ぼんぼん盆の十六日に
地獄の地獄の蓋があく
地獄の釜の蓋があく
宇野誠一郎の軽快な旋律にのって歌われる序幕のすばらしさ。
井上ひさしの『頭痛肩こり 樋口一葉』の100回記念公演に引き続き、今回の再演は女優陣のアンサンブルもさすがで、今までにないみ
ずみずしい舞台に仕上がった。
あまたある井上ひさしの評伝劇のなかでも、宮沢賢治を題材に舞台ならではの世界を展開した『イーハトーポの劇列車』(昭和55年)
とならんで傑作の一つではないだろうか。
毎年の盂蘭盆に舞台をしぼって一葉の暮らしを追い、樋口一葉の作品のエピソードがふんだんに劇中に塗りかさねている。『にごりえ』
『大つごもり』、『十三夜』、『たけくらべ』とか、それを観客が気がついているかどうかは疑問だが。 しかも脇筋に作者自身がつくりだした
八重とか吉原の花魁の幽霊をユニークな形で登場させて、これが非常に効果的に使われて面白い。その作劇の妙には瞠目する。
また、女が職業をもつことが難しかった時代に、筆1本で生きようとした一葉の極貧生活。この作品には幕開きから終始あの世からこの
世を見ているという、視点の面白さがある。つまり”死者の眼”とでも云おうか、それがいかにも現在的であり前衛的でもある。
画像・上段左から (夏子)永作博美 (多喜)三田和代 (邦子)深谷美歩
下段左から (稲葉 鉱)愛華みれ (花蛍)若村真由美 (中野八重)熊谷真美
出演者でいえば、今回は夏子(一葉)の永作博美だけが新加入。前回は小泉今日子だった。
この役でいちばん大事な”憤り感”がよく出ていて好演した。
花蛍は難役だが、持ち役といわれた新橋耐子に代って若村真由美。この世で恨む相手を探し続ける元吉原の花魁というユーモラスな
幽霊をうまく作り出した。ただ少し動き過ぎの感があり、そのためか台詞が上ずったところがあるのが残念である。
井上ひさしが新たに設けた数奇な運命を辿る女・八重の熊谷真美は好演。一葉の小説の一節をしゃべりまくり。この役がいちばんニン
に合っていたように思う。
終幕でひとりこの世に残った妹の邦子が、仏壇を背負っていく場面での深谷美歩が秀逸である。印象深いシーンだった。
仏壇の物理的な重さではなく、生きているさまざまな人間たちの”魂”がそこに入っている重みという実感を見ていて感じた。
松井るみの簡潔な美術は、演技の空間を計算尽くした名装置。
栗山民也の演出は切れ味もよく、永年、井上作品を手懸けてきただけに、原点の空気を深く吸い込み、作者追悼の思いが色濃くにじ
み出た今回の舞台だった。
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