「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2

6年半ご愛顧いただいた『太陽にほえろ!当直室』(since2002年5月)復活ブログ、引っ越しました。(2014年7月)

1986年の記憶、=テツ後を頼むぞ!=

2010-10-26 00:00:50 | 回顧
【1986年の記憶、=テツ後を頼むぞ!=】

「渡哲也”ボス”拝命」
=テツ、後を頼むぞ=
1986年6月5日、裕次郎さんがボス降板を決意、その日のうちに渡さんと小林専務(石原プロ)の記者会見が行われ、6日には大々的に新聞記事になりました。
ただこの段階で、裕次郎さん側と日テレ側の調整は行われていなかった様子で、双方の主張が割れていた感じがします。
実際、視聴率も15%前後に落ち着いていて、これを機会にそろそろ終了か?という声と、まだまだやれるという声と、色々さまざまあったと思います。岡田さんは著書に山さん殉職時に太陽終焉を感じた旨が書いてありましたが、本放送当時としては、前回の記事通りまだまだやる気だったように思います。

その後、裕次郎さんの病状は安定しているような報道がちらほらあり、とうとう6月20日の700話「ベイビーブルース 」の放送。木村一八氏ゲストはちょっと今までの太陽とは違った感じを出していましたが、やはりボスの居ない一係は寂しいの一言につきました。

山さんは既に鬼籍に。
司令塔はどうするのか、これがさし迫った課題だったと思います。

その日、日テレは石原プロに強く性急な要請が行われました。
渡さんの出演要請。
(8月8日放送分から)

日テレ側でも「駄目モト」で要請したようですが、局側の要請を知った裕次郎さんは6月26日に入院している慶應病院に渡さんを呼んで説得し出演快諾を得たその日のうちに石原プロが番組関係各所(東宝・出演者・スポンサー)に連絡し了解を得たとのことです。
なお、この時点では裕次郎さんの病状は報道面では楽観視されていました。

その記事が出たのが、27日朝刊。

翌28日の朝刊には、次の記事が。

「行動派・橘警部で登場」
=渡哲也、ボス交代記者会見=

「ボスのいない”太陽”は飛車角が抜けた感じは否めない。それを石原さんに相談したら渡さん代理を快く了解してくれました。渡さんも二つ返事でこれを承諾してくれました。石原さんと渡さんの友情がなければ成立しなかった話です。」(岡田晋吉 日本テレビ編成局次長)
「完成した番組に途中から入っていくのはしんどい。しかし俳優の道徳心としてそんなことは言ってられない。私でお役にたつならと出させていただくことにした。」とさわやかな顔の渡さん。

撮影は7月11日から始まり、サブタイトルも「ボス!任せてください」。
ストーリーもほぼ決定していました。

渡さんは「私鉄沿線・97分署」の撮影を6月23日に完了したばかり。


ところで、渡さん含め石原プロの対応の速さも物凄いものがありますが、
日テレの対応の速さも凄いですね。
6月のうちに既に「橘警部」構想は出来上がっていたわけですから、多分太陽から退いていた岡田さんが陣頭指揮をとって早急に根回しをした結果とも言えると思います。
そのせいか、「ボス!任せてください」から岡田さんが太陽に復帰します。

渡さんのボス代行は実は私も妄想していました。
ただし、黒岩や大門のイメージが強烈なことは渡さんご自身がよくわかっていた事だと思いますし、ファンも同じ思いだったので、勝手に「ありえない」と思っていましたが・・・。
どんな感じになるのか、期待半分・不安半分でした。

そういえば、DJの件は全然記事では触れてませんでしたので、西山さんの御出演は正直びっくりしました。
本当に、唐突というか意外でした。

(つづく)

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1986年の記憶、ボス降板!

2010-10-09 21:24:20 | 回顧
【1986年の記憶 ボス降板!】
5月8日。
裕次郎さんが入院しました。
たしか、報道もそれほど「速報」的では無かったと思いますし、入院の理由も「風邪」(これは当時裕次郎さんご本人もそう思っていたようです。)
なので、実はスクラップ記事も残っていませんし、それほど大事だとは思っていませんでした。
しばらく、裕次郎さんの報道は無かったと記憶してます。
なので、正直最悪の場合は2話の欠場ぐらいはあるかな?と仮想していました。

