文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

日本人にとって「歴史」は実証的に記述すればよい、人文社会科学である。信仰などではない。

2018年10月10日 10時36分03秒 | 日記

以下は前章の続きである。

日本は神々がいる有神論地帯であるにかかわらず、異民族との宗教戦争を経験したことがない。

対立や抗争があれば、自らの信仰に自覚的にならざるを得ないが、この自覚が民族として脱落している。

前に述べた、奴隷制や宦官や宮刑のような「人間の家畜視」ができないという、民族にとっての脱落部分と同様の「脱落のプロトコル」(脱落命題)である。

これについて、呉智英氏がよく分からないという(『週刊ポスト』2018年8月3日号)ので説明しておく。

民族とは何かといえば、「因果ストーリを共有する人々」のことである。

囚果ストーリとは、「歴史、文法、慣習、常識」などのことを言う。こうなればこういう行動をとるとか、こう喋ればうまく通じるとか、「こうするとこうなる」式の因果のストーリである。

これを豊かにするのが文化だ。

刺し身はこう切ると日本料理が美しくなるとか、そういう体得の集積である。

以上のような根拠のある実体として「民族」があるが、この「民族」は十全なものではなく、アプリオリに欠落を伴っている。

「人間の家畜視」ができず、「奴隷」がどうしても分からない「日本民族」には、これが命題だ。

なぜならば、これが分からないと、ソ連人にシベリアに奴隷として捕囚されても、「シベリア抑留」だと思ってしまう。

韓国人に「慰安婦は性奴隷だ」と言われても、違うと言い返せない。

ぬれぎぬを着せられ、「日本民族」を弱めてしまう。 

だから、命題として学習しなければならないのだ。

といっても、実践する必要はないし、そんなことは現代ではできない。知覚経験はないのだから思考経験として学習すればよいのである。

そして二度と外国に「ハメられる」ことのないように注意する。

ゆえに「脱落のプロトコル」と呼ぶことにした。

日本人にとって「歴史」は実証的に記述すればよい、人文社会科学である。

信仰などではない。

ところが中韓にとっては「歴史」が神に代わる信仰であることに気づかなかった。

そして彼らの戦争に巻き込まれ、最後まで信仰に対して科学で対処しようとしたのである。

それが、日韓歴史共同研究であり、日中歴史共同研究であった。

この稿続く。


といっても、実践する必要はないし、そんなことは現代ではできない。知覚経験はないのだから思考経験として学習すればよいのである

2018年10月10日 10時34分26秒 | 日記

以下は前章の続きである。

日本は神々がいる有神論地帯であるにかかわらず、異民族との宗教戦争を経験したことがない。

対立や抗争があれば、自らの信仰に自覚的にならざるを得ないが、この自覚が民族として脱落している。

前に述べた、奴隷制や宦官や宮刑のような「人間の家畜視」ができないという、民族にとっての脱落部分と同様の「脱落のプロトコル」(脱落命題)である。

これについて、呉智英氏がよく分からないという(『週刊ポスト』2018年8月3日号)ので説明しておく。

民族とは何かといえば、「因果ストーリを共有する人々」のことである。

囚果ストーリとは、「歴史、文法、慣習、常識」などのことを言う。こうなればこういう行動をとるとか、こう喋ればうまく通じるとか、「こうするとこうなる」式の因果のストーリである。

