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当人相応の要求(27)

2007年08月09日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(27)

例えば、こうである。
 自分のことは、自分できちんとアピールしなければならない社会。
 そこには、過少とか過大とかが、当然のように棲家を見つけるのかもしれないが。
 ご利用は、計画的に。
 健康のため、吸い過ぎには注意しましょう。
 一人の人間が表れる。
光永 星郎という人物が熊本で生まれる。時は、1866年。あらゆる日本に生まれる男性の通過経路として、いろいろの成長過程に夢や挫折があり、それでも一つのイメージを勝ち得ていく。
通信事業に目覚め、外国からの記事があまりにも遅れたり手違いがあったのだろうか、そこでのトラブルの経験をもとに、その記事にも広告という媒体を挟み込めば、ある手間賃を相殺できるのではないのかと考える。
考えれば、成功するためには実行するしかないわけで、1901年に会社を設立し、それが以後、電通という会社に引き継がれる。宣伝すること。アピールすること。広告という付加価値。
現代になれば、あらゆるものが宣伝マンの手にかかり、イメージを大衆に広めていく。選挙活動さえ、そうしたいくつかの企業がかかわっているというのも事実みたいだ。
ケネディに負けるニクソンの戦略。
しかし、この物語の彼も、何も取り柄もなく、得意分野を自分で見つけることもできず、それでも収入の必要から、仕事の面接をしにいく。そこで、痛感するのは、もしかして自分をアピールすることではないのか? 持っているもの以上に、大風呂敷をひろげることなのか、とまで考える。
しかし、本当に、そんなことは必要なのだろうか、という疑問も頭の片隅に沸く。そこまでして、勝ち得るものってなんなのだろう? そして、得ることによって失うものもあるのだろうか? と不安にもなる。だが、その時点で失うものなどなかったはずだ、といくつかの年を経た彼は、知っている。もちろん、経験を通して、知らなければならない遠回りなわけでもあるのだが。
いくつかの象徴的なものが、映像を通じ、世間と握手をする。
ライオンが吠える映画のスタート。それを確認すれば、ある程度のクオリティの確約として。それと同じくして、波が砕ける日本映画。それは、過去の日本人が持っていたはずの情緒的気持ち。
ある電機メーカーのロゴ。故障もしない、ゆえにアフターサービスも少なくてすむ製品。
数行の言葉によって、その新たに産まれた製品のイメージを作り上げていく人。その命名によって、健康な子供の成長が決定したように、世の中に流通していく品々。
彼は、考える。その数行の言葉の選び方を。そして、最高のものとして、いつも思うのは、
「お尻だって、洗ってほしい」というシンプルな言葉の打撃。
 陽の目をみる言葉。海岸での砂で作られたお城のような、はかない言葉のイメージ。永久に残るものとして大作家の小説があるとしたら、その反対にこのようなコピーライターがいるのかもしれない。実際は、まったくの見当はずれのことを彼は、考えているのかもしれない。彼は、自分自身を宣伝が必要なものとして、考え出す。指針として、電通という会社の4代目の社長の訓戒。
1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
 
コメント
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