2月の東京は関西よりも、よほど暖かい。
銀座で野暮用を済ませ、さてランチはどこにしようか?
夕方から人形町の「玉ひで」でとりなべパーティーがあるので、軽めのものにしておこうか。
とまず向った先は・・・
建設中の歌舞伎座を横目で見ながら、やはりお昼のひと時は「Ken`s」に決める。
「Ken`s珈琲店」の食事メニューに最近ご飯ものが登場しました。
その名も「Ken`s特製和牛のビーフカレー」。
しかもランチタイムは格安のお値段です。
前沢牛を100%使用です。
お肉はとろ~りとろとろ、しかも柔らかな美味しさです。
ルーは辛すぎず、まろやかで、コクがありました。
ほんとに美味しかったです。
このところ美味しいビーフカレーに出会いませんでした。
ken`sさんの特製ビーフカレーライス、一押しのおススメです!!
「カレーライス」にはミニサラダと飲み物が付きます。
私は食事のときは、いつも紅茶。それも、あったか~いレモンティ。
たかが紅茶 されど紅茶!
Ken`sさんの紅茶メニューの豊富さにはオドロキです。
タージリン、アッサム、ドアーズ、ニリトギリのインド産系。
キャディ、ヌワラエリアなどのスリーランカ産。
ジャワ、スマトラのインドネシア産系など・・・etc。
「紅茶専門店」だって、これだけの海外ブランドをキープしてませんよ!
迷ったあげく、ポピュラーのタージリンを注文。
運ばれて来たティポットに3杯分くらいありましたよ!
しかもミニサラダ付きで、ランチ特別料金1050円。
私にとってKen`s珈琲店は、最高の「癒しの空間」であり、「素敵な時間」を共有できる所。
銀座を問わず、最近、こうゆう「喫茶店」が少なくなった。
・・・・と思うのは私だけでしょうか。
昨夜、深夜テレビに夢中になたって、起きたのは昼過ぎ。
先月のアジアカップ以来の夜更かしです(笑)。
窓を開けて・・・びっくり!!
庭一面が銀世界です。
雪が積もるなんて、何十年ぶりです。
江戸・本所松阪町の吉良邸の庭には到底およびませんが、雪に変わりはありません。
歌舞伎でいえば、『仮名手本忠臣蔵十一段目』ですよね(←すぐに歌舞伎の話になっちゃいます。スイマセン)。
史実によれば、討ち入り当日は雪が降ってはいなかったらしいです。
俳句か短歌かしらないけれど、「春の淡雪」ということばがあります。
美しい日本語ですが、今年の各地の豪雪を思うと、そんな悠長なことをいってる場合ではありません。
(画像は『わが町』 葬列の一場面)
『わが町』の作者ワイルダーは、きわめて異質の作家だと思う。
オルビーのように「不条理劇」ではないにしても、正直見ていて手も足も出ないしんど~い芝居でした。
とはいうものの、ありふれた日常の中の親子関係、子供の成長など、この作品は遥か上空から俯瞰するような眼差しで人間の営みを描いているとも思った。
つまりは生きることの意味や日常の価値を考えさせるものが多かった。
舞台に置かれているのは机と椅子だけ。ほかの装置は一切なし。
俳優は役になりきるのではなく、役を演じていることを観客にあきらかにしてゆく手法なんです。
舞台監督(小堺一機)という橋渡し役を配して、舞台と観客、虚構と現実の間を行き来するという、あまり見慣れないというか、画期的な作品だといえましょう。
ワイルダーとほぼ同期のアメリカの劇作家であるアーサミラー、オニール、テネシー・ウイリアムらは、人間の心理の内奥に鋭く分け入ることで、社会のゆがみや捻れを批判的に抉り出した作品だった。
これらの作品は日本でもたびたび上演されており、正直こちらはすんなりと入っていける。
今回の『わが町』に関しては、ワイルダーの「異質性」が理解出来ず退屈きわまる三時間だった。
