文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

弁護士でございと言っている態様…言える事は、彼らが立脚している国である中国や朝鮮半島なら間違いなく拘束・逮捕され死刑を含む重罪に処せられている人間達である

2019年03月12日 19時45分49秒 | 日記

夕食を摂りながらNHKの7時のニュースを見ていたのだが…
東電に対して刑事罰を求める人間達がいる事に先ず驚く。

彼らの言い分が、あの…1,000年に一度の津波は予測できた、と言って東電の経営陣を罪に問おうとする悪辣さには本当に呆れて物も言えない。
原告の弁護人(彼らがたきつけたのだろう)として登場したのが、あの海渡雄一…福島瑞穂の事実婚の相手と言われている男である。

なるほど、この男ならやりかねん。
こんな人間が弁護士でございと言っている態様。
言える事は、彼らが立脚している国である中国や朝鮮半島なら間違いなく拘束・逮捕され死刑を含む重罪に処せられている人間達である。
その事が彼らの愚かしさを何よりも明らかにしている。
私は上記の男の顔を観ただけで夕食が拙くなった。
こんな男達の為に日本国が被った大損害と日本国民が棄損された名誉や信用を思えば...科研費で毎年6億円もの税金を得ている山口二郎が真の国士なら「たたっ斬ってやる」だろう。


彼らの言い分が、あの…1,000年に一度の津波は予測できた、と言って東電の経営陣を罪に問おうとする悪辣さには本当に呆れて物も言えない。

2019年03月12日 19時43分58秒 | 日記

夕食を摂りながらNHKの7時のニュースを見ていたのだが…
東電に対して刑事罰を求める人間達がいる事に先ず驚く。

彼らの言い分が、あの…1,000年に一度の津波は予測できた、と言って東電の経営陣を罪に問おうとする悪辣さには本当に呆れて物も言えない。
原告の弁護人(彼らがたきつけたのだろう)として登場したのが、あの海渡雄一…福島瑞穂の事実婚の相手と言われている男である。

なるほど、この男ならやりかねん。
こんな人間が弁護士でございと言っている態様。
言える事は、彼らが立脚している国である中国や朝鮮半島なら間違いなく拘束・逮捕され死刑を含む重罪に処せられている人間達である。
その事が彼らの愚かしさを何よりも明らかにしている。
私は上記の男の顔を観ただけで夕食が拙くなった。
こんな男達の為に日本国が被った大損害と日本国民が棄損された名誉や信用を思えば...科研費で毎年6億円もの税金を得ている山口二郎が真の国士なら「たたっ斬ってやる」だろう。


日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。

2019年03月12日 19時40分01秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「渡来」は新しい造語 
また近年、古代史において「渡来」という文字が多用されるのはどういうことだろう。
わたしは歴史的には首を傾げざるを得ない言葉だと思っている。
「帰化人」が適切ではないという理由で金達寿氏たちが提唱し、定着したのが「渡来人」という言葉だが、わたしは「記紀」にも載っていないこの言葉に疑問を抱いている。 
『日本書記』には「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」という文字が多く見られるが、「渡来」という言葉は、わたしには見つけられなかった。
一方、「三国史記」には「来投」「投亡」「亡人」という文字が見られる。
これらの意味は飢餓や貧困、戦禍によってその地を離れることだ。
そうして半島を離れた人々が日本にやってきた。
それを「渡来人」という一言で片づけていいものか。 
『宋書』や『南斉書』によれば、倭王は朝鮮全土の統治者として認められている。
そんな強国に、半島人が新たな文化とともに渡来してくるとはとうてい思えない。
本末、「渡来人」という言葉には「海を越えてやってきた人」という以上の意味はないが、迫害を受けて逃げてきた者や、豊かな土地を求めて人植した者もいるだろう。
自国で何不自由なく暮らしている人問が、なにも危険をおかしてまでやってくる理由はない。
さまざまな境遇の人々がやってきたと考えるのが筋だ。 
それに対して「帰化」は、元来、中華思想により、異民族が君主の徳によって感化されて従うことを意味する。
「帰朝」は本国に戻ってくることだ。
『日本書記』にはそれらの言葉が書き残されているのに、今日、「渡来」や「渡来人」という言葉が主流になり、わたしたちはそこから歴史を見ようとしている。
いったい歴史学者たちは新しい造語を使って、どんな教育をしようとしているのだろう。 
「帰化」「帰朝」という言葉が使われたのには理由がある。
まして上代は現在より「言霊」を大切にしていたはずだ。
日本人の精神的バツクホーンになるのが、この「言霊」と「怨霊」だということは多くの人たち知っている。
その彼らが「帰化」や「来化」、「帰朝」と頻繁に記しているのだ。 
半島から日本に戻ってきた、日本に帰属したという意識で書かれていると考えるのが筋ではないか。
それを当時の書物に一言も載っていない「渡来人」などという言葉を使って、歴史を探っていこうとするのはどうかしている。
半島にも倭国があり、あるいはそれに附随する国があったから、彼らはそう書いているのだ。 
文字を軽んじると歴史は歪んでくる。
日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。
『論衡(ろんこう)』には「周時天下太平 倭人来献暢草」、周の時代は天下太平にして、倭人がきて暢草(ちょうそう)を献じたとある。
暢草は酒に浸す薬草のことを指すらしいが、朝貢についても事細かに記されている。
『普書』や『梁書』には倭人の祖先は呉の太伯の子孫と書かれている。
この稿続く。