これを豊かにするのが文化だ。

刺し身はこう切ると日本料理が美しくなるとか、そういう体得の集積である。

以上のような根拠のある実体として「民族」があるが、この「民族」は十全なものではなく、アプリオリに欠落を伴っている。

「人間の家畜視」ができず、「奴隷」がどうしても分からない「日本民族」には、これが命題だ。

なぜならば、これが分からないと、ソ連人にシベリアに奴隷として捕囚されても、「シベリア抑留」だと思ってしまう。

韓国人に「慰安婦は性奴隷だ」と言われても、違うと言い返せない。

ぬれぎぬを着せられ、「日本民族」を弱めてしまう。 

だから、命題として学習しなければならないのだ。

といっても、実践する必要はないし、そんなことは現代ではできない。知覚経験はないのだから思考経験として学習すればよいのである。

そして二度と外国に「ハメられる」ことのないように注意する。

ゆえに「脱落のプロトコル」と呼ぶことにした。

日本人にとって「歴史」は実証的に記述すればよい、人文社会科学である。

信仰などではない。

ところが中韓にとっては「歴史」が神に代わる信仰であることに気づかなかった。

そして彼らの戦争に巻き込まれ、最後まで信仰に対して科学で対処しようとしたのである。

それが、日韓歴史共同研究であり、日中歴史共同研究であった。

この稿続く。


韓国人に「慰安婦は性奴隷だ」と言われても、違うと言い返せない。ぬれぎぬを着せられ、「日本民族」を弱めてしまう

2018年10月10日 10時32分32秒 | 日記

以下は前章の続きである。

日本は神々がいる有神論地帯であるにかかわらず、異民族との宗教戦争を経験したことがない。

対立や抗争があれば、自らの信仰に自覚的にならざるを得ないが、この自覚が民族として脱落している。

前に述べた、奴隷制や宦官や宮刑のような「人間の家畜視」ができないという、民族にとっての脱落部分と同様の「脱落のプロトコル」(脱落命題)である。

これについて、呉智英氏がよく分からないという(『週刊ポスト』2018年8月3日号)ので説明しておく。

民族とは何かといえば、「因果ストーリを共有する人々」のことである。

囚果ストーリとは、「歴史、文法、慣習、常識」などのことを言う。こうなればこういう行動をとるとか、こう喋ればうまく通じるとか、「こうするとこうなる」式の因果のストーリである。

これを豊かにするのが文化だ。

刺し身はこう切ると日本料理が美しくなるとか、そういう体得の集積である。

以上のような根拠のある実体として「民族」があるが、この「民族」は十全なものではなく、アプリオリに欠落を伴っている。

「人間の家畜視」ができず、「奴隷」がどうしても分からない「日本民族」には、これが命題だ。

なぜならば、これが分からないと、ソ連人にシベリアに奴隷として捕囚されても、「シベリア抑留」だと思ってしまう。

韓国人に「慰安婦は性奴隷だ」と言われても、違うと言い返せない。

ぬれぎぬを着せられ、「日本民族」を弱めてしまう。 

だから、命題として学習しなければならないのだ。

といっても、実践する必要はないし、そんなことは現代ではできない。知覚経験はないのだから思考経験として学習すればよいのである。そして二度と外国に「ハメられる」ことのないように注意する。

ゆえに「脱落のプロトコル」と呼ぶことにした。

日本人にとって「歴史」は実証的に記述すればよい、人文社会科学である。

信仰などではない。

ところが中韓にとっては「歴史」が神に代わる信仰であることに気づかなかった。

そして彼らの戦争に巻き込まれ、最後まで信仰に対して科学で対処しようとしたのである。

それが、日韓歴史共同研究であり、日中歴史共同研究であった。

この稿続く。


なぜならば、これが分からないと、ソ連人にシベリアに奴隷として捕囚されても、「シベリア抑留」だと思ってしまう。

2018年10月10日 10時31分28秒 | 日記

以下は前章の続きである。

日本は神々がいる有神論地帯であるにかかわらず、異民族との宗教戦争を経験したことがない。

対立や抗争があれば、自らの信仰に自覚的にならざるを得ないが、この自覚が民族として脱落している。

前に述べた、奴隷制や宦官や宮刑のような「人間の家畜視」ができないという、民族にとっての脱落部分と同様の「脱落のプロトコル」(脱落命題)である。

これについて、呉智英氏がよく分からないという(『週刊ポスト』2018年8月3日号)ので説明しておく。

民族とは何かといえば、「因果ストーリを共有する人々」のことである。

囚果ストーリとは、「歴史、文法、慣習、常識」などのことを言う。こうなればこういう行動をとるとか、こう喋ればうまく通じるとか、「こうするとこうなる」式の因果のストーリである。

