文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

つまり、清王朝の版図、満洲もモンゴルもウイグル、チベットもそっくり相続したいという何の根拠もないホラ話だった。誰も相手にしなかった。

2018年10月31日 10時43分48秒 | 日記

以下は前章の続きである。

それで行きつく先がどうなったのか。

クズ扱いしていた中国人を、太平洋戦争にかけてこの上ないほど持ち上げて利用した。

蒋介石をけしかけて日本と戦わせ、そのために日本は51個師団のうち40個師団を中国に足止めさせられた。

太平洋で英米蘭と戦ったのは、たった11個師団だった。

その見返りが1932年に出た「スティムソン・ドクトリン」だ。 

日本の生命線は満洲だった。

中国は昔から万里の長城の内側が領土だったのを、満洲も中国領だと言ったのが、スティムソンだ。

辛亥革命のあと、詐欺師、孫文が「我々は中華民国をつくって、満洲王朝の面倒を見る」と五族協和を言い出した。

つまり、清王朝の版図、満洲もモンゴルもウイグル、チベットもそっくり相続したいという何の根拠もないホラ話だった。

誰も相手にしなかった。

そこにスティムソンが出てきて、孫文の遺言を引っ張り出した。

国際世論も反日だったから、それに乗る。

その結果、満洲は中国の領土になり、日本は中国の領土を勝手に侵したことになり、だから、不戦条約や9ヵ国条約にも違反していると。日本は立つ瀬がなくなってしまった。

スティムソンの御託で、日本は国際連盟からも脱退しなければならなくなった。

中国には満洲やモンゴル、ウイグル、チベットに対して主権があると、アメリカが保証する形になってしまった。

河添 

ただし、中華人民共和国は当時、存在しないので蒋介石の中華民国政府に対してですね。

高山

そう。いずれにせよ、スティムソンのおかげで中国は万里の長城の外側、夷狄の地も俺のものだと言うようになった。

戦後のアメリカは、日本の再興を抑えることも兼ねて中国の領土保有を認めてきた。

中国が大きくなると、多額の認め料も徴収し出した。

ところが、今の中国は「俺たちが満洲もモンゴルもウイグル、チベットも持っているのはアメリカのおかげではない、昔からオレのものだ」とふんぞり返るようになり、トランプが「ふざけたことを言うな」と初めて否定に回った。

その最初の無効宣言が「台湾は中国のものじゃない」という主張だ。

この稿続く。

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辛亥革命のあと、詐欺師、孫文が「我々は中華民国をつくって、満洲王朝の面倒を見る」と五族協和を言い出した。

2018年10月31日 10時42分46秒 | 日記

以下は前章の続きである。

それで行きつく先がどうなったのか。

クズ扱いしていた中国人を、太平洋戦争にかけてこの上ないほど持ち上げて利用した。

蒋介石をけしかけて日本と戦わせ、そのために日本は51個師団のうち40個師団を中国に足止めさせられた。

太平洋で英米蘭と戦ったのは、たった11個師団だった。

その見返りが1932年に出た「スティムソン・ドクトリン」だ。 

日本の生命線は満洲だった。

中国は昔から万里の長城の内側が領土だったのを、満洲も中国領だと言ったのが、スティムソンだ。

辛亥革命のあと、詐欺師、孫文が「我々は中華民国をつくって、満洲王朝の面倒を見る」と五族協和を言い出した。

つまり、清王朝の版図、満洲もモンゴルもウイグル、チベットもそっくり相続したいという何の根拠もないホラ話だった。

誰も相手にしなかった。

そこにスティムソンが出てきて、孫文の遺言を引っ張り出した。

国際世論も反日だったから、それに乗る。

その結果、満洲は中国の領土になり、日本は中国の領土を勝手に侵したことになり、だから、不戦条約や9ヵ国条約にも違反していると。日本は立つ瀬がなくなってしまった。

スティムソンの御託で、日本は国際連盟からも脱退しなければならなくなった。

中国には満洲やモンゴル、ウイグル、チベットに対して主権があると、アメリカが保証する形になってしまった。

河添 

ただし、中華人民共和国は当時、存在しないので蒋介石の中華民国政府に対してですね。

高山

そう。いずれにせよ、スティムソンのおかげで中国は万里の長城の外側、夷狄の地も俺のものだと言うようになった。

戦後のアメリカは、日本の再興を抑えることも兼ねて中国の領土保有を認めてきた。

中国が大きくなると、多額の認め料も徴収し出した。

ところが、今の中国は「俺たちが満洲もモンゴルもウイグル、チベットも持っているのはアメリカのおかげではない、昔からオレのものだ」とふんぞり返るようになり、トランプが「ふざけたことを言うな」と初めて否定に回った。