半島にも倭国があり、あるいはそれに附随する国があったから、彼らはそう書いているのだ。文字を軽んじると歴史は歪んでくる。

2019年03月12日 15時57分52秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「渡来」は新しい造語 
また近年、古代史において「渡来」という文字が多用されるのはどういうことだろう。
わたしは歴史的には首を傾げざるを得ない言葉だと思っている。
「帰化人」が適切ではないという理由で金達寿氏たちが提唱し、定着したのが「渡来人」という言葉だが、わたしは「記紀」にも載っていないこの言葉に疑問を抱いている。 
『日本書記』には「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」という文字が多く見られるが、「渡来」という言葉は、わたしには見つけられなかった。
一方、「三国史記」には「来投」「投亡」「亡人」という文字が見られる。
これらの意味は飢餓や貧困、戦禍によってその地を離れることだ。
そうして半島を離れた人々が日本にやってきた。
それを「渡来人」という一言で片づけていいものか。 
『宋書』や『南斉書』によれば、倭王は朝鮮全土の統治者として認められている。
そんな強国に、半島人が新たな文化とともに渡来してくるとはとうてい思えない。
本末、「渡来人」という言葉には「海を越えてやってきた人」という以上の意味はないが、迫害を受けて逃げてきた者や、豊かな土地を求めて人植した者もいるだろう。
自国で何不自由なく暮らしている人問が、なにも危険をおかしてまでやってくる理由はない。
さまざまな境遇の人々がやってきたと考えるのが筋だ。 
それに対して「帰化」は、元来、中華思想により、異民族が君主の徳によって感化されて従うことを意味する。
「帰朝」は本国に戻ってくることだ。
『日本書記』にはそれらの言葉が書き残されているのに、今日、「渡来」や「渡来人」という言葉が主流になり、わたしたちはそこから歴史を見ようとしている。
いったい歴史学者たちは新しい造語を使って、どんな教育をしようとしているのだろう。 
「帰化」「帰朝」という言葉が使われたのには理由がある。
まして上代は現在より「言霊」を大切にしていたはずだ。
日本人の精神的バツクホーンになるのが、この「言霊」と「怨霊」だということは多くの人たち知っている。
その彼らが「帰化」や「来化」、「帰朝」と頻繁に記しているのだ。 
半島から日本に戻ってきた、日本に帰属したという意識で書かれていると考えるのが筋ではないか。
それを当時の書物に一言も載っていない「渡来人」などという言葉を使って、歴史を探っていこうとするのはどうかしている。
半島にも倭国があり、あるいはそれに附随する国があったから、彼らはそう書いているのだ。 
文字を軽んじると歴史は歪んでくる。
日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。
『論衡(ろんこう)』には「周時天下太平 倭人来献暢草」、周の時代は天下太平にして、倭人がきて暢草(ちょうそう)を献じたとある。
暢草は酒に浸す薬草のことを指すらしいが、朝貢についても事細かに記されている。
『普書』や『梁書』には倭人の祖先は呉の太伯の子孫と書かれている。
この稿続く。


それを当時の書物に一言も載っていない「渡来人」などという言葉を使って、歴史を探っていこうとするのはどうかしている。

2019年03月12日 15時56分49秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「渡来」は新しい造語 
また近年、古代史において「渡来」という文字が多用されるのはどういうことだろう。
わたしは歴史的には首を傾げざるを得ない言葉だと思っている。
「帰化人」が適切ではないという理由で金達寿氏たちが提唱し、定着したのが「渡来人」という言葉だが、わたしは「記紀」にも載っていないこの言葉に疑問を抱いている。 
『日本書記』には「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」という文字が多く見られるが、「渡来」という言葉は、わたしには見つけられなかった。
一方、「三国史記」には「来投」「投亡」「亡人」という文字が見られる。
これらの意味は飢餓や貧困、戦禍によってその地を離れることだ。
そうして半島を離れた人々が日本にやってきた。
それを「渡来人」という一言で片づけていいものか。 
『宋書』や『南斉書』によれば、倭王は朝鮮全土の統治者として認められている。
そんな強国に、半島人が新たな文化とともに渡来してくるとはとうてい思えない。
本末、「渡来人」という言葉には「海を越えてやってきた人」という以上の意味はないが、迫害を受けて逃げてきた者や、豊かな土地を求めて人植した者もいるだろう。
自国で何不自由なく暮らしている人問が、なにも危険をおかしてまでやってくる理由はない。
さまざまな境遇の人々がやってきたと考えるのが筋だ。 
それに対して「帰化」は、元来、中華思想により、異民族が君主の徳によって感化されて従うことを意味する。
「帰朝」は本国に戻ってくることだ。
『日本書記』にはそれらの言葉が書き残されているのに、今日、「渡来」や「渡来人」という言葉が主流になり、わたしたちはそこから歴史を見ようとしている。
いったい歴史学者たちは新しい造語を使って、どんな教育をしようとしているのだろう。 
「帰化」「帰朝」という言葉が使われたのには理由がある。
まして上代は現在より「言霊」を大切にしていたはずだ。
日本人の精神的バツクホーンになるのが、この「言霊」と「怨霊」だということは多くの人たち知っている。
その彼らが「帰化」や「来化」、「帰朝」と頻繁に記しているのだ。 
半島から日本に戻ってきた、日本に帰属したという意識で書かれていると考えるのが筋ではないか。
それを当時の書物に一言も載っていない「渡来人」などという言葉を使って、歴史を探っていこうとするのはどうかしている。
半島にも倭国があり、あるいはそれに附随する国があったから、彼らはそう書いているのだ。 
文字を軽んじると歴史は歪んでくる。
日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。
『論衡(ろんこう)』には「周時天下太平 倭人来献暢草」、周の時代は天下太平にして、倭人がきて暢草(ちょうそう)を献じたとある。
暢草は酒に浸す薬草のことを指すらしいが、朝貢についても事細かに記されている。
『普書』や『梁書』には倭人の祖先は呉の太伯の子孫と書かれている。
この稿続く。


