当人相応の要求(22)
例えば、こうである。
新しい土地を追い求めること。地上に住む人間にとっては、身近な引越しという作業。もっと大きく捉えれば国を変える。知らない場所に移住すること。
見果てぬ冒険の地。金が眠っている土地。新大陸。さらには、頭の中に芽生える楽園のような場所。
ドヴォルザークが残した「新世界より」という音楽。その音楽家は一応は名声も勝ち得、1892年から3年間、アメリカで過ごし、黒人のもっているリズムと、尊く伝承されている音楽と、自分の過去と故郷での音楽体験を融合させ、新たな音楽を作っていく。それは、実際のある場所より、もっと遠くの遥か彼方の土地に流れる音楽のように、幻想的な旋律になっている。
1845年、アイルランドではジャガイモの飢餓を発端にアメリカへ渡る人が増えたそうだ。その後、開発を待っているカリフォルニアの土地には、勤勉なアジアの人間がそこに渡り開墾していく。新天地を求めて。
そして、寓話的なカフカの「アメリカ」という小説。それも傑作の部類に入る。彼は、それを熱心に読む。本当の作者は、その土地に一歩も足を踏み入れなかった事実も知らずに。しかし、空想力のある、書き手と読み手にとっては、そんなものは一切、問題にならないわけだが。
その作者は、どこにも行けない人間も書き、(もちろん、部屋の中で動き回ることのない虫が主人公の)また、このように快活に、理想の場所を歩き回る人間も登場させることが出来る。
チェコという場所が世界の片隅にある。そこから思いを溯ること。オーストリア・ハンガリー帝国。一部の人間の名誉のために、流れ続ける歴史。そこから逃げ、もしかしたら人間のそれぞれの腕に、栄誉が取り戻せるのではないかという幻想の場所。
かたや、日本にも滑稽感が含まれる冒険者がいる。鯨のなかにかくれたピノキオのような話。ジョン万次郎。1841年。船で遭難した14歳の少年は、無人島に漂着。そこで、捕鯨船の乗組員に助けられ、ハワイへ。そして、民衆の政治というものにじかに触れ、10年間の放浪の末、日本に戻ってくる。危険人物と見られたのだろうか? それとも、直ぐにこの人間は使える、との烙印を押されたのだろうか? 結局は、通訳などで活躍するが、もっと作戦的に作為的に、西洋文化を取り入れようという明治の代になると、その八方破れ的な教育では追いつかなくなる。それは、その人の持っている能力とは、まったく別物と理解して。トータル的な視野の広さが必要になっていく時代なのだ。
と、しながらも、1908年にはブラジルに日本人が移住する。当人たちにしか分からない筆舌に尽くしがたい経験。そのように南米を理想の土地にしようと思い立つ人たちもいる。
1934年、熊本からペルーに渡った日本人がいる。その両親には、4年後に子供が産まれ、その子は勉強ができたのだろうか? フランスやアメリカにその後、留学をし、数々の経歴を踏まえて、その国の大統領選に出馬し、見事当確。その日系人は、地球の反対側の人たちを驚かす。このようなスポットライトを浴びる人も、出てくるのだと。アジア人の顔を有して。
彼も、1990年、テレビを見ながら、アイデンティティのことについて考えている。また、民族で一緒にくくる感情を恐れてもいる。しかし、ニュースを見るうちに、マリオ・バルガス=リョサという世界的な大作家が対抗馬として、それも落選していたことを知る。彼は、本を読む。リフティングが一回でも多く出来るようになりたいサッカー少年のような執念で、本のページを、また一ページめくる。英米、さらにフランスやドイツの作家にも目を通し、次は南米にも、その熟したバナナのようなイメージを与える土地にも本物の作家がいるのか知りたく思っていた頃だ。
もちろん、どんな政治も恒久的な解決など見つけられないのかもしれないが、彼は、もしかしてある本の、あるページには、理想の一行があり、その鍵をもてば、なにかが解決できるのではないかと空想している。理想の場所を探したい。未開の土地を、歩くことができた過去の人間たち。それを、もう数社の旅行のガイドブックでただいたずらに眺めることしかできない現代人。
彼は、眼をつぶる。ドヴォルザークの音楽が、過去とも未来とも判別できない幻想のような場所に連れて行ってくれると夢想して。それは、たまには成功し、ときたまには失敗し、でも、こころのどこかで、ある悩みのなくなっている人たちの一員になっている場面が浮かぶ。