これを豊かにするのが文化だ。

刺し身はこう切ると日本料理が美しくなるとか、そういう体得の集積である。

以上のような根拠のある実体として「民族」があるが、この「民族」は十全なものではなく、アプリオリに欠落を伴っている。

「人間の家畜視」ができず、「奴隷」がどうしても分からない「日本民族」には、これが命題だ。

なぜならば、これが分からないと、ソ連人にシベリアに奴隷として捕囚されても、「シベリア抑留」だと思ってしまう。

韓国人に「慰安婦は性奴隷だ」と言われても、違うと言い返せない。

ぬれぎぬを着せられ、「日本民族」を弱めてしまう。 

だから、命題として学習しなければならないのだ。

といっても、実践する必要はないし、そんなことは現代ではできない。知覚経験はないのだから思考経験として学習すればよいのである。そして二度と外国に「ハメられる」ことのないように注意する。

ゆえに「脱落のプロトコル」と呼ぶことにした。

日本人にとって「歴史」は実証的に記述すればよい、人文社会科学である。

信仰などではない。

ところが中韓にとっては「歴史」が神に代わる信仰であることに気づかなかった。

そして彼らの戦争に巻き込まれ、最後まで信仰に対して科学で対処しようとしたのである。

それが、日韓歴史共同研究であり、日中歴史共同研究であった。

この稿続く。


囚果ストーリとは、「歴史、文法、慣習、常識」などのことを言う。こうなればこういう行動をとるとか、こう喋ればうまく通じるとか、

2018年10月10日 10時30分01秒 | 日記

以下は前章の続きである。

日本は神々がいる有神論地帯であるにかかわらず、異民族との宗教戦争を経験したことがない。

対立や抗争があれば、自らの信仰に自覚的にならざるを得ないが、この自覚が民族として脱落している。

前に述べた、奴隷制や宦官や宮刑のような「人間の家畜視」ができないという、民族にとっての脱落部分と同様の「脱落のプロトコル」(脱落命題)である。

これについて、呉智英氏がよく分からないという(『週刊ポスト』2018年8月3日号)ので説明しておく。

民族とは何かといえば、「因果ストーリを共有する人々」のことである。

囚果ストーリとは、「歴史、文法、慣習、常識」などのことを言う。こうなればこういう行動をとるとか、こう喋ればうまく通じるとか、「こうするとこうなる」式の因果のストーリである。

これを豊かにするのが文化だ。

刺し身はこう切ると日本料理が美しくなるとか、そういう体得の集積である。

以上のような根拠のある実体として「民族」があるが、この「民族」は十全なものではなく、アプリオリに欠落を伴っている。

「人間の家畜視」ができず、「奴隷」がどうしても分からない「日本民族」には、これが命題だ。

なぜならば、これが分からないと、ソ連人にシベリアに奴隷として捕囚されても、「シベリア抑留」だと思ってしまう。

韓国人に「慰安婦は性奴隷だ」と言われても、違うと言い返せない。ぬれぎぬを着せられ、「日本民族」を弱めてしまう。 

だから、命題として学習しなければならないのだ。

といっても、実践する必要はないし、そんなことは現代ではできない。知覚経験はないのだから思考経験として学習すればよいのである。そして二度と外国に「ハメられる」ことのないように注意する。

ゆえに「脱落のプロトコル」と呼ぶことにした。

日本人にとって「歴史」は実証的に記述すればよい、人文社会科学である。

信仰などではない。

ところが中韓にとっては「歴史」が神に代わる信仰であることに気づかなかった。

そして彼らの戦争に巻き込まれ、最後まで信仰に対して科学で対処しようとしたのである。

それが、日韓歴史共同研究であり、日中歴史共同研究であった。

この稿続く。


奴隷制や宦官や宮刑のような「人間の家畜視」ができないという、民族にとっての脱落部分と同様の「脱落のプロトコル」(脱落命題)である

2018年10月10日 10時28分42秒 | 日記

以下は前章の続きである。

日本は神々がいる有神論地帯であるにかかわらず、異民族との宗教戦争を経験したことがない。

対立や抗争があれば、自らの信仰に自覚的にならざるを得ないが、この自覚が民族として脱落している。

前に述べた、奴隷制や宦官や宮刑のような「人間の家畜視」ができないという、民族にとっての脱落部分と同様の「脱落のプロトコル」(脱落命題)である。

これについて、呉智英氏がよく分からないという(『週刊ポスト』2018年8月3日号)ので説明しておく。

民族とは何かといえば、「因果ストーリを共有する人々」のことである。

囚果ストーリとは、「歴史、文法、慣習、常識」などのことを言う。こうなればこういう行動をとるとか、こう喋ればうまく通じるとか、「こうするとこうなる」式の因果のストーリである。