半島から日本に戻ってきた、日本に帰属したという意識で書かれていると考えるのが筋ではないか。

2019年03月12日 15時55分41秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「渡来」は新しい造語 
また近年、古代史において「渡来」という文字が多用されるのはどういうことだろう。
わたしは歴史的には首を傾げざるを得ない言葉だと思っている。
「帰化人」が適切ではないという理由で金達寿氏たちが提唱し、定着したのが「渡来人」という言葉だが、わたしは「記紀」にも載っていないこの言葉に疑問を抱いている。 
『日本書記』には「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」という文字が多く見られるが、「渡来」という言葉は、わたしには見つけられなかった。
一方、「三国史記」には「来投」「投亡」「亡人」という文字が見られる。
これらの意味は飢餓や貧困、戦禍によってその地を離れることだ。
そうして半島を離れた人々が日本にやってきた。
それを「渡来人」という一言で片づけていいものか。 
『宋書』や『南斉書』によれば、倭王は朝鮮全土の統治者として認められている。
そんな強国に、半島人が新たな文化とともに渡来してくるとはとうてい思えない。
本末、「渡来人」という言葉には「海を越えてやってきた人」という以上の意味はないが、迫害を受けて逃げてきた者や、豊かな土地を求めて人植した者もいるだろう。
自国で何不自由なく暮らしている人問が、なにも危険をおかしてまでやってくる理由はない。
さまざまな境遇の人々がやってきたと考えるのが筋だ。 
それに対して「帰化」は、元来、中華思想により、異民族が君主の徳によって感化されて従うことを意味する。
「帰朝」は本国に戻ってくることだ。
『日本書記』にはそれらの言葉が書き残されているのに、今日、「渡来」や「渡来人」という言葉が主流になり、わたしたちはそこから歴史を見ようとしている。
いったい歴史学者たちは新しい造語を使って、どんな教育をしようとしているのだろう。 
「帰化」「帰朝」という言葉が使われたのには理由がある。
まして上代は現在より「言霊」を大切にしていたはずだ。
日本人の精神的バツクホーンになるのが、この「言霊」と「怨霊」だということは多くの人たち知っている。
その彼らが「帰化」や「来化」、「帰朝」と頻繁に記しているのだ。 
半島から日本に戻ってきた、日本に帰属したという意識で書かれていると考えるのが筋ではないか。
それを当時の書物に一言も載っていない「渡来人」などという言葉を使って、歴史を探っていこうとするのはどうかしている。
半島にも倭国があり、あるいはそれに附随する国があったから、彼らはそう書いているのだ。 
文字を軽んじると歴史は歪んでくる。
日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。
『論衡(ろんこう)』には「周時天下太平 倭人来献暢草」、周の時代は天下太平にして、倭人がきて暢草(ちょうそう)を献じたとある。
暢草は酒に浸す薬草のことを指すらしいが、朝貢についても事細かに記されている。
『普書』や『梁書』には倭人の祖先は呉の太伯の子孫と書かれている。
この稿続く。