例えば、こうである。
新しい土地を追い求めること。地上に住む人間にとっては、身近な引越しという作業。もっと大きく捉えれば国を変える。知らない場所に移住すること。
見果てぬ冒険の地。金が眠っている土地。新大陸。さらには、頭の中に芽生える楽園のような場所。
ドヴォルザークが残した「新世界より」という音楽。その音楽家は一応は名声も勝ち得、1892年から3年間、アメリカで過ごし、黒人のもっているリズムと、尊く伝承されている音楽と、自分の過去と故郷での音楽体験を融合させ、新たな音楽を作っていく。それは、実際のある場所より、もっと遠くの遥か彼方の土地に流れる音楽のように、幻想的な旋律になっている。
1845年、アイルランドではジャガイモの飢餓を発端にアメリカへ渡る人が増えたそうだ。その後、開発を待っているカリフォルニアの土地には、勤勉なアジアの人間がそこに渡り開墾していく。新天地を求めて。
そして、寓話的なカフカの「アメリカ」という小説。それも傑作の部類に入る。彼は、それを熱心に読む。本当の作者は、その土地に一歩も足を踏み入れなかった事実も知らずに。しかし、空想力のある、書き手と読み手にとっては、そんなものは一切、問題にならないわけだが。
その作者は、どこにも行けない人間も書き、(もちろん、部屋の中で動き回ることのない虫が主人公の)また、このように快活に、理想の場所を歩き回る人間も登場させることが出来る。
チェコという場所が世界の片隅にある。そこから思いを溯ること。オーストリア・ハンガリー帝国。一部の人間の名誉のために、流れ続ける歴史。そこから逃げ、もしかしたら人間のそれぞれの腕に、栄誉が取り戻せるのではないかという幻想の場所。
かたや、日本にも滑稽感が含まれる冒険者がいる。鯨のなかにかくれたピノキオのような話。ジョン万次郎。1841年。船で遭難した14歳の少年は、無人島に漂着。そこで、捕鯨船の乗組員に助けられ、ハワイへ。そして、民衆の政治というものにじかに触れ、10年間の放浪の末、日本に戻ってくる。危険人物と見られたのだろうか? それとも、直ぐにこの人間は使える、との烙印を押されたのだろうか? 結局は、通訳などで活躍するが、もっと作戦的に作為的に、西洋文化を取り入れようという明治の代になると、その八方破れ的な教育では追いつかなくなる。それは、その人の持っている能力とは、まったく別物と理解して。トータル的な視野の広さが必要になっていく時代なのだ。
と、しながらも、1908年にはブラジルに日本人が移住する。当人たちにしか分からない筆舌に尽くしがたい経験。そのように南米を理想の土地にしようと思い立つ人たちもいる。
1934年、熊本からペルーに渡った日本人がいる。その両親には、4年後に子供が産まれ、その子は勉強ができたのだろうか? フランスやアメリカにその後、留学をし、数々の経歴を踏まえて、その国の大統領選に出馬し、見事当確。その日系人は、地球の反対側の人たちを驚かす。このようなスポットライトを浴びる人も、出てくるのだと。アジア人の顔を有して。
彼も、1990年、テレビを見ながら、アイデンティティのことについて考えている。また、民族で一緒にくくる感情を恐れてもいる。しかし、ニュースを見るうちに、マリオ・バルガス=リョサという世界的な大作家が対抗馬として、それも落選していたことを知る。彼は、本を読む。リフティングが一回でも多く出来るようになりたいサッカー少年のような執念で、本のページを、また一ページめくる。英米、さらにフランスやドイツの作家にも目を通し、次は南米にも、その熟したバナナのようなイメージを与える土地にも本物の作家がいるのか知りたく思っていた頃だ。
もちろん、どんな政治も恒久的な解決など見つけられないのかもしれないが、彼は、もしかしてある本の、あるページには、理想の一行があり、その鍵をもてば、なにかが解決できるのではないかと空想している。理想の場所を探したい。未開の土地を、歩くことができた過去の人間たち。それを、もう数社の旅行のガイドブックでただいたずらに眺めることしかできない現代人。
彼は、眼をつぶる。ドヴォルザークの音楽が、過去とも未来とも判別できない幻想のような場所に連れて行ってくれると夢想して。それは、たまには成功し、ときたまには失敗し、でも、こころのどこかで、ある悩みのなくなっている人たちの一員になっている場面が浮かぶ。