Dream Gate ( 中野 浚次のブログ )   

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宇崎竜童の音楽で『男の花道』    ―大阪・新歌舞伎座―

2012-07-06 | 演劇

 
   
   
   

   『男の花道』を初めて見たのは、昭和44年、大阪のコマ劇場だった。
   当代藤十郎、そのころは扇雀の加賀屋歌右衛門、島田正吾の土生玄碩でした。

   そもそも『男の花道』は戦時中、マキノ雅弘監督によって、長谷川一夫の歌右衛門、古川ロッパの玄碩
   で映画化され大ヒットしたそうである。ちなみに原作は『名医と名優』という講談だったという。

   以来藤十郎が舞台で度々手がけ、今では歌舞伎の演目のひとつにもなっている。
   最近では、藤十郎の加賀屋歌右衛門、我当の土生玄碩、料亭の女将には秀太郎で大阪松竹座でみた。
   ついでにいわせてもらうなら、宴席に花をそえたのはりき彌、千壽郎らの上方塾出身の芸者たちである

   今回は”歌舞伎”ではなく”現在劇”として、加賀屋歌右衛門に歌舞伎の福助、玄碩に前進座の梅雀の顔
   ぶれ。それにマキノ雅彦(←津川雅彦)の演出、宇崎竜童の音楽というユニットで、この7月1日に
   大阪・新歌舞伎座で初日をあけた。   


たしかに盛り付けは、いかにも美味しそうである。
だが食べてみると、ちっとも美味しくなかった。「チケット代金を返してよ!!」といいたいくらいの不出来な仕上がりである。

その原因は何だろう。
今回の『男の花道』は、歌舞伎ではない、現代劇でもない、さりとて商業演劇でもない。
加えて映像畑の津川雅彦の演出。どちらかというと”舞台的”でなく、映像センスで押し切ろうとする。いわばそれがスタートラインだった。

照明にしろ、音楽にしろ、そのジレンマの中で仕上げた不完全燃焼の作品になってしまっている。
初日3日目の所見で、とやかくいうのは酷かもしれないが、これでは松井 誠なる大衆演劇役者が演ずる『男の花道』のほうがよっぽど面白い。
何故ならむずかしい理屈はなく、かれらは大衆を楽しませることだけに徹しているからである。 

 

             


ストーリーは略すが、主人公の加賀屋歌右衛門(←中村福助・画像/左)が実はひそかに失明の危機を抱えているが、それを隠しながら舞台に出ているのだが、それが見えてこない。これがこのドラマの発端である。お「金谷

蘭方医の土生玄碩(←中村梅雀・画像/右)は、その症状を客席で見破る。
たまたま、一座が東下りの途上の「金谷宿」で再会。玄碩は眼の手術を敢行。歌右衛門は役者生命の危機を救われる。『仮名手本
序幕の「金谷宿」では、屏風だけの簡素なセット。ここで手術を決心させ、いとも簡単に眼が治るというあまりのご都合主義でお粗末である。

『男の花道』の主人公加賀屋歌右衛門は、なまなかな役者が手に負える役ではない。
加賀屋歌右衛門とは三世中村歌右衛門をモデルにしているという。初代は上方歌舞伎の重鎮であり、三世は江戸でも人気を博し、類稀な名優だったそうだ。
今回の福助はその子孫のひとりである。

その福助には立女形としての品位がなく、火の玉のように己を燃やす歌右衛門の情熱は台詞ばかりで、体から発散してくるものが一向に伝わらなかった。
この芝居の名場面といえば、劇中劇の『櫓のお七』である。そのお七の人形ぶりは、ひとつの見せ場にもなっているが、これが又お粗末。
衣の人形遣いはまるで素人並み。福助丈の部屋子である福太郎、福緒の両君。文楽を一度見に行けよ!!

梅雀は天真爛漫な玄碩を持ち前のチャーミングさで憎めないキャラクターをうまく発揮していた。
いささかの渋さがほしいが、この人に期待するのは無理だろう。それでいて蘭方医に見えるから大したものだ。

松也の中村勘三郎が意外に拾い物。
まだ年齢が若いという欠点はあるが、声柄といい、座元という大きさもある。音羽屋大健闘

徳松の春庵がさすがベテランの味。
梅雀の玄碩が切腹するという場面で、徳松の騒ぎかたが愉快である。しかも仮名手本忠臣蔵の四段目まがいで面白かった。

最後に深川の料亭女将の一色菜子。女将というより仲居か小間使いにしか見えないのは困る。
歌舞伎でいえば”花車方”という重要な役割 。中村座に出ている歌右衛門を呼び寄せるために玄碩がしたためた大切な手紙。
その手紙を託されるというこのドラマのポイント役でもある。
片岡秀太郎を出せとはいわないが、もっと適当な役者がいなかったのか。
昨今の若い女優さんでは荷が重すぎるとおもうのだが・・・・・・。

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