これを豊かにするのが文化だ。

刺し身はこう切ると日本料理が美しくなるとか、そういう体得の集積である。

以上のような根拠のある実体として「民族」があるが、この「民族」は十全なものではなく、アプリオリに欠落を伴っている。

「人間の家畜視」ができず、「奴隷」がどうしても分からない「日本民族」には、これが命題だ。

なぜならば、これが分からないと、ソ連人にシベリアに奴隷として捕囚されても、「シベリア抑留」だと思ってしまう。

韓国人に「慰安婦は性奴隷だ」と言われても、違うと言い返せない。ぬれぎぬを着せられ、「日本民族」を弱めてしまう。 

だから、命題として学習しなければならないのだ。

といっても、実践する必要はないし、そんなことは現代ではできない。知覚経験はないのだから思考経験として学習すればよいのである。そして二度と外国に「ハメられる」ことのないように注意する。

ゆえに「脱落のプロトコル」と呼ぶことにした。

日本人にとって「歴史」は実証的に記述すればよい、人文社会科学である。

信仰などではない。

ところが中韓にとっては「歴史」が神に代わる信仰であることに気づかなかった。

そして彼らの戦争に巻き込まれ、最後まで信仰に対して科学で対処しようとしたのである。

それが、日韓歴史共同研究であり、日中歴史共同研究であった。

この稿続く。


日本は神々がいる有神論地帯であるにかかわらず、異民族との宗教戦争を経験したことがない。

2018年10月10日 10時27分24秒 | 日記

以下は前章の続きである。

日本は神々がいる有神論地帯であるにかかわらず、異民族との宗教戦争を経験したことがない。

対立や抗争があれば、自らの信仰に自覚的にならざるを得ないが、この自覚が民族として脱落している。

前に述べた、奴隷制や宦官や宮刑のような「人間の家畜視」ができないという、民族にとっての脱落部分と同様の「脱落のプロトコル」(脱落命題)である。

これについて、呉智英氏がよく分からないという(『週刊ポスト』2018年8月3日号)ので説明しておく。

民族とは何かといえば、「因果ストーリを共有する人々」のことである。

囚果ストーリとは、「歴史、文法、慣習、常識」などのことを言う。こうなればこういう行動をとるとか、こう喋ればうまく通じるとか、「こうするとこうなる」式の因果のストーリである。

これを豊かにするのが文化だ。

刺し身はこう切ると日本料理が美しくなるとか、そういう体得の集積である。

以上のような根拠のある実体として「民族」があるが、この「民族」は十全なものではなく、アプリオリに欠落を伴っている。

「人間の家畜視」ができず、「奴隷」がどうしても分からない「日本民族」には、これが命題だ。

なぜならば、これが分からないと、ソ連人にシベリアに奴隷として捕囚されても、「シベリア抑留」だと思ってしまう。

韓国人に「慰安婦は性奴隷だ」と言われても、違うと言い返せない。ぬれぎぬを着せられ、「日本民族」を弱めてしまう。 

だから、命題として学習しなければならないのだ。

といっても、実践する必要はないし、そんなことは現代ではできない。知覚経験はないのだから思考経験として学習すればよいのである。そして二度と外国に「ハメられる」ことのないように注意する。

ゆえに「脱落のプロトコル」と呼ぶことにした。

日本人にとって「歴史」は実証的に記述すればよい、人文社会科学である。

信仰などではない。

ところが中韓にとっては「歴史」が神に代わる信仰であることに気づかなかった。

そして彼らの戦争に巻き込まれ、最後まで信仰に対して科学で対処しようとしたのである。

それが、日韓歴史共同研究であり、日中歴史共同研究であった。

この稿続く。


we are caught up in their war and tried to cope with faith by science to the very end

2018年10月10日 10時25分02秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

Japan has never experienced religious warfare with other peoples, regardless of whether it is a theistic zone where gods exist.

If there is a confrontation or conflict, we cannot help being self-conscious of our own faith, but this awareness has fallen out as a nation.

It is a ‘dropout protocol’ (dropout proposition) similar to the dropout part for the nation that the ‘looking at humans as domestic animals’ like slavery, eunuch or ancient Chinese punishment cannot be done.