6月5日記者会見・・・

6月6日。
日刊スポーツの紙面を大々的に飾ってしまったのが・・・

 『14年君臨 ボス降板』

=裕次郎(病状は回復も)「体力自信ない」=

=「太陽にほえろ!」699話でケジメ=


(゜-゜)
(゜-゜)
(-.-)
(-_-)
(+_+)
((+_+))
(*_*)
(=_=)
(..)
(@_@)
(゜o゜)
\(゜ロ\)(/ロ゜)/

↑簡単な俺の動揺っぷりです。

この後、眼の前真っ暗になって血の気失せて倒れました。
真面目に。

裕次郎さんの降板は、太陽終了を意味する。

これは、太陽ファンであれば「暗黙の了解」でした。
1981年のそのことに初めて気がついて、ボス復帰後はすっかり忘れていました。
なにしろ、山さんが殉職しても太陽は終わらないと思っていましたから。

ふっと我に返って・・・
記事を読んだわけですが。

病名は「肝内胆管炎」、お馴染みの慶応病院・主治医の説明、しばらくの治療と安静が必要。
************
*裕次郎さんのコメント
5月8日慶応病院に入院以来約1ヵ月を経過しようとしています。
昨日(4日)主治医より遂次回復に向かっておりますが、大事をとって少しの間、治療と安静を続ける必要があるとの診断をいただきました。
上記理由により、日本テレビ「太陽にほえろ!」に事実上出演できない事態になりました。
病気のこととは言え、断腸の思いがいたします。
最後に、ご声援くださったファンの皆様・スタッフの皆様、本当にありがとうございました。
************

裕次郎さんとしては5年前の入院の際は意識がなかった為「休業」したが、今回は自らの意識がはっきりしている。
その中で、
「ファンにこれ以上迷惑をかけられない」
「よくなれば出る、悪くなれば休むでは申しわけない。番組は人さまのもの、男として一つのケジメをつけたい。」
という苦悩の末の断腸の思いだったようです。
これは、あくまでも裕次郎さんが太陽に「一出演者」として出演しているスタンスを顕著に物語っていると思います。

一方、局側は・・
当時編成局次長だった岡田さんらは、
「裕次郎さんをいつまでも待ちたい、七曲署の藤堂係長は石原さんしかいない」
「前にも休業したことがあるではないか」
そして、岡田さんのコメントは、
「いつまでも待ちます・七曲署のボスは石原さんしかいない。代役など考えていません。出来る限り部下たちにボスの思い出話をさせて、いつも番組にボスがいるというイメージ、存在感を出したいと思っています。また、タイトルは永遠に出し、ギャラもお払い致します。」
と、異例のギャラ継続の措置をとると発表。


・・・・。
裕次郎さんの気持ちもわかるし、
ファン心理からいけば、岡田さんの主張がそのもの代弁しているのですが、
現実的にはこれから始まると云う感じで、先行きが全く見えない状態でした。

この段階で解っていたことは、

699話「優しさごっこ」でボス出演分のストックが無くなり、700話「ベイビー・ブルース」から欠場するが、「石原裕次郎」のタイトルは番組が続く限り打ち続ける。
欠場理由はカゼで病気療養中ということだけ。

正直・・・
お先真っ暗でした。

どうするんだ?
トシさんの陣頭指揮で大丈夫か?
ラテ欄の先頭が神田さんになるのか?
いろいろ考えました、下らないことまで・・・。
それよりなにより、裕次郎さんはそんなに悪いのか?

ただ、この6月中に太陽の先行きは急激に動きます。

(つづく)


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仁王立ちのトシさん

2010-10-08 21:40:34 | 回顧
10月8日といえば、
我らがヤクザの幹部(Inハワイ)ではなく・・・
スッポンのトシさんが、太陽「巡査部長」2代目として登場した日でございます。
え?もう28年経ってるんですね・・・。

公式本にも予告にもゴリさんの後任として紹介されていますが、
厳密にいえば長さんの後釜なんですよね。
階級もそうですが、公団に妻子と住んでいるところは、まんまなんですけど。

なので、OPのライフル担当というのはちょっと違うし・・・と当時ですら思ってました(^_^;)

ただ、酒を水を飲んでいるが如くスッカラカンにしてしまうところや、
自分の子供を囮につかうところは、
あ、これは只ものでは無いなぁ・・・・と神経を尖らせたものです。

