今日、私は、*There is also a saying that in Japan there is the child is father to the man. It is impossible to obey Tsujimoto's reflections and obedience obediently. *
今日、私は、「日本には三つ子の魂100までという格言がある。辻本清美の反省を素直には聞けない。」と書いて、ペンを置いたのだが。
一日も置かずして、私の推測が正しかった事も証明されている有様だった。
それにしても、数年前から、こういう人間を持ち上げて、反安倍政権の急先鋒に祭り上げて来た朝日新聞社は、どこまで売国奴的、国賊的新聞社なのだろうか。
国連や、特別報道官などと言う人間達は、辻本や朝日新聞社は、中国なら、良くて重罪、国家反逆罪で死罪になっている事を、一度、考えてから、日本に対してものを言った方が良いのである。
つまり、日本は、民主主義が行きすぎていると言っても過言ではない国なのだから。
以下は、今日の産経新聞フロントページの産経抄からである。
文中強調と*~*は私。
前文略。
辻元氏は、昭和62年出版の著書で皇室について「ああいう一族がいる近くで空気を吸いたくない」
「天皇とあの一族の気持ち悪さ」などと記していた。
これに関して8日の憲法審では、約30年前の学生時代の発言だったと強調した上で、「考えが一面的だったと痛感し、深く反省した」と述べた。
人の思想や考え方はうつろいやすいものだし、知識や経験が深まるにつれ、昔の自分を恥ずかしく思うこともごく普通の話である。
「憲法に規定されている象徴天皇を尊重しなければならない」。
辻元氏は憲法審でこうも語っていた。
ただ、一抹の疑問も残る。
何も30年もさかのぼらずとも、辻元氏は衆院議員となった後の平成10年出版の著書でもこう書いている。
「(憲法)第一条から第八条までの天皇に関する規定を削除すべきだ」
「天皇制について、私は個人的に反対。やっぱり抵抗がある」
同様に、12年出版の著書にも「憲法第一章の天皇に関する規定、第一条から八条までを削除したらいい」
「正確には『天皇制廃止』ではない。憲法から天皇に関する規定をはずす」とある。
憲法に規定がある以上は尊重するが、本心は別ということか。
*このコラムの筆者と私は、彼女の本心が別である事を見抜いていたのである*
孔子はこうも慨嘆している。
「自分の過失を認めてわれとわが心に責めることのできる人を、わたしは見たことがない」。
たとえどうであれ、小欄は個人の思想と良心の自由を尊重するものだが。