当人相応の要求(9)
例えば、こうである。
こんなにも忙しい世の中で、一先ずそこに行きさえすれば、その人に会えるという約束と確信。数人の強靭な肉体と精神の持ち主。
一人目は、ルー・ゲーリッグというヤンキースの一員。幸運なことに、調子の悪い選手の代打として試合に出る。しかし、それ以降、休むということがなくなった。本人も、もし欠場すれば、その身代わりとして、自分は永久にスタジアムで活躍できなくなるとでも思っていたのだろうか?
しかし、その鍛えられた身体も、37年という短い年数で耐用年度を越えてしまっていた。その人の名前がついた病気。ルー・ゲーリッグ病。「私は地上で最も幸福な人間です」と一体、誰が言えるだろうか。
日本にもいる。赤いヘルメット。資料によると、175cm、73kg。想像するより、あまりにも平均的な数字。もの凄い大男ではないことに、彼は驚く。全身でスポーツが出来る喜びを表すこと。力いっぱい振り回すこと。小細工とはかけはなれた動き。
この物語の主人公の彼は、その野球選手が出ているテレビ番組を見て、思いがけなく素敵な人物を知る。ロベルト・クレメンテ。21番という背番号。プエルトリコの英雄。
その運動能力も凄いが、(誰が4度も首位打者を取れるだろう)シーズンがオフになると、慈善活動に励む。嘘っぱちが一切入り込まない、その真摯さ。人のために、自分を役立てること。1972年のニカラグアの地震の際、救援物資を届けようとしたその中南米の憧れの的は、飛行機事故で38歳という若さで帰らぬ人となる。嘘のような話だが、現場でも、その遺体は見つからなかったという伝説が残っている。
彼も、アメリカのとあるお店で、スポーツ選手のフィギュアに見せられる。やはり、最高に興味を引かれたのは、もちろんのことロベルト・クレメンテだ。かれも、自分を費やすことに憧れる。しかし、その実力も要望もなかったのだが。
またもや、アメリカに訪れる勤勉な人。いまのところの最高記録。彼が14歳のときから、30歳まで、そのスポーツ選手は働き続ける。それも、近年には珍しいことに同じ一つのチームで。ボルチモアという聞きなれない町で。怒りを面に表さないこと。子供がスタジアムにいるのに、野蛮な行為でそのこころを傷つけてしまうことを恐れる。
彼らに共通しているのは、恐さは怪我ではなくスランプだという事実。ひとの高揚したやる気を奪ってしまうことの方に恐れを抱く人々。大選手ではなくても、小さな人間のこころも同じようなものかもしれないと、彼は思う。子供の成長を阻害した、小さな小さな周りの人の思いがけない一言。
途切れること。記録の消滅。ある日本人が表れる。高校生にして、5連続の敬遠。彼は、皮肉にもそのスポーツ選手の最高の記録はそれだと、随分長い間、思っていた。しかし、その選手もニューヨークに渡り、ヤンキースの4番という、彼にとってはその国家の大統領より重責な地位だと思うものに登りつめる。もしかしたら、カル・リプケンの記録を抜けるのは、ゴジラという愛称の人物だけではないだろうかとも考え出す。
しかしである、2006年5月11日。フライを追いかける彼は、そのまま左手首を損傷する。いかに記録がむずかしいか? ファンというのは、その人を見つけるために、どれほどの喜びの気持ちで足を運ぶのだろうか? そして、不在という悲しい裏切り。どうしようもない敗退。
だが、一度底辺を経験した人の強さ。臆病な気持ちを拭い去った人の軽快さ。
2006年9月12日。残した数字は、4打数4安打。高校生のときの5連続敬遠の記憶を払拭するほどのプロスポーツ選手の正面衝突。復活という言葉は、この日に使われるためにあったのか?