その最初の無効宣言が「台湾は中国のものじゃない」という主張だ。

この稿続く。

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中国は昔から万里の長城の内側が領土だったのを、満洲も中国領だと言ったのが、スティムソンだ。

2018年10月31日 10時41分56秒 | 日記

以下は前章の続きである。

それで行きつく先がどうなったのか。

クズ扱いしていた中国人を、太平洋戦争にかけてこの上ないほど持ち上げて利用した。

蒋介石をけしかけて日本と戦わせ、そのために日本は51個師団のうち40個師団を中国に足止めさせられた。

太平洋で英米蘭と戦ったのは、たった11個師団だった。

その見返りが1932年に出た「スティムソン・ドクトリン」だ。 

日本の生命線は満洲だった。

中国は昔から万里の長城の内側が領土だったのを、満洲も中国領だと言ったのが、スティムソンだ。

辛亥革命のあと、詐欺師、孫文が「我々は中華民国をつくって、満洲王朝の面倒を見る」と五族協和を言い出した。

つまり、清王朝の版図、満洲もモンゴルもウイグル、チベットもそっくり相続したいという何の根拠もないホラ話だった。

誰も相手にしなかった。

そこにスティムソンが出てきて、孫文の遺言を引っ張り出した。

国際世論も反日だったから、それに乗る。

その結果、満洲は中国の領土になり、日本は中国の領土を勝手に侵したことになり、だから、不戦条約や9ヵ国条約にも違反していると。日本は立つ瀬がなくなってしまった。

スティムソンの御託で、日本は国際連盟からも脱退しなければならなくなった。

中国には満洲やモンゴル、ウイグル、チベットに対して主権があると、アメリカが保証する形になってしまった。

河添 

ただし、中華人民共和国は当時、存在しないので蒋介石の中華民国政府に対してですね。

高山

そう。いずれにせよ、スティムソンのおかげで中国は万里の長城の外側、夷狄の地も俺のものだと言うようになった。

戦後のアメリカは、日本の再興を抑えることも兼ねて中国の領土保有を認めてきた。

中国が大きくなると、多額の認め料も徴収し出した。

ところが、今の中国は「俺たちが満洲もモンゴルもウイグル、チベットも持っているのはアメリカのおかげではない、昔からオレのものだ」とふんぞり返るようになり、トランプが「ふざけたことを言うな」と初めて否定に回った。

その最初の無効宣言が「台湾は中国のものじゃない」という主張だ。

この稿続く。

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その見返りが1932年に出た「スティムソン・ドクトリン」だ。日本の生命線は満洲だった。

