを、17歳という記号をかつて付していた私たちが、応援していきます。強い気持ちで学んでいってください。
駿台ミシガン国際学院 S.T