日本人の精神的バツクホーンになるのが、この「言霊」と「怨霊」だということは多くの人たち知っている。その彼らが「帰化」や「来化」、「帰朝」と頻繁に記しているのだ

2019年03月12日 15時54分32秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「渡来」は新しい造語 
また近年、古代史において「渡来」という文字が多用されるのはどういうことだろう。
わたしは歴史的には首を傾げざるを得ない言葉だと思っている。
「帰化人」が適切ではないという理由で金達寿氏たちが提唱し、定着したのが「渡来人」という言葉だが、わたしは「記紀」にも載っていないこの言葉に疑問を抱いている。 
『日本書記』には「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」という文字が多く見られるが、「渡来」という言葉は、わたしには見つけられなかった。
一方、「三国史記」には「来投」「投亡」「亡人」という文字が見られる。
これらの意味は飢餓や貧困、戦禍によってその地を離れることだ。
そうして半島を離れた人々が日本にやってきた。
それを「渡来人」という一言で片づけていいものか。 
『宋書』や『南斉書』によれば、倭王は朝鮮全土の統治者として認められている。
そんな強国に、半島人が新たな文化とともに渡来してくるとはとうてい思えない。
本末、「渡来人」という言葉には「海を越えてやってきた人」という以上の意味はないが、迫害を受けて逃げてきた者や、豊かな土地を求めて人植した者もいるだろう。
自国で何不自由なく暮らしている人問が、なにも危険をおかしてまでやってくる理由はない。
さまざまな境遇の人々がやってきたと考えるのが筋だ。 
それに対して「帰化」は、元来、中華思想により、異民族が君主の徳によって感化されて従うことを意味する。
「帰朝」は本国に戻ってくることだ。
『日本書記』にはそれらの言葉が書き残されているのに、今日、「渡来」や「渡来人」という言葉が主流になり、わたしたちはそこから歴史を見ようとしている。
いったい歴史学者たちは新しい造語を使って、どんな教育をしようとしているのだろう。 
「帰化」「帰朝」という言葉が使われたのには理由がある。
まして上代は現在より「言霊」を大切にしていたはずだ。
日本人の精神的バツクホーンになるのが、この「言霊」と「怨霊」だということは多くの人たち知っている。
その彼らが「帰化」や「来化」、「帰朝」と頻繁に記しているのだ。 
半島から日本に戻ってきた、日本に帰属したという意識で書かれていると考えるのが筋ではないか。
それを当時の書物に一言も載っていない「渡来人」などという言葉を使って、歴史を探っていこうとするのはどうかしている。
半島にも倭国があり、あるいはそれに附随する国があったから、彼らはそう書いているのだ。 
文字を軽んじると歴史は歪んでくる。
日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。
『論衡(ろんこう)』には「周時天下太平 倭人来献暢草」、周の時代は天下太平にして、倭人がきて暢草(ちょうそう)を献じたとある。
暢草は酒に浸す薬草のことを指すらしいが、朝貢についても事細かに記されている。
『普書』や『梁書』には倭人の祖先は呉の太伯の子孫と書かれている。
この稿続く。


「帰化」「帰朝」という言葉が使われたのには理由がある。まして上代は現在より「言霊」を人切にしていたはずだ。

2019年03月12日 15時52分26秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「渡来」は新しい造語 
また近年、古代史において「渡来」という文字が多用されるのはどういうことだろう。
わたしは歴史的には首を傾げざるを得ない言葉だと思っている。
「帰化人」が適切ではないという理由で金達寿氏たちが提唱し、定着したのが「渡来人」という言葉だが、わたしは「記紀」にも載っていないこの言葉に疑問を抱いている。 
『日本書記』には「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」という文字が多く見られるが、「渡来」という言葉は、わたしには見つけられなかった。
一方、「三国史記」には「来投」「投亡」「亡人」という文字が見られる。
これらの意味は飢餓や貧困、戦禍によってその地を離れることだ。
そうして半島を離れた人々が日本にやってきた。
それを「渡来人」という一言で片づけていいものか。 
『宋書』や『南斉書』によれば、倭王は朝鮮全土の統治者として認められている。
そんな強国に、半島人が新たな文化とともに渡来してくるとはとうてい思えない。
本末、「渡来人」という言葉には「海を越えてやってきた人」という以上の意味はないが、迫害を受けて逃げてきた者や、豊かな土地を求めて人植した者もいるだろう。
自国で何不自由なく暮らしている人問が、なにも危険をおかしてまでやってくる理由はない。
さまざまな境遇の人々がやってきたと考えるのが筋だ。 
それに対して「帰化」は、元来、中華思想により、異民族が君主の徳によって感化されて従うことを意味する。
「帰朝」は本国に戻ってくることだ。
『日本書記』にはそれらの言葉が書き残されているのに、今日、「渡来」や「渡来人」という言葉が主流になり、わたしたちはそこから歴史を見ようとしている。
いったい歴史学者たちは新しい造語を使って、どんな教育をしようとしているのだろう。 
「帰化」「帰朝」という言葉が使われたのには理由がある。
まして上代は現在より「言霊」を人切にしていたはずだ。
日本人の精神的バツクホーンになるのが、この「言霊》と「怨霊」だということは多くの人たち知っている。
その彼らが「帰化」や「来化」、「帰朝」と頻繁に記しているのだ。 
半島から日本に戻ってきた、日本に帰属したという意識で書かれていると考えるのが筋ではないか。
それを当時の書物に一言も載っていない「渡来人」などという言葉を使って、歴史を探っていこうとするのはどうかしている。
半島にも倭国があり、あるいはそれに附随する国があったから、彼らはそう書いているのだ。 
文字を軽んじると歴史は歪んでくる。
日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。
『論衡(ろんこう)』には「周時天下太平 倭人来献暢草」、周の時代は天下太平にして、倭人がきて暢草(ちょうそう)を献じたとある。
暢草は酒に浸す薬草のことを指すらしいが、朝貢についても事細かに記されている。
『普書』や『梁書』には倭人の祖先は呉の太伯の子孫と書かれている。
この稿続く。