2018年10月31日 10時40分55秒 | 日記

以下は前章の続きである。

それで行きつく先がどうなったのか。

クズ扱いしていた中国人を、太平洋戦争にかけてこの上ないほど持ち上げて利用した。

蒋介石をけしかけて日本と戦わせ、そのために日本は51個師団のうち40個師団を中国に足止めさせられた。

太平洋で英米蘭と戦ったのは、たった11個師団だった。

その見返りが1932年に出た「スティムソン・ドクトリン」だ。 

日本の生命線は満洲だった。

中国は昔から万里の長城の内側が領土だったのを、満洲も中国領だと言ったのが、スティムソンだ。

辛亥革命のあと、詐欺師、孫文が「我々は中華民国をつくって、満洲王朝の面倒を見る」と五族協和を言い出した。

つまり、清王朝の版図、満洲もモンゴルもウイグル、チベットもそっくり相続したいという何の根拠もないホラ話だった。

誰も相手にしなかった。

そこにスティムソンが出てきて、孫文の遺言を引っ張り出した。

国際世論も反日だったから、それに乗る。

その結果、満洲は中国の領土になり、日本は中国の領土を勝手に侵したことになり、だから、不戦条約や9ヵ国条約にも違反していると。日本は立つ瀬がなくなってしまった。

スティムソンの御託で、日本は国際連盟からも脱退しなければならなくなった。

中国には満洲やモンゴル、ウイグル、チベットに対して主権があると、アメリカが保証する形になってしまった。

河添 

ただし、中華人民共和国は当時、存在しないので蒋介石の中華民国政府に対してですね。

高山

そう。いずれにせよ、スティムソンのおかげで中国は万里の長城の外側、夷狄の地も俺のものだと言うようになった。

戦後のアメリカは、日本の再興を抑えることも兼ねて中国の領土保有を認めてきた。

中国が大きくなると、多額の認め料も徴収し出した。

ところが、今の中国は「俺たちが満洲もモンゴルもウイグル、チベットも持っているのはアメリカのおかげではない、昔からオレのものだ」とふんぞり返るようになり、トランプが「ふざけたことを言うな」と初めて否定に回った。

その最初の無効宣言が「台湾は中国のものじゃない」という主張だ。

この稿続く。

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太平洋で英米蘭と戦ったのは、たった11個師団だった。

2018年10月31日 10時39分35秒 | 日記

以下は前章の続きである。

それで行きつく先がどうなったのか。

クズ扱いしていた中国人を、太平洋戦争にかけてこの上ないほど持ち上げて利用した。

蒋介石をけしかけて日本と戦わせ、そのために日本は51個師団のうち40個師団を中国に足止めさせられた。

太平洋で英米蘭と戦ったのは、たった11個師団だった。

その見返りが1932年に出た「スティムソン・ドクトリン」だ。 

日本の生命線は満洲だった。

中国は昔から万里の長城の内側が領土だったのを、満洲も中国領だと言ったのが、スティムソンだ。

辛亥革命のあと、詐欺師、孫文が「我々は中華民国をつくって、満洲王朝の面倒を見る」と五族協和を言い出した。

つまり、清王朝の版図、満洲もモンゴルもウイグル、チベットもそっくり相続したいという何の根拠もないホラ話だった。

誰も相手にしなかった。

そこにスティムソンが出てきて、孫文の遺言を引っ張り出した。

国際世論も反日だったから、それに乗る。

その結果、満洲は中国の領土になり、日本は中国の領土を勝手に侵したことになり、だから、不戦条約や9ヵ国条約にも違反していると。日本は立つ瀬がなくなってしまった。

スティムソンの御託で、日本は国際連盟からも脱退しなければならなくなった。

中国には満洲やモンゴル、ウイグル、チベットに対して主権があると、アメリカが保証する形になってしまった。

河添 

ただし、中華人民共和国は当時、存在しないので蒋介石の中華民国政府に対してですね。

高山

そう。いずれにせよ、スティムソンのおかげで中国は万里の長城の外側、夷狄の地も俺のものだと言うようになった。

戦後のアメリカは、日本の再興を抑えることも兼ねて中国の領土保有を認めてきた。

中国が大きくなると、多額の認め料も徴収し出した。

ところが、今の中国は「俺たちが満洲もモンゴルもウイグル、チベットも持っているのはアメリカのおかげではない、昔からオレのものだ」とふんぞり返るようになり、トランプが「ふざけたことを言うな」と初めて否定に回った。

その最初の無効宣言が「台湾は中国のものじゃない」という主張だ。

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蒋介石をけしかけて日本と戦わせ、そのために日本は51個師団のうち40個師団を中国に足止めさせられた。

