当人相応の要求(10)
例えば、こうである。
一人の女性の記録にとどめられた可憐さ。
同性からも、憧れの対象として。もちろん、東洋のはずれでも。
何に? キャンバスに? 彫刻作品として? いや、残し方は、そこは20世紀の芸術。そして、記録媒体としてのフィルム。コダック。黄色い箱。
その会社は、1880年代に創業。その後、シャッターを押すだけというカメラを世に送り出す。後世の人たちが、簡単に過去を振り返ったり、見つめ直したりすることが可能になったのだろうか?
ローマの休日。1953年。「真実の口」に手を突っ込む身分を明らかにしていない新聞記者の後ろで、驚いている妖精のような女性。ショートカットでジェラートを食べる女性。ヴェスパに乗り、ローマの町を走り抜ける。彼は、そのイタリアを体現しているスクーターを欲しく思う。
だが、原作にも目を向ける。ある王女が、その裕福な境遇に嫌気がさし、一般人にまぎれる。その生活を楽しんでいる束の間のときと、真実を暴こうとするジャーナリストの欲望。甘くさらっと隠す箇所は描かない過去のモラル。そのシンプルなストーリーを上手に構成したのは、ここでも、自分の名前を持ち出すことが出来なかった「ダルトン・トランボ」という人が表れる。世に言う「赤狩り」レッド・スケェアー。
ロマンチックの代表作のもとを作った人は、それから、「スパルタカス」や、原作もある「ジョニーは戦場に行った」を書く。戦争の賛美の一切、入り込まないノート。彼もその偽善を剥ぎ取った、いや、ちょっと違う、見たくもなく隠している部分を露出した作品にこころを打たれる。包帯にまみれた植物人間の叫び。戦争の本質とは、こういうものだったのか。
ローマの休日に戻る。その映画の監督は、ウィリアム・ワイラー。ザ・プロフェッショナル。アカデミー監督賞を3回受賞。ノミネートはなんと12回。映画を撮るために生まれて来た男。
1902年から1981年までの人生。フランスのミュルーズ出身。
作り上げたもの。虐げられた人間の反骨の象徴としてのベン・ハー。ローマの騎馬競技場。ヴェスパが登場する2000年近くも前の乗り物。また、収集家の悲しいさが。
その可憐な女優に話を戻す。アメリカ的な世界に憧れていたこの物語の彼は、その女優の発する、というか発しないことに、最初は不満を持つ。ヨーロッパ的なものに、理解ができなかったのだろう。やっぱり、映画は、ハリウッドのクラシックに限るという偏見という檻のもとで。マリリン・モンローみたいな陽気な暖かい太陽のようなポイントが抜けていたために。
しかし、ボギーとともに「麗しのサブリナ」フレッド・アステアに興味のある頃に見た「ファニー・フェイス」ビリー・ワイルダーという職人のような監督にはまっていた頃にみた「昼下がりの情事」そうした作品を見ていくうちに、自然と彼女の存在になれてきた。
1929年から、1993年の人生。しかし、10数年で、その存在を世界に認めさせ、可憐さを残したのだ。移ろいゆくもの。
彼が、かなり映画をみていた1989年に「オールウェイズ」という作品を最後にして、暗い中でのフィルムには、映像をとどめていない。
可憐さがいなくなる。1993年。その数日前に、彼は、「ローマの休日」をはじめて見た。訃報をきいて、最初に思ったことは、「間に合った」ということだった。誰でも、人生の絶頂期があるだろう。本人が決めることもあるし、圧倒的なまでの多数の他者が決めてしまうこともあるだろう。その可憐な女性の代表作は、当然のように、一般市民にまぎれて快活に楽しんでいる王女の生活の場面だろう。多くの女性の全盛期が、記録媒体に残っているのか、そもそもそれが半永久的にどこかで、物置の奥にでも残っているのか彼は知らない。
その女性はいなくなる。でも、今後も、その存在は声高にではないが多くの人にアピールするだろう。
気の利いたセリフ。その愛らしい女性が亡くなった日、彼はテレビでニュースや映画の情報を流す番組を見ている。あるアメリカの大女優が、「神様は天国で一番、可愛らしい天使を得た」とコメントを残した。天使がいるのか知らないが、彼は上手い発言に舌を巻く。
例えば、こうである。
一人の女性の記録にとどめられた可憐さ。
同性からも、憧れの対象として。もちろん、東洋のはずれでも。
何に? キャンバスに? 彫刻作品として? いや、残し方は、そこは20世紀の芸術。そして、記録媒体としてのフィルム。コダック。黄色い箱。
その会社は、1880年代に創業。その後、シャッターを押すだけというカメラを世に送り出す。後世の人たちが、簡単に過去を振り返ったり、見つめ直したりすることが可能になったのだろうか?