I will explain about this because Kure Tomofusa does not know well (‘Weekly Post’ August 3, 2018 issue).

Speaking of something about ethnic groups is ‘people who share causal stories.’

Causal story refers to ‘history, grammar, custom, common sense’ and so on.

It is a causal story of 'it is such an action if like this' or 'it is well-informed successfully if talking so', or 'It is like this when doing so' style.

It is culture to enrich this.

It is an accumulation of such comprehension that sashimi cuts like this and makes Japanese food beautiful.

There is an ‘ethnic group’ as a basis having such a basis as described above, but this ‘ethnic group’ is not perfect, and it is accompanied by a lacking a priori.

This is a proposition for the ‘Japanese people’ who cannot ‘looking at humans as domestic animals’ and cannot understand ‘slaves’ absolutely.

If we do not know this, we think that it is captured as a slave by Soviet people in Siberia, 'Siberian detention'.

Even if told that it does 'the comfort woman is a sexual slave' by the Korean, it is not possible to retort that it is different.

Being falsely accused, weakening ‘Japanese race’.

So, we have to learn as a proposition.

However, there is no need to practice, such a thing cannot be done in modern times.

Since there is no perceptual experience, you can learn as a thinking experience.

Be careful not to fall a trap into a foreign country again.

Therefore, I decided to call ‘Protocol of dropping out’.

For the Japanese, ‘history’ is a humanities social science that only needs to be described empirically.

It is not faith.

However, for China and South Korea, we did not notice that ‘history’ is an alternative to God.

And we are caught up in their war and tried to cope with faith by science to the very end.

That is a collaborative research between Japan and Korea and a joint research between Japan and China.

This draft continues.


for China and South Korea, we did not notice that ‘history’ is an alternative to God

2018年10月10日 10時22分22秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

Japan has never experienced religious warfare with other peoples, regardless of whether it is a theistic zone where gods exist.

If there is a confrontation or conflict, we cannot help being self-conscious of our own faith, but this awareness has fallen out as a nation.

It is a ‘dropout protocol’ (dropout proposition) similar to the dropout part for the nation that the ‘looking at humans as domestic animals’ like slavery, eunuch or ancient Chinese punishment cannot be done.

I will explain about this because Kure Tomofusa does not know well (‘Weekly Post’ August 3, 2018 issue).

Speaking of something about ethnic groups is ‘people who share causal stories.’

Causal story refers to ‘history, grammar, custom, common sense’ and so on.

It is a causal story of 'it is such an action if like this' or 'it is well-informed successfully if talking so', or 'It is like this when doing so' style.

It is culture to enrich this.

It is an accumulation of such comprehension that sashimi cuts like this and makes Japanese food beautiful.

There is an ‘ethnic group’ as a basis having such a basis as described above, but this ‘ethnic group’ is not perfect, and it is accompanied by a lacking a priori.

This is a proposition for the ‘Japanese people’ who cannot ‘looking at humans as domestic animals’ and cannot understand ‘slaves’ absolutely.

If we do not know this, we think that it is captured as a slave by Soviet people in Siberia, 'Siberian detention'.

Even if told that it does 'the comfort woman is a sexual slave' by the Korean, it is not possible to retort that it is different.

Being falsely accused, weakening ‘Japanese race’.

So, we have to learn as a proposition.

However, there is no need to practice, such a thing cannot be done in modern times.

Since there is no perceptual experience, you can learn as a thinking experience.

Be careful not to fall a trap into a foreign country again.

Therefore, I decided to call ‘Protocol of dropping out’.

For the Japanese, ‘history’ is a humanities social science that only needs to be described empirically.

It is not faith.

However, for China and South Korea, we did not notice that ‘history’ is an alternative to God.

And we are caught up in their war and tried to cope with faith by science to the very end.

That is a collaborative research between Japan and Korea and a joint research between Japan and China.

This draft continues.


Be careful not to fall a trap into a foreign country again.

2018年10月10日 10時18分46秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

Japan has never experienced religious warfare with other peoples, regardless of whether it is a theistic zone where gods exist.

If there is a confrontation or conflict, we cannot help being self-conscious of our own faith, but this awareness has fallen out as a nation.