2018年10月31日 10時38分39秒 | 日記

以下は前章の続きである。

それで行きつく先がどうなったのか。

クズ扱いしていた中国人を、太平洋戦争にかけてこの上ないほど持ち上げて利用した。

蒋介石をけしかけて日本と戦わせ、そのために日本は51個師団のうち40個師団を中国に足止めさせられた。

太平洋で英米蘭と戦ったのは、たった11個師団だった。

その見返りが1932年に出た「スティムソン・ドクトリン」だ。 

日本の生命線は満洲だった。

中国は昔から万里の長城の内側が領土だったのを、満洲も中国領だと言ったのが、スティムソンだ。

辛亥革命のあと、詐欺師、孫文が「我々は中華民国をつくって、満洲王朝の面倒を見る」と五族協和を言い出した。

つまり、清王朝の版図、満洲もモンゴルもウイグル、チベットもそっくり相続したいという何の根拠もないホラ話だった。

誰も相手にしなかった。

そこにスティムソンが出てきて、孫文の遺言を引っ張り出した。

国際世論も反日だったから、それに乗る。

その結果、満洲は中国の領土になり、日本は中国の領土を勝手に侵したことになり、だから、不戦条約や9ヵ国条約にも違反していると。日本は立つ瀬がなくなってしまった。

スティムソンの御託で、日本は国際連盟からも脱退しなければならなくなった。

中国には満洲やモンゴル、ウイグル、チベットに対して主権があると、アメリカが保証する形になってしまった。

河添 

ただし、中華人民共和国は当時、存在しないので蒋介石の中華民国政府に対してですね。

高山

そう。いずれにせよ、スティムソンのおかげで中国は万里の長城の外側、夷狄の地も俺のものだと言うようになった。

戦後のアメリカは、日本の再興を抑えることも兼ねて中国の領土保有を認めてきた。

中国が大きくなると、多額の認め料も徴収し出した。

ところが、今の中国は「俺たちが満洲もモンゴルもウイグル、チベットも持っているのはアメリカのおかげではない、昔からオレのものだ」とふんぞり返るようになり、トランプが「ふざけたことを言うな」と初めて否定に回った。

その最初の無効宣言が「台湾は中国のものじゃない」という主張だ。

この稿続く。

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それで行きつく先がどうなったのか。クズ扱いしていた中国人を、太平洋戦争にかけてこの上ないほど持ち上げて利用した。

2018年10月31日 10時37分41秒 | 日記

以下は前章の続きである。

それで行きつく先がどうなったのか。

クズ扱いしていた中国人を、太平洋戦争にかけてこの上ないほど持ち上げて利用した。

蒋介石をけしかけて日本と戦わせ、そのために日本は51個師団のうち40個師団を中国に足止めさせられた。

太平洋で英米蘭と戦ったのは、たった11個師団だった。

その見返りが1932年に出た「スティムソン・ドクトリン」だ。 

日本の生命線は満洲だった。

中国は昔から万里の長城の内側が領土だったのを、満洲も中国領だと言ったのが、スティムソンだ。

辛亥革命のあと、詐欺師、孫文が「我々は中華民国をつくって、満洲王朝の面倒を見る」と五族協和を言い出した。

つまり、清王朝の版図、満洲もモンゴルもウイグル、チベットもそっくり相続したいという何の根拠もないホラ話だった。

誰も相手にしなかった。

そこにスティムソンが出てきて、孫文の遺言を引っ張り出した。

国際世論も反日だったから、それに乗る。

その結果、満洲は中国の領土になり、日本は中国の領土を勝手に侵したことになり、だから、不戦条約や9ヵ国条約にも違反していると。日本は立つ瀬がなくなってしまった。

スティムソンの御託で、日本は国際連盟からも脱退しなければならなくなった。

中国には満洲やモンゴル、ウイグル、チベットに対して主権があると、アメリカが保証する形になってしまった。

河添 

ただし、中華人民共和国は当時、存在しないので蒋介石の中華民国政府に対してですね。

高山

そう。いずれにせよ、スティムソンのおかげで中国は万里の長城の外側、夷狄の地も俺のものだと言うようになった。

戦後のアメリカは、日本の再興を抑えることも兼ねて中国の領土保有を認めてきた。

中国が大きくなると、多額の認め料も徴収し出した。

ところが、今の中国は「俺たちが満洲もモンゴルもウイグル、チベットも持っているのはアメリカのおかげではない、昔からオレのものだ」とふんぞり返るようになり、トランプが「ふざけたことを言うな」と初めて否定に回った。

その最初の無効宣言が「台湾は中国のものじゃない」という主張だ。

この稿続く。

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CPIの当初の目的は、第一次世界大戦にアメリカを参戦させるよう新聞・雑誌や知識人を使って世論を動かすことだった。

2018年10月31日 10時34分30秒 | 日記

以下は前章の続きである。

CPIが動かしていた

高山 

こうやって反日機運を中国内に醸成していった。

そういう世論操作も実はアメリカのお得意の分野で、セオドア・ルーズベルトがやり始めた日中分断をさらに推し進めたのが、ウッドロー・ウィルソン大統領が1917年に国務長官と陸海軍長官、それにメディア代表の四人で構成した米国広報委員会(Committee on Public Information、以下CPI)だ。