ただ、トシさん自体既に「大人でベテラン刑事」だったので、
ひどく普通な感じがしたのも事実です。
というより、太陽でそんなキャラクターが新規登場するのも初めてですし、あえてスコッチがそれに当たると考えるにしてもひどいトラウマを持っているわけでもない、平凡と自称する長さんにせよ、平凡に見せながら非凡なところを見せつけていましたから・・・なんとなくどこにでもいるオヤジがやってきた感じで。
家庭内がしっくりいっていないという新味も逆に太陽としては現実に近付いた感じがして。

登場編はちょっと特異です。
山さんにしても長さんにしても自分の子供を囮に使うということは毛頭考えないし、家族を事件に巻き込むなんてことは自ら発案する発想すら持ってなかったので、驚きました。
山さんも長さんも別な手を使うと。
ただ、あの作品はゲストの北條さんを含めて「スコッチ刑事登場!」を感じさせる部分があるんですよね。
直接的ではないのですが。
なので、カタチ的には長さんを継承しつつも全く別なキャラクターとしてのトシさんは多分地井さんもやりにくかったかもしれません。
山さんのようにストイックにも出来ないし、長さんのように硬軟両刀使いというわけにもいかないし・・・。
そこで、地井さんがやりたかったという「襲撃」が制作されます。
トシさんはここでハッキリ「タフマン」ぶりを発揮します。
その魅力が加味されたことで、なぜか男性には身近な存在になった感じがします。
それまではちょっとよそよそしさというのが感じられたのが、このころから砕けていきますからね。

最初、地井さんは「北の国から」や他の作品で観ていた印象で、
明るく、それこそゴリ押し的迫力を持って登場すると勝手に想像したので、
あの大人な感じは正直拍子抜けでした。
そのことは地井さんが一番良く解っていたのか・・・というのが「襲撃」でわかるわけで。


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重い腰をあげた時

2010-10-01 00:40:26 | 回顧
10月1日。
ある意味トラウマが深く残る日。

1982年10月1日は、
正直、1日でかなり歳食っちゃった感じが・・・。
「石塚刑事殉職」
「仕事人大集合」
終了が11時でしょ、興奮して眠れませんでしたよ。
内容は忘れましたけど、11PMまで観たような・・・。

まだ次の日、学校を休んだ(^_^;)人は幸せだったと思いますが、
俺自身、ゴリさん昇天の記憶は飛んでるし、なにより何か麻痺していたんでしょうね。

学校行って周りはゴリさんの話題で持ちきりだったんで、
麻痺している身体がますます麻痺して、
燃え尽きた感じで真っ白になっていました。

当時はボギーが結構話題に上っていたので、太陽が益々復活傾向にあったんですけど、
こっちは既に中毒だったんで、正直「なにをいまさら」的な意地悪な感じになっていました。

8月から、10月1日まで、ハッキリ言って辛かったですし、それを引き摺らなきゃならないという試練も貰っちゃったので、なんか修業みたいな感じが。。。

そういえばこのころに太陽関連本を漁り始めました。
多分、何か記録に残るものがほしかったんでしょう。

もともと、太陽関連の物欲ってなかったんですよ。
あくまでも放送されているものを観るというスタンスを通していました・・・。
っていうか、ガキだから金無かっただけなんですけどね。

なので写真集などを買い始めたのが、遅まきながら10周年時だったんですね。

当時の子供の行動範囲なんて狭いもので、近くの書店とレコード屋がすべてだったんですね。
それに北海道なんで流通的に潤沢じゃないですから、写真集を見つけるチャンスというのも限られていて、欲しいと思っていても、無いという試練が与えられておりました。

その書店、なぜか急に10周年で名場面集1から並べ始めたので、即買いでした。
その時に3まで購入して、それ以後は出る度に買ってました・・・ただノベライズはスルーしていたのですが。
10周年記念号なんて狂喜乱舞しました。
内容的に正誤あるかもしれませんが、あれは今でもバイブルです。
裏方さんまで網羅した内容、初期から#525まである程度満遍なく紹介されていましたから。
沖さんの写真集は、死後の出版だったため何となく逆に死を利用したようで嫌だったんですよね。
それで買い逃しましたが・・・。
カレンダーも日テレにせっせと切手送って買ってました。
切手だと、現金書留で送るより大幅に送料カットできますから。
でも、当時は残すという頭が無かったので痛んで捨ててしまいました・・・今考えると勿体無いですが。
サントラは金が無いのでベスト系を中心に買ってました。