いったい歴史学者たちは新しい造語を使って、どんな教育をしようとしているのだろう。 

2019年03月12日 15時51分12秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「渡来」は新しい造語 
また近年、古代史において「渡来」という文字が多用されるのはどういうことだろう。
わたしは歴史的には首を傾げざるを得ない言葉だと思っている。
「帰化人」が適切ではないという理由で金達寿氏たちが提唱し、定着したのが「渡来人」という言葉だが、わたしは「記紀」にも載っていないこの言葉に疑問を抱いている。 
『日本書記』には「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」という文字が多く見られるが、「渡来」という言葉は、わたしには見つけられなかった。
一方、「三国史記」には「来投」「投亡」「亡人」という文字が見られる。
これらの意味は飢餓や貧困、戦禍によってその地を離れることだ。
そうして半島を離れた人々が日本にやってきた。
それを「渡来人」という一言で片づけていいものか。 
『宋書』や『南斉書』によれば、倭王は朝鮮全土の統治者として認められている。
そんな強国に、半島人が新たな文化とともに渡来してくるとはとうてい思えない。
本末、「渡来人」という言葉には「海を越えてやってきた人」という以上の意味はないが、迫害を受けて逃げてきた者や、豊かな土地を求めて人植した者もいるだろう。
自国で何不自由なく暮らしている人問が、なにも危険をおかしてまでやってくる理由はない。
さまざまな境遇の人々がやってきたと考えるのが筋だ。 
それに対して「帰化」は、元来、中華思想により、異民族が君主の徳によって感化されて従うことを意味する。
「帰朝」は本国に戻ってくることだ。
『日本書記』にはそれらの言葉が書き残されているのに、今日、「渡来」や「渡来人」という言葉が主流になり、わたしたちはそこから歴史を見ようとしている。
いったい歴史学者たちは新しい造語を使って、どんな教育をしようとしているのだろう。 
「帰化」「帰朝」という言葉が使われたのには理由がある。
まして上代は現在より「言霊」を人切にしていたはずだ。
日本人の精神的バツクホーンになるのが、この「言霊》と「怨霊」だということは多くの人たち知っている。
その彼らが「帰化」や「来化」、「帰朝」と頻繁に記しているのだ。 
半島から日本に戻ってきた、日本に帰属したという意識で書かれていると考えるのが筋ではないか。
それを当時の書物に一言も載っていない「渡来人」などという言葉を使って、歴史を探っていこうとするのはどうかしている。
半島にも倭国があり、あるいはそれに附随する国があったから、彼らはそう書いているのだ。 
文字を軽んじると歴史は歪んでくる。
日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。
『論衡(ろんこう)』には「周時天下太平 倭人来献暢草」、周の時代は天下太平にして、倭人がきて暢草(ちょうそう)を献じたとある。
暢草は酒に浸す薬草のことを指すらしいが、朝貢についても事細かに記されている。
『普書』や『梁書』には倭人の祖先は呉の太伯の子孫と書かれている。
この稿続く。


『日本書記』にはそれらの言葉が書き残されているのに、今日、「渡来」や「渡来人」という言葉が主流になり、わたしたちはそこから歴史を見ようとしている。

2019年03月12日 15時50分03秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「渡来」は新しい造語 
また近年、古代史において「渡来」という文字が多用されるのはどういうことだろう。
わたしは歴史的には首を傾げざるを得ない言葉だと思っている。
「帰化人」が適切ではないという理由で金達寿氏たちが提唱し、定着したのが「渡来人」という言葉だが、わたしは「記紀」にも載っていないこの言葉に疑問を抱いている。 
『日本書記』には「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」という文字が多く見られるが、「渡来」という言葉は、わたしには見つけられなかった。
一方、「三国史記」には「来投」「投亡」「亡人」という文字が見られる。
これらの意味は飢餓や貧困、戦禍によってその地を離れることだ。
そうして半島を離れた人々が日本にやってきた。
それを「渡来人」という一言で片づけていいものか。 
『宋書』や『南斉書』によれば、倭王は朝鮮全土の統治者として認められている。
そんな強国に、半島人が新たな文化とともに渡来してくるとはとうてい思えない。
本末、「渡来人」という言葉には「海を越えてやってきた人」という以上の意味はないが、迫害を受けて逃げてきた者や、豊かな土地を求めて人植した者もいるだろう。
自国で何不自由なく暮らしている人問が、なにも危険をおかしてまでやってくる理由はない。
さまざまな境遇の人々がやってきたと考えるのが筋だ。 
それに対して「帰化」は、元来、中華思想により、異民族が君主の徳によって感化されて従うことを意味する。
「帰朝」は本国に戻ってくることだ。
『日本書記』にはそれらの言葉が書き残されているのに、今日、「渡来」や「渡来人」という言葉が主流になり、わたしたちはそこから歴史を見ようとしている。
いったい歴史学者たちは新しい造語を使って、どんな教育をしようとしているのだろう。 
「帰化」「帰朝」という言葉が使われたのには理由がある。
まして上代は現在より「言霊」を人切にしていたはずだ。
日本人の精神的バツクホーンになるのが、この「言霊》と「怨霊」だということは多くの人たち知っている。
その彼らが「帰化」や「来化」、「帰朝」と頻繁に記しているのだ。 
半島から日本に戻ってきた、日本に帰属したという意識で書かれていると考えるのが筋ではないか。
それを当時の書物に一言も載っていない「渡来人」などという言葉を使って、歴史を探っていこうとするのはどうかしている。
半島にも倭国があり、あるいはそれに附随する国があったから、彼らはそう書いているのだ。 
文字を軽んじると歴史は歪んでくる。
日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。
『論衡(ろんこう)』には「周時天下太平 倭人来献暢草」、周の時代は天下太平にして、倭人がきて暢草(ちょうそう)を献じたとある。
暢草は酒に浸す薬草のことを指すらしいが、朝貢についても事細かに記されている。
『普書』や『梁書』には倭人の祖先は呉の太伯の子孫と書かれている。
この稿続く。