CPIの当初の目的は、第一次世界大戦にアメリカを参戦させるよう新聞・雑誌や知識人を使って世論を動かすことだった。

結果的にアメリカは参戦し、アメリカの国威と商売を盛り上げた。 

CPIはそこで役目が終わった心だけど潰さなかった。

上海委員会をつくって、セオドアの遺志を継ぎ、多くの新聞記者を送り込み、反日をあおり、『中国の赤い星』を書いたエドガー・スノーや、『老人と海』のヘミングウェイも投入して蒋介石を守り立て、日本と戦わせた。

もっともヘミングウェイは蒋介石があまりに下品だから、何も書かなかった。

中国人を素朴に描いた『大地』のパール・バックにノーベル文学賞を与えたのも、すべてCPIの指揮だった。 

それがいかに日中離反に成果があったか。

第二次上海事変(日中戦争)があった1937年から3年間の世論調査結果が残っていて、対中国の好感度が76%なのに対し、日本はたった1%(笑)。

河添 

すさまじき世論操作!

高山 

その背後には必ずCPIがいたし、派遣したアメリカの特派員がいる。

南京大虐殺を最初にでっち上げたのは『シカゴ・トリビユーン』のアーチボルド・スティールと『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディンだ。

他にベイツやマギーなどアメリカ人宣教師連中も一役買っていた。 

昨今はなんでもコミンテルンがやったと言っているけれど、彼らが出る幕がないほど、アメリカ人が動き回っていた。

CPIの威力を知るべきだね。 

この稿続く。

 
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上海委員会をつくって、セオドアの遺志を継ぎ、多くの新聞記者を送り込み、反日をあおり、『中国の赤い星』を書いたエドガー・スノーや、『老人と海』のヘミングウェイも

2018年10月31日 10時33分52秒 | 日記

以下は前章の続きである。

CPIが動かしていた

高山 

こうやって反日機運を中国内に醸成していった。

そういう世論操作も実はアメリカのお得意の分野で、セオドア・ルーズベルトがやり始めた日中分断をさらに推し進めたのが、ウッドロー・ウィルソン大統領が1917年に国務長官と陸海軍長官、それにメディア代表の四人で構成した米国広報委員会(Committee on Public Information、以下CPI)だ。

CPIの当初の目的は、第一次世界大戦にアメリカを参戦させるよう新聞・雑誌や知識人を使って世論を動かすことだった。

結果的にアメリカは参戦し、アメリカの国威と商売を盛り上げた。 

CPIはそこで役目が終わった心だけど潰さなかった。

上海委員会をつくって、セオドアの遺志を継ぎ、多くの新聞記者を送り込み、反日をあおり、『中国の赤い星』を書いたエドガー・スノーや、『老人と海』のヘミングウェイも投入して蒋介石を守り立て、日本と戦わせた。

もっともヘミングウェイは蒋介石があまりに下品だから、何も書かなかった。

中国人を素朴に描いた『大地』のパール・バックにノーベル文学賞を与えたのも、すべてCPIの指揮だった。 

それがいかに日中離反に成果があったか。

第二次上海事変(日中戦争)があった1937年から3年間の世論調査結果が残っていて、対中国の好感度が76%なのに対し、日本はたった1%(笑)。

河添 

すさまじき世論操作!

高山 

その背後には必ずCPIがいたし、派遣したアメリカの特派員がいる。

南京大虐殺を最初にでっち上げたのは『シカゴ・トリビユーン』のアーチボルド・スティールと『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディンだ。

他にベイツやマギーなどアメリカ人宣教師連中も一役買っていた。 

昨今はなんでもコミンテルンがやったと言っているけれど、彼らが出る幕がないほど、アメリカ人が動き回っていた。

CPIの威力を知るべきだね。 

この稿続く。

 
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蒋介石を守り立て、日本と戦わせた。もっともヘミングウェイは蒋介石があまりに下品だから、何も書かなかった。

2018年10月31日 10時33分19秒 | 日記

以下は前章の続きである。

CPIが動かしていた

高山 

こうやって反日機運を中国内に醸成していった。

そういう世論操作も実はアメリカのお得意の分野で、セオドア・ルーズベルトがやり始めた日中分断をさらに推し進めたのが、ウッドロー・ウィルソン大統領が1917年に国務長官と陸海軍長官、それにメディア代表の四人で構成した米国広報委員会(Committee on Public Information、以下CPI)だ。

