☆美しい気高いラブストーリー
オードリーヘプバーンを一躍有名にしたのは、不朽の名画『ローマの休日』だった。
かつてローマを訪れた観光客は、必ずスペイン広場でジェラートを食べたものだ。
それほど『ローマの休日』が愛され続けたのは、なにより永遠性を持つラブストーリーに他ならない。
その『ローマの休日』が、こんどは舞台になった。
しかも、たった三人で演じるというユニークな趣向。
アン王女を元宝塚の朝海ひかる、新聞記者のジョーを吉田栄作。、カメラマンのアービングを小倉久寛。
作品の持つ気高さを掬い取ったのが、今回上演された舞台だった。
それでいて、映画のロマンチックや甘やかさはそのままに。
さらにジョーのバックグラウンドという補助線を引いて、緊密な三人芝居に仕立て上げた。
☆アン王女の役は、世界中がオードリーのものだと思っている!!
「みんなが抱いているアン王女のイメージを崩さずに演じたい」
と朝海ひかるさんは語る。そして付け加えた。
「初日に生卵が飛んで来ないかと実はドキドキしてました」
妖精めいた透明度、髪をバッサリ切ったオードリーの清々しい魅力に、当時の女性は、この「ヘップバーン・カット」を真似たものだ。
今回感心したのは、一幕でのアン王女の気持ちの動きが、舞台ならではのキメ細かさで描かれているいることです。
アン王女は好奇心が旺盛で、その気持ちがふくれ上がって街に飛び出すヤマ場。
しかも、舞台に織り込まれたディテールがまたキュート。
朝海は、素直に、ユーモラスに、このピュアな恋を凛々しく、気高く演じた。
☆「人間には義務と同時に権利というものがあるんだ」
殻を破れないという王女に、ジョーはそれまでの自分の人生を重ね合わせて言うセリフだが、説得力があり、重みがあった。
というのにはワケがある。
原作映画の脚本を書いたトランボは、冷戦時代の米国で共産主義者を弾圧した「アカ狩り」に巻き込まれた。
その実話を、今回舞台で吉田栄作扮するジョーという新聞記者に投影した。
セリフに込められたメッセージは共感できるし、とてもいいシーンだった。
なんらかの先入観があるのかもしれないが、どう見ても吉田栄作は新聞記者には見えない。
もっと大事なことは、なぜジョーがローマにいるのか、屈折したところやなんとなく翳のある人物像が希薄というか、あまり見えてこないのが惜しまれる。
カメラマンのアーピング役の小倉久寛は手堅い。
持ち前のユーモラスで舞台を引き締めている。
難をいえば、「スクープの分け前」を欲しさに、ライター型カメラで隠し撮りした写真数10枚。
没(ぼつ)になるという事態に、いとも簡単に友人のジョーに同意してしまう。
それでは、いままでの苦労が水の泡ではないか。
もう少し掘り下げてほしかった。
☆ローマの町並みを舞台でどう表現するか?
今回の舞台化は、当初からスタッフ一同が無謀な挑戦だと思ったらしい。
ストレートプレイにするには、はじめ役者は三人だけ、舞台装置はジョーのアパート一室のワンシチュエーションだったらしい。
三人芝居はともかく、セット一つはどうしてもムリだったようだ。
『ローマの休日』といえば、かの有名な「真実の口」、「ジェラート」、そして二人がローマ市街を駆け巡る「べスパ」が必需品のようなもの。
結局、これらは完コピーでやることになった。
全体に舞台ならではのキメ細かさ。
クライマックスでの男と女の絶妙といえる”間”にいい味がある。
おしのびの王女と彼女に寄り添う記者のジョーが、惹かれ合うもののそれぞれの立場をわきまえて、たった一度だけのキスで別れていく。
そんなピュアな恋を封じ込めた煌く結晶のような舞台であった。
【2010年5月13日 シアター・ドラマシティ 所見】