【1986年の記憶、=テツ後を頼むぞ!=】
「渡哲也”ボス”拝命」
=テツ、後を頼むぞ=
1986年6月5日、裕次郎さんがボス降板を決意、その日のうちに渡さんと小林専務(石原プロ)の記者会見が行われ、6日には大々的に新聞記事になりました。
ただこの段階で、裕次郎さん側と日テレ側の調整は行われていなかった様子で、双方の主張が割れていた感じがします。
実際、視聴率も15%前後に落ち着いていて、これを機会にそろそろ終了か?という声と、まだまだやれるという声と、色々さまざまあったと思います。岡田さんは著書に山さん殉職時に太陽終焉を感じた旨が書いてありましたが、本放送当時としては、前回の記事通りまだまだやる気だったように思います。
その後、裕次郎さんの病状は安定しているような報道がちらほらあり、とうとう6月20日の700話「ベイビーブルース 」の放送。木村一八氏ゲストはちょっと今までの太陽とは違った感じを出していましたが、やはりボスの居ない一係は寂しいの一言につきました。
山さんは既に鬼籍に。
司令塔はどうするのか、これがさし迫った課題だったと思います。
その日、日テレは石原プロに強く性急な要請が行われました。
渡さんの出演要請。
(8月8日放送分から)
日テレ側でも「駄目モト」で要請したようですが、局側の要請を知った裕次郎さんは6月26日に入院している慶應病院に渡さんを呼んで説得し出演快諾を得たその日のうちに石原プロが番組関係各所(東宝・出演者・スポンサー)に連絡し了解を得たとのことです。
なお、この時点では裕次郎さんの病状は報道面では楽観視されていました。
その記事が出たのが、27日朝刊。
翌28日の朝刊には、次の記事が。
「行動派・橘警部で登場」
=渡哲也、ボス交代記者会見=
「ボスのいない”太陽”は飛車角が抜けた感じは否めない。それを石原さんに相談したら渡さん代理を快く了解してくれました。渡さんも二つ返事でこれを承諾してくれました。石原さんと渡さんの友情がなければ成立しなかった話です。」(岡田晋吉 日本テレビ編成局次長)
「完成した番組に途中から入っていくのはしんどい。しかし俳優の道徳心としてそんなことは言ってられない。私でお役にたつならと出させていただくことにした。」とさわやかな顔の渡さん。
撮影は7月11日から始まり、サブタイトルも「ボス!任せてください」。
ストーリーもほぼ決定していました。
渡さんは「私鉄沿線・97分署」の撮影を6月23日に完了したばかり。
ところで、渡さん含め石原プロの対応の速さも物凄いものがありますが、
日テレの対応の速さも凄いですね。
6月のうちに既に「橘警部」構想は出来上がっていたわけですから、多分太陽から退いていた岡田さんが陣頭指揮をとって早急に根回しをした結果とも言えると思います。
そのせいか、「ボス!任せてください」から岡田さんが太陽に復帰します。
渡さんのボス代行は実は私も妄想していました。
ただし、黒岩や大門のイメージが強烈なことは渡さんご自身がよくわかっていた事だと思いますし、ファンも同じ思いだったので、勝手に「ありえない」と思っていましたが・・・。
どんな感じになるのか、期待半分・不安半分でした。
そういえば、DJの件は全然記事では触れてませんでしたので、西山さんの御出演は正直びっくりしました。
本当に、唐突というか意外でした。
(つづく)
「渡哲也”ボス”拝命」
=テツ、後を頼むぞ=
1986年6月5日、裕次郎さんがボス降板を決意、その日のうちに渡さんと小林専務(石原プロ)の記者会見が行われ、6日には大々的に新聞記事になりました。
ただこの段階で、裕次郎さん側と日テレ側の調整は行われていなかった様子で、双方の主張が割れていた感じがします。
実際、視聴率も15%前後に落ち着いていて、これを機会にそろそろ終了か?という声と、まだまだやれるという声と、色々さまざまあったと思います。岡田さんは著書に山さん殉職時に太陽終焉を感じた旨が書いてありましたが、本放送当時としては、前回の記事通りまだまだやる気だったように思います。
その後、裕次郎さんの病状は安定しているような報道がちらほらあり、とうとう6月20日の700話「ベイビーブルース 」の放送。木村一八氏ゲストはちょっと今までの太陽とは違った感じを出していましたが、やはりボスの居ない一係は寂しいの一言につきました。
山さんは既に鬼籍に。
司令塔はどうするのか、これがさし迫った課題だったと思います。
その日、日テレは石原プロに強く性急な要請が行われました。
渡さんの出演要請。
(8月8日放送分から)
日テレ側でも「駄目モト」で要請したようですが、局側の要請を知った裕次郎さんは6月26日に入院している慶應病院に渡さんを呼んで説得し出演快諾を得たその日のうちに石原プロが番組関係各所(東宝・出演者・スポンサー)に連絡し了解を得たとのことです。
なお、この時点では裕次郎さんの病状は報道面では楽観視されていました。
その記事が出たのが、27日朝刊。
翌28日の朝刊には、次の記事が。
「行動派・橘警部で登場」
=渡哲也、ボス交代記者会見=
「ボスのいない”太陽”は飛車角が抜けた感じは否めない。それを石原さんに相談したら渡さん代理を快く了解してくれました。渡さんも二つ返事でこれを承諾してくれました。石原さんと渡さんの友情がなければ成立しなかった話です。」(岡田晋吉 日本テレビ編成局次長)
「完成した番組に途中から入っていくのはしんどい。しかし俳優の道徳心としてそんなことは言ってられない。私でお役にたつならと出させていただくことにした。」とさわやかな顔の渡さん。
撮影は7月11日から始まり、サブタイトルも「ボス!任せてください」。
ストーリーもほぼ決定していました。
渡さんは「私鉄沿線・97分署」の撮影を6月23日に完了したばかり。
ところで、渡さん含め石原プロの対応の速さも物凄いものがありますが、
日テレの対応の速さも凄いですね。
6月のうちに既に「橘警部」構想は出来上がっていたわけですから、多分太陽から退いていた岡田さんが陣頭指揮をとって早急に根回しをした結果とも言えると思います。
そのせいか、「ボス!任せてください」から岡田さんが太陽に復帰します。
渡さんのボス代行は実は私も妄想していました。
ただし、黒岩や大門のイメージが強烈なことは渡さんご自身がよくわかっていた事だと思いますし、ファンも同じ思いだったので、勝手に「ありえない」と思っていましたが・・・。
どんな感じになるのか、期待半分・不安半分でした。
そういえば、DJの件は全然記事では触れてませんでしたので、西山さんの御出演は正直びっくりしました。
本当に、唐突というか意外でした。
(つづく)