CPIの当初の目的は、第一次世界大戦にアメリカを参戦させるよう新聞・雑誌や知識人を使って世論を動かすことだった。

結果的にアメリカは参戦し、アメリカの国威と商売を盛り上げた。 

CPIはそこで役目が終わった心だけど潰さなかった。

上海委員会をつくって、セオドアの遺志を継ぎ、多くの新聞記者を送り込み、反日をあおり、『中国の赤い星』を書いたエドガー・スノーや、『老人と海』のヘミングウェイも投入して蒋介石を守り立て、日本と戦わせた。

もっともヘミングウェイは蒋介石があまりに下品だから、何も書かなかった。

中国人を素朴に描いた『大地』のパール・バックにノーベル文学賞を与えたのも、すべてCPIの指揮だった。 

それがいかに日中離反に成果があったか。

第二次上海事変(日中戦争)があった1937年から3年間の世論調査結果が残っていて、対中国の好感度が76%なのに対し、日本はたった1%(笑)。

河添 

すさまじき世論操作!

高山 

その背後には必ずCPIがいたし、派遣したアメリカの特派員がいる。

南京大虐殺を最初にでっち上げたのは『シカゴ・トリビユーン』のアーチボルド・スティールと『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディンだ。

他にベイツやマギーなどアメリカ人宣教師連中も一役買っていた。 

昨今はなんでもコミンテルンがやったと言っているけれど、彼らが出る幕がないほど、アメリカ人が動き回っていた。

CPIの威力を知るべきだね。 

この稿続く。

 
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中国人を素朴に描いた『大地』のパール・バックにノーベル文学賞を与えたのも、すべてCPIの指揮だった。 

2018年10月31日 10時32分36秒 | 日記

以下は前章の続きである。

CPIが動かしていた

高山 

こうやって反日機運を中国内に醸成していった。

そういう世論操作も実はアメリカのお得意の分野で、セオドア・ルーズベルトがやり始めた日中分断をさらに推し進めたのが、ウッドロー・ウィルソン大統領が1917年に国務長官と陸海軍長官、それにメディア代表の四人で構成した米国広報委員会(Committee on Public Information、以下CPI)だ。

CPIの当初の目的は、第一次世界大戦にアメリカを参戦させるよう新聞・雑誌や知識人を使って世論を動かすことだった。

結果的にアメリカは参戦し、アメリカの国威と商売を盛り上げた。 

CPIはそこで役目が終わった心だけど潰さなかった。

上海委員会をつくって、セオドアの遺志を継ぎ、多くの新聞記者を送り込み、反日をあおり、『中国の赤い星』を書いたエドガー・スノーや、『老人と海』のヘミングウェイも投入して蒋介石を守り立て、日本と戦わせた。

もっともヘミングウェイは蒋介石があまりに下品だから、何も書かなかった。

中国人を素朴に描いた『大地』のパール・バックにノーベル文学賞を与えたのも、すべてCPIの指揮だった。 

それがいかに日中離反に成果があったか。

第二次上海事変(日中戦争)があった1937年から3年間の世論調査結果が残っていて、対中国の好感度が76%なのに対し、日本はたった1%(笑)。

河添 

すさまじき世論操作!

高山 

その背後には必ずCPIがいたし、派遣したアメリカの特派員がいる。

南京大虐殺を最初にでっち上げたのは『シカゴ・トリビユーン』のアーチボルド・スティールと『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディンだ。

他にベイツやマギーなどアメリカ人宣教師連中も一役買っていた。 

昨今はなんでもコミンテルンがやったと言っているけれど、彼らが出る幕がないほど、アメリカ人が動き回っていた。

CPIの威力を知るべきだね。 

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第二次上海事変(日中戦争)があった1937年から3年間の世論調査結果が残っていて、対中国の好感度が76%なのに対し、日本はたった1%(笑)

2018年10月31日 10時31分47秒 | 日記

以下は前章の続きである。

CPIが動かしていた

高山 

こうやって反日機運を中国内に醸成していった。

そういう世論操作も実はアメリカのお得意の分野で、セオドア・ルーズベルトがやり始めた日中分断をさらに推し進めたのが、ウッドロー・ウィルソン大統領が1917年に国務長官と陸海軍長官、それにメディア代表の四人で構成した米国広報委員会(Committee on Public Information、以下CPI)だ。