それに対して「帰化」は、元来、中華思想により、異民族が君主の徳によって感化されて従うことを意味する。「帰朝」は本国に戻ってくることだ。

2019年03月12日 15時48分47秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「渡来」は新しい造語 
また近年、古代史において「渡来」という文字が多用されるのはどういうことだろう。
わたしは歴史的には首を傾げざるを得ない言葉だと思っている。
「帰化人」が適切ではないという理由で金達寿氏たちが提唱し、定着したのが「渡来人」という言葉だが、わたしは「記紀」にも載っていないこの言葉に疑問を抱いている。 
『日本書記』には「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」という文字が多く見られるが、「渡来」という言葉は、わたしには見つけられなかった。
一方、「三国史記」には「来投」「投亡」「亡人」という文字が見られる。
これらの意味は飢餓や貧困、戦禍によってその地を離れることだ。
そうして半島を離れた人々が日本にやってきた。
それを「渡来人」という一言で片づけていいものか。 
『宋書』や『南斉書』によれば、倭王は朝鮮全土の統治者として認められている。
そんな強国に、半島人が新たな文化とともに渡来してくるとはとうてい思えない。
本末、「渡来人」という言葉には「海を越えてやってきた人」という以上の意味はないが、迫害を受けて逃げてきた者や、豊かな土地を求めて人植した者もいるだろう。
自国で何不自由なく暮らしている人問が、なにも危険をおかしてまでやってくる理由はない。
さまざまな境遇の人々がやってきたと考えるのが筋だ。 
それに対して「帰化」は、元来、中華思想により、異民族が君主の徳によって感化されて従うことを意味する。
「帰朝」は本国に戻ってくることだ。
『日本書記』にはそれらの言葉が書き残されているのに、今日、「渡来」や「渡来人」という言葉が主流になり、わたしたちはそこから歴史を見ようとしている。
いったい歴史学者たちは新しい造語を使って、どんな教育をしようとしているのだろう。 
「帰化」「帰朝」という言葉が使われたのには理由がある。
まして上代は現在より「言霊」を人切にしていたはずだ。
日本人の精神的バツクホーンになるのが、この「言霊》と「怨霊」だということは多くの人たち知っている。
その彼らが「帰化」や「来化」、「帰朝」と頻繁に記しているのだ。 
半島から日本に戻ってきた、日本に帰属したという意識で書かれていると考えるのが筋ではないか。
それを当時の書物に一言も載っていない「渡来人」などという言葉を使って、歴史を探っていこうとするのはどうかしている。
半島にも倭国があり、あるいはそれに附随する国があったから、彼らはそう書いているのだ。 
文字を軽んじると歴史は歪んでくる。
日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。
『論衡(ろんこう)』には「周時天下太平 倭人来献暢草」、周の時代は天下太平にして、倭人がきて暢草(ちょうそう)を献じたとある。
暢草は酒に浸す薬草のことを指すらしいが、朝貢についても事細かに記されている。
『普書』や『梁書』には倭人の祖先は呉の太伯の子孫と書かれている。
この稿続く。


本末、「渡来人」という言葉には「海を越えてやってきた人」という以上の意味はないが、迫害を受けて逃げてきた者や、豊かな土地を求めて人植した者もいるだろう

2019年03月12日 15時47分36秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「渡来」は新しい造語 
また近年、古代史において「渡来」という文字が多用されるのはどういうことだろう。
わたしは歴史的には首を傾げざるを得ない言葉だと思っている。
「帰化人」が適切ではないという理由で金達寿氏たちが提唱し、定着したのが「渡来人」という言葉だが、わたしは「記紀」にも載っていないこの言葉に疑問を抱いている。 
『日本書記』には「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」という文字が多く見られるが、「渡来」という言葉は、わたしには見つけられなかった。
一方、「三国史記」には「来投」「投亡」「亡人」という文字が見られる。
これらの意味は飢餓や貧困、戦禍によってその地を離れることだ。
そうして半島を離れた人々が日本にやってきた。
それを「渡来人」という一言で片づけていいものか。 
『宋書』や『南斉書』によれば、倭王は朝鮮全土の統治者として認められている。
そんな強国に、半島人が新たな文化とともに渡来してくるとはとうてい思えない。
本末、「渡来人」という言葉には「海を越えてやってきた人」という以上の意味はないが、迫害を受けて逃げてきた者や、豊かな土地を求めて人植した者もいるだろう。
自国で何不自由なく暮らしている人問が、なにも危険をおかしてまでやってくる理由はない。
さまざまな境遇の人々がやってきたと考えるのが筋だ。 
それに対して「帰化」は、元来、中華思想により、異民族が君主の徳によって感化されて従うことを意味する。
「帰朝」は本国に戻ってくることだ。
『日本書記』にはそれらの言葉が書き残されているのに、今日、「渡来」や「渡来人」という言葉が主流になり、わたしたちはそこから歴史を見ようとしている。
いったい歴史学者たちは新しい造語を使って、どんな教育をしようとしているのだろう。 
「帰化」「帰朝」という言葉が使われたのには理由がある。
まして上代は現在より「言霊」を人切にしていたはずだ。
日本人の精神的バツクホーンになるのが、この「言霊》と「怨霊」だということは多くの人たち知っている。
その彼らが「帰化」や「来化」、「帰朝」と頻繁に記しているのだ。 
半島から日本に戻ってきた、日本に帰属したという意識で書かれていると考えるのが筋ではないか。
それを当時の書物に一言も載っていない「渡来人」などという言葉を使って、歴史を探っていこうとするのはどうかしている。
半島にも倭国があり、あるいはそれに附随する国があったから、彼らはそう書いているのだ。 
文字を軽んじると歴史は歪んでくる。
日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。
『論衡(ろんこう)』には「周時天下太平 倭人来献暢草」、周の時代は天下太平にして、倭人がきて暢草(ちょうそう)を献じたとある。
暢草は酒に浸す薬草のことを指すらしいが、朝貢についても事細かに記されている。
『普書』や『梁書』には倭人の祖先は呉の太伯の子孫と書かれている。
この稿続く。


