以下は発売中の週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の論文である。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
本論文は解放同盟を重用してきた国連人権理事会の関係者達も刮目して読まなければならない。
言い換えの妙
切支丹禁制の江戸期にそれでもこっそりマリア様を拝む人たちがいた。
それを隠れ切支丹と呼ぶと学校で習った。
ところがローマ法王フランシスコが訪日する段になって新聞は隠れ切支丹を「潜伏キリシタン」と言い換え始めた。
「潜伏」とは逃亡殺人犯か地下に潜った共産党員かに遣う言葉だ。
キリスト教徒に馴染まなそうだが、考えてみれば異教徒はすぐ火炙りにしたり、些細な教義の違いで殺し合ったり。共産党とそう変わるところはない。
で、潜伏に改名したのかと思ったら、違った。
隠れ切支丹の信者は明治に入って禁制が解けると教会に戻って信仰する派と昔ながらに家でひっそり信仰する派に分かれた。
法王にとって後者は許せない。
なぜなら信者は教会に行って献金し、洗礼代を払って初めてバチカンが潤う仕組みだからだ。
アーミッシュみたいな無教会派はぶち殺すのがカトリックの流儀だった。
そんなわけで隠れ切支丹でも教会に戻ってきた信者は敢えて「潜伏キリシタン」と言い換えて大いに褒め称えることにした。
法王は訪日最後の夜に東京ドームでミサを執り行い、多額の献金をした信者5万人に祝福を与えて「差別はやめよ」と説教した。
「よく言う」と思う人もいたが、それは措く。
うっかり聞き流してしまいそうな「言い換え」にはときに深い思惑が込められているものなのだ。
少し前の朝日新聞に「原発と関電マネー」という連載があった。
主人公は高浜町助役の森山栄治。
関西電力は彼の口利きで4基の原発を大した問題もなしに稼働できた。
関電はその労に大いに報いるのが形だが、なぜか森山の方が関電幹部に金の延べ棒とか約3億円もの金品を贈っていた。
連載はその不思議を扱っていて、導き出した答えは森山が「えげつないおっさんだったから」という。
例えば彼が空のリュックを手に福井県知事の宴席に乗り込むシーンがある。
畏(かしこ)まる知事に彼は「リュックをキャッシュで一杯にして」と言い放った。
森山は助役を辞めたあと在日系の土建会社の役員に納まり、関電に工事を発注させる。
年商3億円の土建屋はたった数年で同21億円の扱い高になった。
警備会社の顧問もやって、同じく山ほど受注する。
やり過ぎに見える。
だから発注を拒む関電幹部もいたが「筵(むしろ)旗立てて原発潰す」と脅され、左遷された者もいたと連載は伝える。
そんな森山が盆暮れには関電幹部に金の延べ棒とかを贈ってくる。
受け取れないという幹部に「お前の家族がどうなってもいいんか」「家にトラック突っ込ませてやる」とか森山は言う。
それで贈答品は金庫に保管されたが、どれもが「えげつない」で済む話には見えない。
なぜ幹部は警察に訴えなかったのか。
この連載執筆者も数年前にこの恫喝を知ったと書く。
大特ダネだ。でもなぜか記事にしなかった。
その疑問の答えになりそうなのが森山の持つもう一つの肩書「解同高浜支部書記長」ではないか。
そう聞けば大方の人は納得する。昔はそんな話が多かった。そうか関電も幹部も被害者だったのかと。
では朝日の連載はなぜ肝心の言葉をわざわざ「えげつないおっさん」と「言い換え」したのか。
糾弾が嫌だったという口実もあるが、この構図をそっくり反原発ネタに仕立てたかったのではないか。
実際、朝日はその後、関電事件を「原発マネーの不正還流」と書いている。
つまり関電幹部は森山と謀って不正発注し、その謝礼を受け取っていた。
原発は危ない上に裏もこんなに薄汚いのだと。
それははっきり嘘だ。
朝日の名物記者に高木正幸がいた。
それこそ解同と堂々渡り合い、何度も糾弾されたが筆は曲げなかった。
下手な言い換えで嘘を書く後輩を彼は草葉の陰でどう見ているか。