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拒絶の歴史(10)

2009年10月10日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(10)

 学校に通うのも終わり、冬休みに入った。前から頼まれていたように年末は、上田先輩の家の仕事を手伝った。といっても肉体を使って、材木などを運ぶ単純な作業だった。汗を流した対価として、その分だけ自分の小遣いが増える算段だった。前にも手伝ったので顔も覚えられ、仕事の合間には気軽に周りの人とも会話ができ、息抜きとしてはちょうど良い時間ももてた。彼らは、上田先輩のことを坊ちゃんと言った。例えば、こういう使い方をしていた。

「坊ちゃんは家の仕事を手伝わないのに、君たちは偉いね」という風にだ。
「ぜんぜん偉くないですよ。服を買ったりして、すぐ使い切っちゃうだけですから」

「君らには彼女はいないの。デート代にもなったりするんでしょう」

 事務所で古びたストーブの前で休んでいるときには、女性の事務員さんたちがいろいろと質問した。その代償としてなのだろうか、お茶やお菓子がでてきた。ぼくは、すこし微笑むだけで答えを終わらそうとしていた。だが、自分の頭のなかには裕紀という子の存在があった。自分にそういう存在があることを、とてもうれしいと同時に恥ずかしさと、また自分の背丈が急に伸びてしまったような不釣合いな感じもあった。しかし、考え続ける暇もなく身体を休めると、また作業にむかった。

 その材木を当初は売るだけだったらしいが、建築家を雇い自前で家を作るようになった。また、その後、景気のよかった東京を目指し上田先輩の父は、列車で地元と往復していた。その為、会社にいることは少なかったが、いればぼくらにはとても愛想をよくして尽くしてくれた。一度は、仕事が終わった後に、近くの焼肉屋に連れて行ってくれ、大量にご飯を食べさせてくれた。その時には、上田先輩もあらわれ一緒に肉を突っついた。

「お前は、こういう時だけは来るんだな」と父が皮肉をいうもその口調には温かみが感じられた。
「学校の後輩たちより、自分の子供を先頭に可愛がるものだよ」と、上田先輩はいった。

 横で見ていると彼らはとても仲の良い関係を保っていた。さらにある時は、友人のように振舞っていた。数杯のビールで酔った父は、ときに説教くさくなっていった。大体は、祖父の代から引き継いだ山を金に代えたのは自分だ、という内容だった。事実であるのは間違いないが、嫌味にきこえないのも彼の人柄なのだろう。そういう面を上田先輩は嫌がり、自分の家の仕事から距離をとろうとしていた。だが、犬が鎖の存在を忘れないように、彼も真の意味では自由ではないのかもしれない。

 結局、一週間ほど働き、6万円の約束だったはずだが、封筒を開けると8枚ほどの札が入っていた。それをポケットに突っ込み、自宅に帰った。

「いっぱい貰えた? わたしにもなにか買ってよ」洗面所で手を洗っていると、後ろから妹が声をかけてきた。この数年の年齢差の違いは、お金に対する価値観も変えてしまうのだろうか? ぼくは暇だけを持て余していた去年までの自分を思い出していた。

「うん、分かってるよ」と曖昧にだが、返事をした。彼女はそれだけで幸福の確証がもてたみたいに、喜んでそこを出て行き、母親になにかを告げていた。

 母は、お金に対する一般論を話していた。汗をながしてもらったお金は大事なんだから、そんなに簡単に要求しちゃいけないとかを。あなたも、そういう立場になってみたら、分かるとかも話していた。しかし、妹がそれをどれだけ受け止めたかを自分は理解することも深さを測ることもしなかった。

 裕紀の家に電話をかけ、さまざま起こったことを話した。その声は自分に安堵をもたらした。安堵を感じた自分は、その分気を張っていたここ数日の疲れがどっとでてきて、夕飯後に居間に移ってテレビを見ていると、眠気を覚えてきた。テレビの中では着飾った女性たちが年末の特番の歌番組で、自分の特徴を最大限にアピールしていた。彼らは、ぼくとそう年代は違っていないだろうが、材木を運ぶこともしらずに生きているんだな、と自分も自分で、生活の範囲の狭さを実感してしまい、その狭さも愛していた。

 部屋に戻って、年が明けて裕紀と会うことになった約束を頭のなかでいろいろ具体化していった。まだ、未来というものはデッサンすらされておらず、自分の思い通りに描けるような気がした。絵のうまい下手もあるだろうが、それぐらい心地のよい夜だった。そして、恋している自分というのも、また快適な気持ちでいられ続ける切符のようなものだった。