恒例の朝歩きで、今回は駅の南側に行ってみた。
海岸までは、片道5キロあまり、
海岸まで行く途中で、「登呂遺跡」の看板を見つけていた。帰り道に立ち寄ってみようと思う。
「登呂遺跡」と云えば、小学校の時の社会の教科書に載っていた。昭和30年代の教科書には、必ず「登呂遺跡」が乗っていた筈だ。
現在は、「吉野ヶ里遺跡」や「三内丸山遺跡」など、もっと古く、大きな遺跡が発掘された為、登呂遺跡はあまり見ることはなくなってしまった。吉野ヶ里などの発見ですっかり影が薄くなってしまったが、昔は弥生時代の代表的遺跡として各地から修学旅行の学生で大人気だった様だ。
登呂遺跡から竹製の籠やざるが出土している。古来より駿河の地には、良質の苦竹、淡竹が豊富で、弥生時代の登呂遺跡からの出土品の中に竹製のザルが発見されるなど生活用具として、しっかりと根差していたことが伺える。
高床式の柱の部分は、「槍鉋」(やりかんな)で仕上げられた後がある。
現代の鉋と違い、槍のような形をした刃物で、横方向に削り上げていく道具だ。
法隆寺の大改修をした西岡常一さんの言葉の中に
「やりかんなは木目に沿って割った木を、繊維をはがすように削ります。檜の細胞を壊さずに削れるので、水が中にしみこまないのです。
法隆寺が世界最古の木造建築である秘密はやりがんなにもあったのです。」
と、言っている。
感心しながら、登呂遺跡でしばらく時間をつぶして帰ってきた。
小学校以来の念願がかなって、ちょっと満足!