彼は、テレビを見る。日常的な勤務を休みたいという気持ちを抱きながら。人のためになりたかった、という尽きてしまった情熱の燃えカスを含みながら。それだから? それなのに? こうした人々への賛歌をこころの底から叫びたいようにも思う。彼は、知る。大スターには、ほんの数人しかなれないことを。その快感と、焦りと焦燥を自分は、持つこともないだろう、ということを。誰かの期待のために、恐れと、はねかえすエネルギーを有していないことを。
例えば、こうである。
こんなにも忙しい世の中で、一先ずそこに行きさえすれば、その人に会えるという約束と確信。数人の強靭な肉体と精神の持ち主。
一人目は、ルー・ゲーリッグというヤンキースの一員。幸運なことに、調子の悪い選手の代打として試合に出る。しかし、それ以降、休むということがなくなった。本人も、もし欠場すれば、その身代わりとして、自分は永久にスタジアムで活躍できなくなるとでも思っていたのだろうか?
しかし、その鍛えられた身体も、37年という短い年数で耐用年度を越えてしまっていた。その人の名前がついた病気。ルー・ゲーリッグ病。「私は地上で最も幸福な人間です」と一体、誰が言えるだろうか。
日本にもいる。赤いヘルメット。資料によると、175cm、73kg。想像するより、あまりにも平均的な数字。もの凄い大男ではないことに、彼は驚く。全身でスポーツが出来る喜びを表すこと。力いっぱい振り回すこと。小細工とはかけはなれた動き。
この物語の主人公の彼は、その野球選手が出ているテレビ番組を見て、思いがけなく素敵な人物を知る。ロベルト・クレメンテ。21番という背番号。プエルトリコの英雄。
その運動能力も凄いが、(誰が4度も首位打者を取れるだろう)シーズンがオフになると、慈善活動に励む。嘘っぱちが一切入り込まない、その真摯さ。人のために、自分を役立てること。1972年のニカラグアの地震の際、救援物資を届けようとしたその中南米の憧れの的は、飛行機事故で38歳という若さで帰らぬ人となる。嘘のような話だが、現場でも、その遺体は見つからなかったという伝説が残っている。
彼も、アメリカのとあるお店で、スポーツ選手のフィギュアに見せられる。やはり、最高に興味を引かれたのは、もちろんのことロベルト・クレメンテだ。かれも、自分を費やすことに憧れる。しかし、その実力も要望もなかったのだが。
またもや、アメリカに訪れる勤勉な人。いまのところの最高記録。彼が14歳のときから、30歳まで、そのスポーツ選手は働き続ける。それも、近年には珍しいことに同じ一つのチームで。ボルチモアという聞きなれない町で。怒りを面に表さないこと。子供がスタジアムにいるのに、野蛮な行為でそのこころを傷つけてしまうことを恐れる。
彼らに共通しているのは、恐さは怪我ではなくスランプだという事実。ひとの高揚したやる気を奪ってしまうことの方に恐れを抱く人々。大選手ではなくても、小さな人間のこころも同じようなものかもしれないと、彼は思う。子供の成長を阻害した、小さな小さな周りの人の思いがけない一言。
途切れること。記録の消滅。ある日本人が表れる。高校生にして、5連続の敬遠。彼は、皮肉にもそのスポーツ選手の最高の記録はそれだと、随分長い間、思っていた。しかし、その選手もニューヨークに渡り、ヤンキースの4番という、彼にとってはその国家の大統領より重責な地位だと思うものに登りつめる。もしかしたら、カル・リプケンの記録を抜けるのは、ゴジラという愛称の人物だけではないだろうかとも考え出す。
しかしである、2006年5月11日。フライを追いかける彼は、そのまま左手首を損傷する。いかに記録がむずかしいか? ファンというのは、その人を見つけるために、どれほどの喜びの気持ちで足を運ぶのだろうか? そして、不在という悲しい裏切り。どうしようもない敗退。
だが、一度底辺を経験した人の強さ。臆病な気持ちを拭い去った人の軽快さ。
2006年9月12日。残した数字は、4打数4安打。高校生のときの5連続敬遠の記憶を払拭するほどのプロスポーツ選手の正面衝突。復活という言葉は、この日に使われるためにあったのか?
彼は、テレビを見る。日常的な勤務を休みたいという気持ちを抱きながら。人のためになりたかった、という尽きてしまった情熱の燃えカスを含みながら。それだから? それなのに? こうした人々への賛歌をこころの底から叫びたいようにも思う。彼は、知る。大スターには、ほんの数人しかなれないことを。その快感と、焦りと焦燥を自分は、持つこともないだろう、ということを。誰かの期待のために、恐れと、はねかえすエネルギーを有していないことを。