快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  「麒麟が来る」と思っていた明智光秀の所には「オオカミの群れが来た」のか

2020-02-08 09:43:30 | 明智光秀
 前回記事の続きになります。
 まあそんなわけで仮にそのような状況であったならばの話になりますが、「足利義昭が畿内に来る」・・・言わば光秀にとって「麒麟が来る」はずだったのが代わりに「秀吉勢や高山右近、中川清秀らと言うとんでもないオオカミの群れがやって来て」餌食になってしまった、そして筒井順慶、つまり光秀にとって頼みの綱にしていた「ゾウさんは来なかった」、と言う状況だったのかも知れません。

仕組みとアプローチ -  征夷大将軍である足利義昭の上洛阻止 その秘策が実は有ったのではないかと思える理由

2020-02-08 09:16:50 | 明智光秀
 本能寺の変で信長を討った形になってしまった明智光秀は「逆臣」のレッテルを貼られるわけですが、それをひっくり返す決め手となるのは当時の征夷大将軍、足利義昭を上洛させて足利幕府の復権を実現する事であり、それならば足利義昭を追放した信長に「逆賊」のレッテルを貼れるわけです。
 それで明智光秀にどうしても勝ちたかったはずの秀吉は、何とか足利義昭の上洛を阻止する必要が有ったはずで、その手法について果たしてどのようなものが有ったのだろうかと、個人的にという程度ですが様々考えてみました。
 その結果、これはかなり有り得る、と思える秘策が出て来ました。
 どのような秘策かと言うと、それは「秀吉と毛利氏が、足利義昭を上洛させないと言う密約を結ぶ事」です。
 簡単ですね。
 ただこれだけでは更に検討すると毛利氏にはリスクが有ったはずと当然のように疑問が出て来ます。 
 それは「仮に明智勢が秀吉勢に勝利した場合、足利義昭を上洛させなかった毛利氏へ明智光秀が相当な制裁を与える可能性が有った」と言う事です。
 ではこれをどうクリアするかと言えば、これも毛利氏が秀吉に対してある案を示しそれに対して秀吉が同意すれば或いは可能だったのではないかと考えています。
 どんな案、つまり「闇協定」かと言うと、それは「足利義昭ら一行が上洛しようとする、毛利氏は特に止めはしない、がしかし秀吉勢か或いは秀吉勢に成りすました毛利勢がそれを阻止する。結果として明智勢が勝って足利義昭が上洛を阻止された状況を明智光秀に話しても、毛利氏は特に足利義昭ら一行の上洛を阻止してはいない、と言う形にできる」と言うものです。
 この案がもし提示されたら秀吉は当然同意したでしょう。
 これならば秀吉勢、明智勢のどちらが勝っても負けても毛利氏にとってはノーリスクハイリターンとなるわけでこんなオイシイ話は無かったはずだと思っています。

仕組みとアプローチ -  足利義昭へ上洛を懇願する書状が届いたらそれが明智光秀にとって命取りになってしまった可能性を考える

2020-02-08 07:21:37 | 明智光秀
 前回記事の続きになります。
 本能寺の変から後、明智光秀が仮に足利義昭へ上洛を要請し、その書状が実際に届いていたのだとすればどうなっていたでしょうか。
 思っている事を結論から書きますと、それは「この上洛要請の書状が届いた事が明智光秀にとって命取りになった可能性が高い」と言う事です。
 ではそれは何故か?ですがその理由は「足利義昭に上洛を要請する必要がある、と言う事はこの上洛が無い場合には、それだけ光秀が信長を討った形になってしまった事を正当化できない、と言う事であり、それは明智光秀の弱みを晒す事になったから」だと考えられるからです。
 当時の征夷大将軍であった足利義昭は鞆に於いて毛利氏の擁護の下、反信長勢力への司令塔として機能しており、鞆幕府と呼ばれる位だった事は言うまでも有りません。
 なので仮に足利義昭へ光秀から上洛を懇願する書状が届いた場合は、当然の如く毛利氏に筒抜けになっていたはずであり、ならば毛利氏は明智光秀の弱みを握る事になります。
 それで毛利氏には選択肢が生まれます。
 「足利義昭を上洛させて明智光秀に協力しかつ毛利軍を明智方に加勢すれば良いか、それとも秀吉に協力して足利義昭を上洛させず、かつ軍勢を表面上は動かさず秀吉勢を追撃しないようにするか」・・・このあたりはおそらく毛利方で有る程度は論議されたのではないでしょうか。
 そして決定されたのが後者の方だった事は史実が裏付けています。
 更に毛利氏は足利義昭を使って光秀へは調子の良い返事、つまり足利義昭が上洛すると言う返事をさせておきながらそれを実行させないようにしたと可能性も考えられますが、真相はわかりません。
 「明智光秀が足利義昭の上洛要請をすると言う事自体、それはつまり毛利氏へ自らの弱みを晒す事」なのであり、それが光秀にとって命取りになってしまった、と言う事になります。
 秀吉と毛利氏の癒着関係がある程度は進んでいると光秀も薄々感じてはいたが、まさかそこまで協力関係が深まっていたとは想定できなかったのでしょうか。