『宋書』や『南斉書』によれば、倭王は朝鮮全土の統治者として認められている。そんな強国に、半島人が新たな文化とともに渡来してくるとはとうてい思えない

2019年03月12日 15時45分27秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「渡来」は新しい造語 
また近年、古代史において「渡来」という文字が多用されるのはどういうことだろう。
わたしは歴史的には首を傾げざるを得ない言葉だと思っている。
「帰化人」が適切ではないという理由で金達寿氏たちが提唱し、定着したのが「渡来人」という言葉だが、わたしは「記紀」にも載っていないこの言葉に疑問を抱いている。 
『日本書記』には「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」という文字が多く見られるが、「渡来」という言葉は、わたしには見つけられなかった。
一方、「三国史記」には「来投」「投亡」「亡人」という文字が見られる。
これらの意味は飢餓や貧困、戦禍によってその地を離れることだ。
そうして半島を離れた人々が日本にやってきた。
それを「渡来人」という一言で片づけていいものか。 
『宋書』や『南斉書』によれば、倭王は朝鮮全土の統治者として認められている。
そんな強国に、半島人が新たな文化とともに渡来してくるとはとうてい思えない。
本末、「渡来人」という言葉には「海を越えてやってさた人」という以上の意味はないが、迫害を受けて逃げてきた者や、豊かな土地を求めて人植した者もいるだろう。
自国で何不自由なく暮らしている人問が、なにも危険をおかしてまでやってくる理由はない。
さまざまな境遇の人々がやってきたと考えるのが筋だ。 
それに対して「帰化」は、元来、中華思想により、異民族が君主の徳によって感化されて従うことを意味する。
「帰朝」は本国に戻ってくることだ。
『日本書記』にはそれらの言葉が書き残されているのに、今日、「渡来」や「渡来人」という言葉が主流になり、わたしたちはそこから歴史を見ようとしている。
いったい歴史学者たちは新しい造語を使って、どんな教育をしようとしているのだろう。 
「帰化」「帰朝」という言葉が使われたのには理由がある。
まして上代は現在より「言霊」を人切にしていたはずだ。
日本人の精神的バツクホーンになるのが、この「言霊》と「怨霊」だということは多くの人たち知っている。
その彼らが「帰化」や「来化」、「帰朝」と頻繁に記しているのだ。 
半島から日本に戻ってきた、日本に帰属したという意識で書かれていると考えるのが筋ではないか。
それを当時の書物に一言も載っていない「渡来人」などという言葉を使って、歴史を探っていこうとするのはどうかしている。
半島にも倭国があり、あるいはそれに附随する国があったから、彼らはそう書いているのだ。 
文字を軽んじると歴史は歪んでくる。
日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。
『論衡(ろんこう)』には「周時天下太平 倭人来献暢草」、周の時代は天下太平にして、倭人がきて暢草(ちょうそう)を献じたとある。
暢草は酒に浸す薬草のことを指すらしいが、朝貢についても事細かに記されている。
『普書』や『梁書』には倭人の祖先は呉の太伯の子孫と書かれている。
この稿続く。