CPIの当初の目的は、第一次世界大戦にアメリカを参戦させるよう新聞・雑誌や知識人を使って世論を動かすことだった。

結果的にアメリカは参戦し、アメリカの国威と商売を盛り上げた。 

CPIはそこで役目が終わった心だけど潰さなかった。

上海委員会をつくって、セオドアの遺志を継ぎ、多くの新聞記者を送り込み、反日をあおり、『中国の赤い星』を書いたエドガー・スノーや、『老人と海』のヘミングウェイも投入して蒋介石を守り立て、日本と戦わせた。

もっともヘミングウェイは蒋介石があまりに下品だから、何も書かなかった。

中国人を素朴に描いた『大地』のパール・バックにノーベル文学賞を与えたのも、すべてCPIの指揮だった。 

それがいかに日中離反に成果があったか。

第二次上海事変(日中戦争)があった1937年から3年間の世論調査結果が残っていて、対中国の好感度が76%なのに対し、日本はたった1%(笑)。

河添 

すさまじき世論操作!

高山 

その背後には必ずCPIがいたし、派遣したアメリカの特派員がいる。

南京大虐殺を最初にでっち上げたのは『シカゴ・トリビユーン』のアーチボルド・スティールと『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディンだ。

張学良が蒋介石を捕まえた西安事件では、最初に宋美齢を連れて乗り込んでいったのがウィリアム・ドナルド。『ニューヨーク・ヘラルド』の記者だった。

他にベイツやマギーなどアメリカ人宣教師連中も一役買っていた。 

昨今はなんでもコミンテルンがやったと言っているけれど、彼らが出る幕がないほど、アメリカ人が動き回っていた。

CPIの威力を知るべきだね。 

この稿続く。

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南京大虐殺を最初にでっち上げたのは『シカゴ・トリビユーン』のアーチボルド・スティールと『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディンだ

2018年10月31日 10時30分30秒 | 日記

以下は前章の続きである。

CPIが動かしていた

高山 

こうやって反日機運を中国内に醸成していった。

そういう世論操作も実はアメリカのお得意の分野で、セオドア・ルーズベルトがやり始めた日中分断をさらに推し進めたのが、ウッドロー・ウィルソン大統領が1917年に国務長官と陸海軍長官、それにメディア代表の四人で構成した米国広報委員会(Committee on Public Information、以下CPI)だ。

CPIの当初の目的は、第一次世界大戦にアメリカを参戦させるよう新聞・雑誌や知識人を使って世論を動かすことだった。

結果的にアメリカは参戦し、アメリカの国威と商売を盛り上げた。 

CPIはそこで役目が終わった心だけど潰さなかった。

上海委員会をつくって、セオドアの遺志を継ぎ、多くの新聞記者を送り込み、反日をあおり、『中国の赤い星』を書いたエドガー・スノーや、『老人と海』のヘミングウェイも投入して蒋介石を守り立て、日本と戦わせた。

もっともヘミングウェイは蒋介石があまりに下品だから、何も書かなかった。

中国人を素朴に描いた『大地』のパール・バックにノーベル文学賞を与えたのも、すべてCPIの指揮だった。 

それがいかに日中離反に成果があったか。

第二次上海事変(日中戦争)があった1937年から3年間の世論調査結果が残っていて、対中国の好感度が76%なのに対し、日本はたった1%(笑)。

河添 

すさまじき世論操作!

高山 

その背後には必ずCPIがいたし、派遣したアメリカの特派員がいる。

南京大虐殺を最初にでっち上げたのは『シカゴ・トリビユーン』のアーチボルド・スティールと『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディンだ。

張学良が蒋介石を捕まえた西安事件では、最初に宋美齢を連れて乗り込んでいったのがウィリアム・ドナルド。『ニューヨーク・ヘラルド』の記者だった。

他にベイツやマギーなどアメリカ人宣教師連中も一役買っていた。 

昨今はなんでもコミンテルンがやったと言っているけれど、彼らが出る幕がないほど、アメリカ人が動き回っていた。

CPIの威力を知るべきだね。 

この稿続く。

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他にベイツやマギーなどアメリカ人宣教師連中も一役買っていた。