It is a ‘dropout protocol’ (dropout proposition) similar to the dropout part for the nation that the ‘looking at humans as domestic animals’ like slavery, eunuch or ancient Chinese punishment cannot be done.

I will explain about this because Kure Tomofusa does not know well (‘Weekly Post’ August 3, 2018 issue).

Speaking of something about ethnic groups is ‘people who share causal stories.’

Causal story refers to ‘history, grammar, custom, common sense’ and so on.

It is a causal story of 'it is such an action if like this' or 'it is well-informed successfully if talking so', or 'It is like this when doing so' style.

It is culture to enrich this.

It is an accumulation of such comprehension that sashimi cuts like this and makes Japanese food beautiful.

There is an ‘ethnic group’ as a basis having such a basis as described above, but this ‘ethnic group’ is not perfect, and it is accompanied by a lacking a priori.

This is a proposition for the ‘Japanese people’ who cannot ‘looking at humans as domestic animals’ and cannot understand ‘slaves’ absolutely.

If we do not know this, we think that it is captured as a slave by Soviet people in Siberia, 'Siberian detention'.

Even if told that it does 'the comfort woman is a sexual slave' by the Korean, it is not possible to retort that it is different.

Being falsely accused, weakening ‘Japanese race’.

So, we have to learn as a proposition.

However, there is no need to practice, such a thing cannot be done in modern times.

Since there is no perceptual experience, you can learn as a thinking experience.

Be careful not to fall a trap into a foreign country again.

Therefore, I decided to call ‘Protocol of dropping out’.

For the Japanese, ‘history’ is a humanities social science that only needs to be described empirically.

It is not faith.

However, for China and South Korea, we did not notice that ‘history’ is an alternative to God.

And we are caught up in their war and tried to cope with faith by science to the very end.

That is a collaborative research between Japan and Korea and a joint research between Japan and China.

This draft continues.


Since there is no perceptual experience, you can learn as a thinking experience.

2018年10月10日 10時16分44秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

Japan has never experienced religious warfare with other peoples, regardless of whether it is a theistic zone where gods exist.

If there is a confrontation or conflict, we cannot help being self-conscious of our own faith, but this awareness has fallen out as a nation.

It is a ‘dropout protocol’ (dropout proposition) similar to the dropout part for the nation that the ‘looking at humans as domestic animals’ like slavery, eunuch or ancient Chinese punishment cannot be done.

I will explain about this because Kure Tomofusa does not know well (‘Weekly Post’ August 3, 2018 issue).

Speaking of something about ethnic groups is ‘people who share causal stories.’

Causal story refers to ‘history, grammar, custom, common sense’ and so on.

It is a causal story of 'it is such an action if like this' or 'it is well-informed successfully if talking so', or 'It is like this when doing so' style.

It is culture to enrich this.

It is an accumulation of such comprehension that sashimi cuts like this and makes Japanese food beautiful.

There is an ‘ethnic group’ as a basis having such a basis as described above, but this ‘ethnic group’ is not perfect, and it is accompanied by a lacking a priori.

This is a proposition for the ‘Japanese people’ who cannot ‘looking at humans as domestic animals’ and cannot understand ‘slaves’ absolutely.

If we do not know this, we think that it is captured as a slave by Soviet people in Siberia, 'Siberian detention'.

Even if told that it does 'the comfort woman is a sexual slave' by the Korean, it is not possible to retort that it is different.

Being falsely accused, weakening ‘Japanese race’.

So, we have to learn as a proposition.

However, there is no need to practice, such a thing cannot be done in modern times.

Since there is no perceptual experience, you can learn as a thinking experience.

Be careful not to fall 'a trap' into a foreign country again.

Therefore, I decided to call ‘Protocol of dropping out’.

For the Japanese, ‘history’ is a humanities social science that only needs to be described empirically.

It is not faith.

However, for China and South Korea, we did not notice that ‘history’ is an alternative to God.

And we are caught up in their war and tried to cope with faith by science to the very end.

That is a collaborative research between Japan and Korea and a joint research between Japan and China.

This draft continues.


However, there is no need to practice, such a thing cannot be done in modern times

2018年10月10日 10時15分44秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

Japan has never experienced religious warfare with other peoples, regardless of whether it is a theistic zone where gods exist.

If there is a confrontation or conflict, we cannot help being self-conscious of our own faith, but this awareness has fallen out as a nation.