ローマの休日。1953年。「真実の口」に手を突っ込む身分を明らかにしていない新聞記者の後ろで、驚いている妖精のような女性。ショートカットでジェラートを食べる女性。ヴェスパに乗り、ローマの町を走り抜ける。彼は、そのイタリアを体現しているスクーターを欲しく思う。
だが、原作にも目を向ける。ある王女が、その裕福な境遇に嫌気がさし、一般人にまぎれる。その生活を楽しんでいる束の間のときと、真実を暴こうとするジャーナリストの欲望。甘くさらっと隠す箇所は描かない過去のモラル。そのシンプルなストーリーを上手に構成したのは、ここでも、自分の名前を持ち出すことが出来なかった「ダルトン・トランボ」という人が表れる。世に言う「赤狩り」レッド・スケェアー。
ロマンチックの代表作のもとを作った人は、それから、「スパルタカス」や、原作もある「ジョニーは戦場に行った」を書く。戦争の賛美の一切、入り込まないノート。彼もその偽善を剥ぎ取った、いや、ちょっと違う、見たくもなく隠している部分を露出した作品にこころを打たれる。包帯にまみれた植物人間の叫び。戦争の本質とは、こういうものだったのか。
ローマの休日に戻る。その映画の監督は、ウィリアム・ワイラー。ザ・プロフェッショナル。アカデミー監督賞を3回受賞。ノミネートはなんと12回。映画を撮るために生まれて来た男。
1902年から1981年までの人生。フランスのミュルーズ出身。
作り上げたもの。虐げられた人間の反骨の象徴としてのベン・ハー。ローマの騎馬競技場。ヴェスパが登場する2000年近くも前の乗り物。また、収集家の悲しいさが。
その可憐な女優に話を戻す。アメリカ的な世界に憧れていたこの物語の彼は、その女優の発する、というか発しないことに、最初は不満を持つ。ヨーロッパ的なものに、理解ができなかったのだろう。やっぱり、映画は、ハリウッドのクラシックに限るという偏見という檻のもとで。マリリン・モンローみたいな陽気な暖かい太陽のようなポイントが抜けていたために。
しかし、ボギーとともに「麗しのサブリナ」フレッド・アステアに興味のある頃に見た「ファニー・フェイス」ビリー・ワイルダーという職人のような監督にはまっていた頃にみた「昼下がりの情事」そうした作品を見ていくうちに、自然と彼女の存在になれてきた。
1929年から、1993年の人生。しかし、10数年で、その存在を世界に認めさせ、可憐さを残したのだ。移ろいゆくもの。
彼が、かなり映画をみていた1989年に「オールウェイズ」という作品を最後にして、暗い中でのフィルムには、映像をとどめていない。
可憐さがいなくなる。1993年。その数日前に、彼は、「ローマの休日」をはじめて見た。訃報をきいて、最初に思ったことは、「間に合った」ということだった。誰でも、人生の絶頂期があるだろう。本人が決めることもあるし、圧倒的なまでの多数の他者が決めてしまうこともあるだろう。その可憐な女性の代表作は、当然のように、一般市民にまぎれて快活に楽しんでいる王女の生活の場面だろう。多くの女性の全盛期が、記録媒体に残っているのか、そもそもそれが半永久的にどこかで、物置の奥にでも残っているのか彼は知らない。
その女性はいなくなる。でも、今後も、その存在は声高にではないが多くの人にアピールするだろう。
気の利いたセリフ。その愛らしい女性が亡くなった日、彼はテレビでニュースや映画の情報を流す番組を見ている。あるアメリカの大女優が、「神様は天国で一番、可愛らしい天使を得た」とコメントを残した。天使がいるのか知らないが、彼は上手い発言に舌を巻く。