(画像/左 小堺一機 右 鷲尾真知子 )
(画像上段から 斉藤由貴 相島一之 佃井皆実 中村倫也 )
『わが町』観劇後にあらためてホンを読んでみた。もちろん今回上演された新訳である。
虚心に読み返せば、舞台で見えなかった新たな発見がいくつかあった。
生きているってことは、ああこういうことなんだと。
作中ギブズ夫人(斉藤由貴)が「それは真実のすべてじゃない」というセリフがある。
つまり生とは「無知と盲目の世界」「死者の眼」をもって初めて「生」の意味を知ることができるというのです。
いささか哲学的になっちゃいましたから、これで擱きますね(笑)。
小堺一機は精いっぱいの努力で、見ごたえのある舞台監督役を作り出した。
ドクター・ギブスの相島一之、ウエブ夫人の鷲尾真知子は両人とも手堅い。
アイドルらしいが中村倫也は役の掘り下げがいまひとつ。なんだか分からぬうちに終わってしまった感じ。
エミリー役はオーディションで選ばれた佃井皆実。
チャーミングだが、もう少し溌剌さがほしい。
今回注目したのが音楽の稲本 響。
舞台上に1912年製のスタインウェイを持ち込んでの生演奏。
ピアノは『わが町』が書かれた時代のものだそうですが、曲調は現代調でスリリグに活性化したのがよかった。
(2011年1月20日 新国立劇場中ホールにて所見 )
きょうは節分です。
節分とは、現在では立春の前日、つまり太陽暦の2月3日か4日をさします。
新たな春を迎えるために災厄や邪気を祓い、福を招く必要があるとされてきたのです。
● 福豆 ●
例年通り、ことしも茶屋町の「千鳥屋」さんで福豆を買ってきました(画像/右)。
福豆はたべるものではなく、はじめは玄関、そして各部屋へ撒くものですが、わが家では、最初から自分の年齢の数だけたべます。
これが「わが家の流儀なんです。
● 恵方巻 ●
恵方巻とは、節分にたべる太巻のこと(←関東ではあまりききませんが)。
巻き寿司には「福を巻き込む」という意味と、切らずに丸かじりすることから「縁を切らない」
という意味が込められているそうです。
ですがわが家では「紺屋の白袴」と申しまして、歯がよろしくない人間がいるものですから、すし屋さんも心得ていて、いつも切って届けてくれます。
特上太巻と上新香巻です(←画像/左)。
● お化け ●
京都・祇園では、舞妓さんや芸妓さんが、節分の日には、通常の芸妓衣装でない、様々な趣向を凝らした扮装をすることです。
祇園の芸妓さんだけではありません。
大阪ミナミのバーや飲食街にもこの「ならわし」はあったようです。
わたしが若いころ、大阪ミナミにある新歌舞伎座裏には、バーや飲食店が軒をつらねていました。
当時、そこに「与一」というゲイバーがあり、よく通ったものでした。
マスターが「林与一」の大ファンで、だから店名も「与一」にしたそうです。
忘れもしません。巷では西郷輝彦の『君だけを』が流行った頃です。
その夜(←節分の夜だったと後日知りました)。
「与一」のドアを開けると、マスターの顔を見かけない。
若いボーイが「マスターは出かけているが、もうすぐ帰る」とのことだった。
いつものカカオフィズを頼み、待つことにした。
数分後、珍しく下駄の音がして、髪は島田、左褄をとった芸妓すがたの女性が入ってきた。
「あら、センセイ随分とお見かぎりね」
「君は誰だっけ?」
「あらイヤだ!! あたしよ!! 『与一』のマスターでござんすわいな」
その時はホントにたまげました。
どちらかというと、いかつい馬面のあのマスターの見事な変身ぶりに!
今でいえば、歌舞伎の中村七之助に劣らない遊里の芸妓の風情がありました。
このとき、これが「お化け」であることを知ったのです。