It is a ‘dropout protocol’ (dropout proposition) similar to the dropout part for the nation that the ‘looking at humans as domestic animals’ like slavery, eunuch or ancient Chinese punishment cannot be done.

I will explain about this because Kure Tomofusa does not know well (‘Weekly Post’ August 3, 2018 issue).

Speaking of something about ethnic groups is ‘people who share causal stories.’

Causal story refers to ‘history, grammar, custom, common sense’ and so on.

It is a causal story of 'it is such an action if like this' or 'it is well-informed successfully if talking so', or 'It is like this when doing so' style.

It is culture to enrich this.

It is an accumulation of such comprehension that sashimi cuts like this and makes Japanese food beautiful.

There is an ‘ethnic group’ as a basis having such a basis as described above, but this ‘ethnic group’ is not perfect, and it is accompanied by a lacking a priori.

This is a proposition for the ‘Japanese people’ who cannot ‘looking at humans as domestic animals’ and cannot understand ‘slaves’ absolutely.

If we do not know this, we think that it is captured as a slave by Soviet people in Siberia, 'Siberian detention'.

Even if told that it does 'the comfort woman is a sexual slave' by the Korean, it is not possible to retort that it is different.

Being falsely accused, weakening ‘Japanese race’.

So, we have to learn as a proposition.

However, there is no need to practice, such a thing cannot be done in modern times.

Since there is no perceptual experience, you can learn as a thinking experience.

Be careful not to fall 'a trap' into a foreign country again.

Therefore, I decided to call ‘Protocol of dropping out’.

For the Japanese, ‘history’ is a humanities social science that only needs to be described empirically.

It is not faith.

However, for China and South Korea, we did not notice that ‘history’ is an alternative to God.

And we are caught up in their war and tried to cope with faith by science to the very end.

That is a collaborative research between Japan and Korea and a joint research between Japan and China.

This draft continues.


Being falsely accused, weakening ‘Japanese race’.

2018年10月10日 10時14分18秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

Japan has never experienced religious warfare with other peoples, regardless of whether it is a theistic zone where gods exist.

If there is a confrontation or conflict, we cannot help being self-conscious of our own faith, but this awareness has fallen out as a nation.

It is a ‘dropout protocol’ (dropout proposition) similar to the dropout part for the nation that the ‘looking at humans as domestic animals’ like slavery, eunuch or ancient Chinese punishment cannot be done.

I will explain about this because Kure Tomofusa does not know well (‘Weekly Post’ August 3, 2018 issue).

Speaking of something about ethnic groups is ‘people who share causal stories.’

Causal story refers to ‘history, grammar, custom, common sense’ and so on.

It is a causal story of 'it is such an action if like this' or 'it is well-informed successfully if talking so', or 'It is like this when doing so' style.

It is culture to enrich this.

It is an accumulation of such comprehension that sashimi cuts like this and makes Japanese food beautiful.

There is an ‘ethnic group’ as a basis having such a basis as described above, but this ‘ethnic group’ is not perfect, and it is accompanied by a lacking a priori.

This is a proposition for the ‘Japanese people’ who cannot ‘looking at humans as domestic animals’ and cannot understand ‘slaves’ absolutely.

If we do not know this, we think that it is captured as a slave by Soviet people in Siberia, 'Siberian detention'.

Even if told that it does 'the comfort woman is a sexual slave' by the Korean, it is not possible to retort that it is different.

Being falsely accused, weakening ‘Japanese race’.

So, we have to learn as a proposition.

However, there is no need to practice, such a thing cannot be done in modern times.

Since there is no perceptual experience, you can learn as a thinking experience.

Be careful not to fall 'a trap' into a foreign country again.

Therefore, I decided to call ‘Protocol of dropping out’.

For the Japanese, ‘history’ is a humanities social science that only needs to be described empirically.

It is not faith.

However, for China and South Korea, we did not notice that ‘history’ is an alternative to God.

And we are caught up in their war and tried to cope with faith by science to the very end.

That is a collaborative research between Japan and Korea and a joint research between Japan and China.

This draft continues.


Even if told that it does 'the comfort woman is a sexual slave' by the Korean,

2018年10月10日 10時12分56秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

Japan has never experienced religious warfare with other peoples, regardless of whether it is a theistic zone where gods exist.