一方、「三国史記」には「来投」「投亡」「亡人」という文字が見られる。これらの意味は飢餓や貧困、戦禍によってその地を離れることだ。

2019年03月12日 15時43分50秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「渡来」は新しい造語 
また近年、古代史において「渡来」という文字が多用されるのはどういうことだろう。
わたしは歴史的には首を傾げざるを得ない言葉だと思っている。
「帰化人」が適切ではないという理由で金達寿氏たちが提唱し、定着したのが「渡来人」という言葉だが、わたしは「記紀」にも載っていないこの言葉に疑問を抱いている。 
『日本書記』には「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」という文字が多く見られるが、「渡来」という言葉は、わたしには見つけられなかった。
一方、「三国史記」には「来投」「投亡」「亡人」という文字が見られる。
これらの意味は飢餓や貧困、戦禍によってその地を離れることだ。
そうして半島を離れた人々が日本にやってきた。
それを「渡来人」という一言で片づけていいものか。 
『宋書』や『南斉書』によれば、倭王は朝鮮全土の統治者として認められている。
そんな強国に、半島人が新たな文化とともに渡来してくるとはとうてい思えない。
本末、「渡来人」という言葉には「海を越えてやってさた人」という以上の意味はないが、迫害を受けて逃げてきた者や、豊かな土地を求めて人植した者もいるだろう。
自国で何不自由なく暮らしている人問が、なにも危険をおかしてまでやってくる理由はない。
さまざまな境遇の人々がやってきたと考えるのが筋だ。 
それに対して「帰化」は、元来、中華思想により、異民族が君主の徳によって感化されて従うことを意味する。
「帰朝」は本国に戻ってくることだ。
『日本書記』にはそれらの言葉が書き残されているのに、今日、「渡来」や「渡来人」という言葉が主流になり、わたしたちはそこから歴史を見ようとしている。
いったい歴史学者たちは新しい造語を使って、どんな教育をしようとしているのだろう。 
「帰化」「帰朝」という言葉が使われたのには理由がある。
まして上代は現在より「言霊」を人切にしていたはずだ。
日本人の精神的バツクホーンになるのが、この「言霊》と「怨霊」だということは多くの人たち知っている。
その彼らが「帰化」や「来化」、「帰朝」と頻繁に記しているのだ。 
半島から日本に戻ってきた、日本に帰属したという意識で書かれていると考えるのが筋ではないか。
それを当時の書物に一言も載っていない「渡来人」などという言葉を使って、歴史を探っていこうとするのはどうかしている。
半島にも倭国があり、あるいはそれに附随する国があったから、彼らはそう書いているのだ。 
文字を軽んじると歴史は歪んでくる。
日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。
『論衡(ろんこう)』には「周時天下太平 倭人来献暢草」、周の時代は天下太平にして、倭人がきて暢草(ちょうそう)を献じたとある。
暢草は酒に浸す薬草のことを指すらしいが、朝貢についても事細かに記されている。
『普書』や『梁書』には倭人の祖先は呉の太伯の子孫と書かれている。
この稿続く。


『日本書記』には「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」という文字が多く見られるが、「渡来」という言葉は、わたしには見つけられなかった。

2019年03月12日 15時42分16秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「渡来」は新しい造語 
また近年、古代史において「渡来」という文字が多用されるのはどういうことだろう。
わたしは歴史的には首を傾げざるを得ない言葉だと思っている。
「帰化人」が適切ではないという理由で金達寿氏たちが提唱し、定着したのが「渡来人」という言葉だが、わたしは「記紀」にも載っていないこの言葉に疑問を抱いている。 
『日本書記』には「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」という文字が多く見られるが、「渡来」という言葉は、わたしには見つけられなかった。
一方、「三国史記」には「来投」「投亡」「亡人」という文字が見られる。
これらの意味は飢餓や貧困、戦禍によってその地を離れることだ。
そうして半島を離れた人々が日本にやってきた。
それを「渡来人」という一言で片づけていいものか。 
『宋書』や『南斉書』によれば、倭王は朝鮮全土の統治者として認められている。
そんな強国に、半島人が新たな文化とともに渡来してくるとはとうてい思えない。
本末、「渡来人」という言葉には「海を越えてやってさた人」という以上の意味はないが、迫害を受けて逃げてきた者や、豊かな土地を求めて人植した者もいるだろう。
自国で何不自由なく暮らしている人問が、なにも危険をおかしてまでやってくる理由はない。
さまざまな境遇の人々がやってきたと考えるのが筋だ。 
それに対して「帰化」は、元来、中華思想により、異民族が君主の徳によって感化されて従うことを意味する。
「帰朝」は本国に戻ってくることだ。
『日本書記』にはそれらの言葉が書き残されているのに、今日、「渡来」や「渡来人」という言葉が主流になり、わたしたちはそこから歴史を見ようとしている。
いったい歴史学者たちは新しい造語を使って、どんな教育をしようとしているのだろう。 
「帰化」「帰朝」という言葉が使われたのには理由がある。
まして上代は現在より「言霊」を人切にしていたはずだ。
日本人の精神的バツクホーンになるのが、この「言霊》と「怨霊」だということは多くの人たち知っている。
その彼らが「帰化」や「来化」、「帰朝」と頻繁に記しているのだ。 
半島から日本に戻ってきた、日本に帰属したという意識で書かれていると考えるのが筋ではないか。
それを当時の書物に一言も載っていない「渡来人」などという言葉を使って、歴史を探っていこうとするのはどうかしている。
半島にも倭国があり、あるいはそれに附随する国があったから、彼らはそう書いているのだ。 
文字を軽んじると歴史は歪んでくる。
日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。
『論衡(ろんこう)』には「周時天下太平 倭人来献暢草」、周の時代は天下太平にして、倭人がきて暢草(ちょうそう)を献じたとある。
暢草は酒に浸す薬草のことを指すらしいが、朝貢についても事細かに記されている。
『普書』や『梁書』には倭人の祖先は呉の太伯の子孫と書かれている。
この稿続く。