長篠の戦いでは馬防柵が武田騎馬隊の突撃を阻止した面が大きいと言う説が多いのですが、よく見るとその馬防柵の位置については少しおかしな点が有るのに気が付きます。
「馬防柵 長篠の戦い」などのキーワードで画像検索すると様々な写真や絵図などが出て来ます。
その内、確かに武田騎馬隊の突進を防いでいる位置のものも有りますが、家康や信長の陣地が有る山などから見て最も手前の馬防柵は小高い山のまさに直前に構築されているのがわかります。
これは変ですね。
小高い山には木々が繁っていて仮に武田騎馬隊が馬防柵が無かったとしても騎馬隊での進撃は無理なはずだったと考えるのが普通です。
では何故、このような位置に馬防柵が有ったのか?
この点について個人的にはこう考えています。
「山の木々が生い茂るエリアの際の所の馬防柵は武田騎馬隊を防止するためのものではなく」、「武田側の歩兵、特に竹束を盾にして進撃する武田側の歩兵がこの馬防柵をくくり抜ける際にはどうしても竹束を通す為に一時的に竹束を盾としての位置や姿勢を崩す為、歩兵が竹束に守られていない状況が発生し、そこを織田徳川勢による銃撃や弓矢や槍などで致命傷を負わせる事ができるもの」。
こう考えると辻褄が合うのです。
つまり馬防柵の内で少なくとも山から見て最も手前に有る木立の際のものは「武田騎馬隊から身を守る為と言うよりも、竹束を盾にして攻め寄せる歩兵部隊が竹束を外す瞬間を作ってしまうためのものだった」と言えるのではないでしょうか。
「馬防柵 長篠の戦い」などのキーワードで画像検索すると様々な写真や絵図などが出て来ます。
その内、確かに武田騎馬隊の突進を防いでいる位置のものも有りますが、家康や信長の陣地が有る山などから見て最も手前の馬防柵は小高い山のまさに直前に構築されているのがわかります。
これは変ですね。
小高い山には木々が繁っていて仮に武田騎馬隊が馬防柵が無かったとしても騎馬隊での進撃は無理なはずだったと考えるのが普通です。
では何故、このような位置に馬防柵が有ったのか?
この点について個人的にはこう考えています。
「山の木々が生い茂るエリアの際の所の馬防柵は武田騎馬隊を防止するためのものではなく」、「武田側の歩兵、特に竹束を盾にして進撃する武田側の歩兵がこの馬防柵をくくり抜ける際にはどうしても竹束を通す為に一時的に竹束を盾としての位置や姿勢を崩す為、歩兵が竹束に守られていない状況が発生し、そこを織田徳川勢による銃撃や弓矢や槍などで致命傷を負わせる事ができるもの」。
こう考えると辻褄が合うのです。
つまり馬防柵の内で少なくとも山から見て最も手前に有る木立の際のものは「武田騎馬隊から身を守る為と言うよりも、竹束を盾にして攻め寄せる歩兵部隊が竹束を外す瞬間を作ってしまうためのものだった」と言えるのではないでしょうか。