2018年10月31日 10時27分44秒 | 日記

以下は前章の続きである。

以下は前章の続きである。

CPIが動かしていた

高山 

こうやって反日機運を中国内に醸成していった。

そういう世論操作も実はアメリカのお得意の分野で、セオドア・ルーズベルトがやり始めた日中分断をさらに推し進めたのが、ウッドロー・ウィルソン大統領が1917年に国務長官と陸海軍長官、それにメディア代表の四人で構成した米国広報委員会(Committee on Public Information、以下CPI)だ。

CPIの当初の目的は、第一次世界大戦にアメリカを参戦させるよう新聞・雑誌や知識人を使って世論を動かすことだった。

結果的にアメリカは参戦し、アメリカの国威と商売を盛り上げた。 

CPIはそこで役目が終わった心だけど潰さなかった。

上海委員会をつくって、セオドアの遺志を継ぎ、多くの新聞記者を送り込み、反日をあおり、『中国の赤い星』を書いたエドガー・スノーや、『老人と海』のヘミングウェイも投入して蒋介石を守り立て、日本と戦わせた。

もっともヘミングウェイは蒋介石があまりに下品だから、何も書かなかった。

中国人を素朴に描いた『大地』のパール・バックにノーベル文学賞を与えたのも、すべてCPIの指揮だった。 

それがいかに日中離反に成果があったか。

第二次上海事変(日中戦争)があった1937年から3年間の世論調査結果が残っていて、対中国の好感度が76%なのに対し、日本はたった1%(笑)。

河添 

すさまじき世論操作!

高山 

その背後には必ずCPIがいたし、派遣したアメリカの特派員がいる。

南京大虐殺を最初にでっち上げたのは『シカゴ・トリビユーン』のアーチボルド・スティールと『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディンだ。

他にベイツやマギーなどアメリカ人宣教師連中も一役買っていた。 

昨今はなんでもコミンテルンがやったと言っているけれど、彼らが出る幕がないほど、アメリカ人が動き回っていた。

CPIの威力を知るべきだね。 

この稿続く。

 

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張学良が蒋介石を捕まえた西安事件では、最初に宋美齢を連れて乗り込んでいったのがウィリアム・ドナルド。『ニューヨーク・ヘラルド』の記者だった

2018年10月31日 10時25分04秒 | 日記

以下は前章の続きである。

CPIが動かしていた

高山 

こうやって反日機運を中国内に醸成していった。

そういう世論操作も実はアメリカのお得意の分野で、セオドア・ルーズベルトがやり始めた日中分断をさらに推し進めたのが、ウッドロー・ウィルソン大統領が1917年に国務長官と陸海軍長官、それにメディア代表の四人で構成した米国広報委員会(Committee on Public Information、以下CPI)だ。

CPIの当初の目的は、第一次世界大戦にアメリカを参戦させるよう新聞・雑誌や知識人を使って世論を動かすことだった。

結果的にアメリカは参戦し、アメリカの国威と商売を盛り上げた。 

CPIはそこで役目が終わった心だけど潰さなかった。

上海委員会をつくって、セオドアの遺志を継ぎ、多くの新聞記者を送り込み、反日をあおり、『中国の赤い星』を書いたエドガー・スノーや、『老人と海』のヘミングウェイも投入して蒋介石を守り立て、日本と戦わせた。

もっともヘミングウェイは蒋介石があまりに下品だから、何も書かなかった。

中国人を素朴に描いた『大地』のパール・バックにノーベル文学賞を与えたのも、すべてCPIの指揮だった。 

それがいかに日中離反に成果があったか。

第二次上海事変(日中戦争)があった1937年から3年間の世論調査結果が残っていて、対中国の好感度が76%なのに対し、日本はたった1%(笑)。

河添 

すさまじき世論操作!

高山 

その背後には必ずCPIがいたし、派遣したアメリカの特派員がいる。

南京大虐殺を最初にでっち上げたのは『シカゴ・トリビユーン』のアーチボルド・スティールと『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディンだ。

張学良が蒋介石を捕まえた西安事件では、最初に宋美齢を連れて乗り込んでいったのがウィリアム・ドナルド。『ニューヨーク・ヘラルド』の記者だった。

他にベイツやマギーなどアメリカ人宣教師連中も一役買っていた。 

昨今はなんでもコミンテルンがやったと言っているけれど、彼らが出る幕がないほど、アメリカ人が動き回っていた。

CPIの威力を知るべきだね。 

この稿続く。

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