で1986年です。
ノベライズにも手を出していましたが、とうとう太陽も沈むということで、なけなしの貯金叩いて未購入だった1巻から20巻まで買いそろえました。
自転車で運んだんですが、相当重かった(^_^;)
1週間で読破してしまいましたが・・・。

しかし、きっかけが無いと重い腰を上げないのは、
今も昔もあまり変わりがありません。

進歩してねぇや・・・。


今日は#525は見ません。
DVDの発売を待とうと思います。

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1986年の記憶、山さん殉職から

2010-09-29 21:39:22 | 回顧
【1986年の記憶①】
山さんの降板はおそらく、1985年の10月あたりに決定していたようです。
最初で最後の正月SP「報酬なき戦い」も降板を前提に作られた感じがしますので、その製作を考えると最低でも3か月は要るはずです。
聴いた話によると、露口さんは徹さんが辞めたあたりから降板を考えられていたようなので、もしかすると665話が決定打になったような気がします。
それで、殉職という形が決定したのがおそらく年明け後のようです。
当初は転勤という形も考えられたようですが、露口さんの希望で殉職になったと。
その変更の名残りと思われるのが、
サブタイトル「さらば!山村刑事」と強制シャットダウン型の殉職だったと思います。
「さらば~」は転勤と退職に使われるフレーズですし、
回想シーンが無いのは今回が初めてですしね。
「報酬なき戦い」もスピンオフ作品を作っていきたいという制作側のテストケースのようにも見えなくもないので、もし山さんが転勤していたら、
「千代田署シリーズ・係長 落としの山さん」なんていうのもひょっとしたらあったかもしれません。
ファンにとっても露口さんにとっても多分断腸の思いだったと思いますが、
どっぷりと山さんに浸かってしまっていた露口さんが太陽を卒業するためには・・・というよりは、演技者として次のステップを踏むには、やはり殉職しかなかったように思います・・・。

ところで、後任についてはおそらく「何もなければ」、7月辺りで誰か出ていたでしょう。

多分それまでのワンクールだけゲストを豪華にして凌ぐ作戦だったようです。
ただ、4月の段階では後任を立てないでゲストを充実させるとしか報道されていませんでした。
そのゲスト充実も♯695からだったようで、この辺りも「さらば!山村刑事」が本来#692だったことを考えると、かなり編成に苦慮したのではと思います。

で、その後任なのですが・・・。
DJな訳はないです。。。
多分、DJはデュークの後任候補だったかもしれませんし、1986年には「無名俳優」の新人刑事を登場させることも考えていたというのも聞いたことがあります。
というよりは「なにかあった」時の報道には西山さんの名前はなく、突如登場したという印象があります。

ということは、寺尾聰さんしか居ないわけで・・・。
PART2の制作が発表されたのは10月4日、その段階では寺尾さんは主演の中心刑事になっており、ドック以外のメンバーを総入れ替え、寺尾さんの相手役のベテラン刑事を選定中・・・という状態だったようです。
放送日は11月21日に決定しておりましたが、奈良岡さんの御出演はこの時点で決定していなかったようです(!)。多分、台本などに形跡のある橘警部の続投を考えていたようです。
で、放送日ぐらいしか決まっていなかった中で、寺尾さんだけ「確定」を打ったのは多分もともとからスケジュールを押さえていたとしか思えないので・・・。

もしかすると、#706は「喜多刑事着任!」だったかもしれません。
ただ、寺尾さんの石原プロからの独立の経緯もあるので、裕次郎さんとの競演はもしかするとあり得なかったという考え方もあるかもしれません。
ただ、太陽の場合は裕次郎さんも一出演者というスタンスだったので、可能だったとも思えます。

で、「なにかあった」については次回にて。



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見送るという試練

2010-09-25 12:02:22 | 回顧
昨日から、
テンション低い
気温も低い・・・。
寒いのは苦手じゃないのですが、急激なのはちょっと身体にこたえます。

で、なんでテンションが低いと云うと・・・
昨日は9月24日の金曜日でして、
来週10月1日も金曜(あたりまえ)でして・・・。

私のとって10月1日金曜日は7月13日金曜日と同じ不吉さでして・・・。
と、昨日折角忘れていたのに気が付いてしまった(^_^;)