If there is a confrontation or conflict, we cannot help being self-conscious of our own faith, but this awareness has fallen out as a nation.

It is a ‘dropout protocol’ (dropout proposition) similar to the dropout part for the nation that the ‘looking at humans as domestic animals’ like slavery, eunuch or ancient Chinese punishment cannot be done.

I will explain about this because Kure Tomofusa does not know well (‘Weekly Post’ August 3, 2018 issue).

Speaking of something about ethnic groups is ‘people who share causal stories.’

Causal story refers to ‘history, grammar, custom, common sense’ and so on.

It is a causal story of 'it is such an action if like this' or 'it is well-informed successfully if talking so', or 'It is like this when doing so' style.

It is culture to enrich this.

It is an accumulation of such comprehension that sashimi cuts like this and makes Japanese food beautiful.

There is an ‘ethnic group’ as a basis having such a basis as described above, but this ‘ethnic group’ is not perfect, and it is accompanied by a lacking a priori.

This is a proposition for the ‘Japanese people’ who cannot ‘looking at humans as domestic animals’ and cannot understand ‘slaves’ absolutely.

If we do not know this, we think that it is captured as a slave by Soviet people in Siberia, 'Siberian detention'.

Even if told that it does 'the comfort woman is a sexual slave' by the Korean, it is not possible to retort that it is different.

Being falsely accused, weakening ‘Japanese race’.

So, we have to learn as a proposition.

However, there is no need to practice, such a thing cannot be done in modern times.

Since there is no perceptual experience, you can learn as a thinking experience.

Be careful not to fall 'a trap' into a foreign country again.

Therefore, I decided to call ‘Protocol of dropping out’.

For the Japanese, ‘history’ is a humanities social science that only needs to be described empirically.

It is not faith.

However, for China and South Korea, we did not notice that ‘history’ is an alternative to God.

And we are caught up in their war and tried to cope with faith by science to the very end.

That is a collaborative research between Japan and Korea and a joint research between Japan and China.

This draft continues.


we think that it is captured as a slave by Soviet people in Siberia, 'Siberian detention

2018年10月10日 10時11分31秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

Japan has never experienced religious warfare with other peoples, regardless of whether it is a theistic zone where gods exist.

If there is a confrontation or conflict, we cannot help being self-conscious of our own faith, but this awareness has fallen out as a nation.

It is a ‘dropout protocol’ (dropout proposition) similar to the dropout part for the nation that the ‘looking at humans as domestic animals’ like slavery, eunuch or ancient Chinese punishment cannot be done.

I will explain about this because Kure Tomofusa does not know well (‘Weekly Post’ August 3, 2018 issue).

Speaking of something about ethnic groups is ‘people who share causal stories.’

Causal story refers to ‘history, grammar, custom, common sense’ and so on.

It is a causal story of 'it is such an action if like this' or 'it is well-informed successfully if talking so', or 'It is like this when doing so' style.

It is culture to enrich this.

It is an accumulation of such comprehension that sashimi cuts like this and makes Japanese food beautiful.

There is an ‘ethnic group’ as a basis having such a basis as described above, but this ‘ethnic group’ is not perfect, and it is accompanied by a lacking a priori.

This is a proposition for the ‘Japanese people’ who cannot ‘looking at humans as domestic animals’ and cannot understand ‘slaves’ absolutely.

If we do not know this, we think that it is captured as a slave by Soviet people in Siberia, 'Siberian detention'.

Even if told that it does 'the comfort woman is a sexual slave' by the Korean, it is not possible to retort that it is different.

Being falsely accused, weakening ‘Japanese race’.

So, we have to learn as a proposition.

However, there is no need to practice, such a thing cannot be done in modern times.

Since there is no perceptual experience, you can learn as a thinking experience.

Be careful not to fall 'a trap' into a foreign country again.

Therefore, I decided to call ‘Protocol of dropping out’.

For the Japanese, ‘history’ is a humanities social science that only needs to be described empirically.

It is not faith.

However, for China and South Korea, we did not notice that ‘history’ is an alternative to God.

And we are caught up in their war and tried to cope with faith by science to the very end.

That is a collaborative research between Japan and Korea and a joint research between Japan and China.

This draft continues.