1982年9月24日 金曜日
「ラガーのラブレター」だったんですよね。
小林麻美さんゲストという豪華さ、その相手がスーツを着たラガー。
冒頭からノリノリの面々、汚い字のラブレター(^_^;)(徹さん直筆?)
と言いながら、ミステリアスな小林氏の演技で引き締めるという絶妙な作品でしたが、
あっしの頭の中はもう「ゴリさんが居なくなる」というフレーズが駆け巡っていました。
確か北海道では、この作品の前かその前の日曜日あたりで10周年のファンの集いが14時から放送されたはずですが、あれで見た竜さんの「ゴリさんの死の宣告」で愕然とした状態が続いていたので・・・って私、その「宣告」を聞くまで知らなかったんですよ・・・日刊スポーツは目を通していたのに、たまたま読まなかったのか解りませんが。
それで、予告編で留めです・・・・殉職シーンはまだ編集中だったようで予告の中には入りませんでしたが、とうとうこの時が来たか・・・と諦めの気持ちとまだ信じたくないという気持が入り混じっていたと思います。
スペシャルで放送する自体はそうすべきとは思いましたけど、長く見るのはつらいなぁ・・・なんて。
でも、なんとか「これはゴリさんの卒業式だから、心して視聴せねばならぬ」と気合を入れたことを憶えています。

知らない人は視聴率獲得のために殉職劇を作っていると云われる方、居ますけど・・・。
少なくとも太陽に関しては違うと云い切れると思います。

多くは俳優さんの希望、死をもって役との切り離しをはかりたいという部分、さらに卒業式という意味合いが大きいですから。

番組にとっては大きなマイナスですからね・・・人気キャラクターをバッサリ切るのは。

太陽じゃなければとっくの昔に終わっていたと思います。

盟友たかさんの調べで竜さんの降板は4月に正式に決まったそうですが、
普通であれば1年ぐらいのスパンはあったようで、急遽決まった事だったですし、竜さんの番組への貢献度からいけば、呑まざるおえなかったことも理解できますが、
ファンにとっては物凄く辛い出来事で・・・。

太陽という番組は、
ファンを大切にしてましたけど、
同時に、ファンに試練を与えていた番組でもありました。
そこが、太陽の「魔力」なんです。

ファミ劇では山さんとの別れが待っています。
山さんの辛さを共有したいのであれば、
是非、ワンシーン毎の山さんの顔は見逃さないでほしいです。
さらに、ボスの顔も見逃さないでください。
微妙な目・口の動き、見逃さないでください。
それだけ、頭に入っていれば・・・。

前、691話を観て山さんに興味を持った方が居られました。
山さんの人生総集編的意味合いを持っていましたから当然だとは思いましたが、「さかのぼる」という観方があるんだなぁ・・・と気がついた俺って一体。。。


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野崎「警察官になって30年、これほどホシを憎いと思ったことは無い!」

2010-08-27 12:51:46 | 回顧
今日は長さんが転出した1982年と同じ、8月27日金曜日です。
ロッキー殉職だけでも、「ヒゲフェチ」の私としては非常に堪えたのですが、
「野崎太郎フェチ」でもある私にはダブルパンチでまさに気が抜けた状態になりました。

カナダ編自体は太陽10周年のお祭りですから、殉職~退場という話のベースがありながらも、非常に陽性な雰囲気がある不思議な仕上がりになっているのですが、私の場合それが完全に「怒り」に変換されて、長さんと一緒に「もりおかぁぁぁぁぁぁ!!!!」と叫んでおりました。演じる小野さんには今でも何の恨みもありませんが、いまだに「杜丘」と何かの拍子で聞いてしまうと、頭の血管がうずきます。

しかし・・・長さんVS杜丘のシーンでのロデオは、山本監督には大変申し訳ありませんが、私としては「邪魔すんな!」的感じでした。
イメージ的に2つのシーンをダブらせる、演出的には技ありなのですが、「太郎フェチ」の私としては、もっと長さんを見せろ!という・・・。
この回は正座しながら身を乗り出していました・・・かなり興奮していたようで。
特にゴリさんが合流してからは、涙まみれになっておった10歳のガキでした。

しかし、この回のゴリさんもカッコよかったです。
特に地元パトカーで杜丘を追うシーンはシビレました。

ただ、やっぱり長さんなんですよね・・・あそこまで落胆して、怒って、抑えて。
気持ちがわかるだけに、もう・・・暴れたくなります。

しかし、10月にはトリプルパンチがあって、私は燃え尽きてしましますが・・・。

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