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リマインドと想起の不一致(39)

2016年06月19日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(39)

 愛情の示し方が単純に違うんだなという感想を抱いている。サンプルが増える。だが、自分との相性というのが一致する奇跡を、もしかしたらぼくは早過ぎて知ったのかもしれない。獲得というのは教育とか疲労という時間の積み立てののちに訪れるものだけではなく、簡単に向こうから勝手に手のひらに飛び込んでくる場合もあるのだろう。あったのだろう。それにしても新しい方法に自分を馴染ませることもできた。ぼくはささいな抵抗や小さな拒絶をすることにより、いなくなったひじりに忠誠を誓おうとしていた。

 誓いは報いと同等ではない。また報いも誓いとは縁遠い。その事実を数十年後のぼくはあきらめの連続の結果として知っている。優秀でもない大多数の一員のもつべき権利として。多少、道(道義という大げさなものでないにしろ)から外れ、何度か裏切ったり、当然、裏切られたりする。生きるということは経験を身に加えることだ。皆無ということは成立しない。優しさや正義の平均点すら到達がむずかしい。その神経質な撹拌が誓うという行為をふるい落とす。バカげているとあきらめていることはないにしても。

 愛情のバランスが均等ではない。あゆみの量が常に多い。少しだけぼくも付け足す。それを知ると彼女も比例して注ぐ。だから、いつも似通ったような円グラフを作った。誤差の範囲。ぼくの愛情はそういう形態のものだ。そのいびつな円も彼女は愛の布でくるんだ。だから、その関係は外部から守られ、膨張もなく縮みもしなかった。

 外部にはひじりがいた。ぼくは酸素を求める金魚のように直接、口を外気に向けた。ずっとその姿勢でいることはできないこと自体、金魚自身が知っている。水のなかが不本意にせよ生きる唯一の場所なのだ。ぼくは水中から目を向けて水槽のそとを探す。金魚鉢はレンズとなってものごとを歪ませて映すだろう。一部は拡大され、意図しない形に縮小される部分もある。餌が上部から水面に落とされる。その指先はひじりのものかもしれない。

 危険はない檻の中。たっぷりと栄養もある。あゆみが熱心に供給してくれる。ぼくはそのあゆみの家の近くの土手の芝に犬とすわっている。犬はぼくの匂いを数回だけ嗅いで、認証したように目をつぶった。我が主人に不正にアクセスした者ではありませんと。それ以降、ぼくの存在を疑うこともしない。あゆみと同じように善良にできており、信頼を惜しげもなく表し、証拠として隠すという感情もなく、認めた対象にとことん尽くす性質なのだろう。あゆみの美点と同じく。

「あまり馴れないんだけど」とあゆみは犬の背中をいたわるように撫でながら言った。「でも、このぐらいの年代の男性のこと、そんなに知らないか。配達に来るひとぐらいだもんね。吠えて当然か」

「そこには吠えておかないと。犬の仕事だから」

 ぼくは川面を見る。鉄橋がある。となりの町に通じる橋。ぼくはひじりから離れて、あゆみのところに渡った。完全に。犬が証人である。無言の是認でもあった。

 急ににわか雨が降り出す。ぼくらは遮るものを探していっしょに走り出した。動悸が激しくなりふたりの吐く息の音がコンクリートの壁に響いた。あゆみの髪や肩の辺りが濡れている。湿気が混じると違った匂いを発する。ぼくの視線を受け止めてあゆみは犬の紐をにぎっている手の力を緩めた。解き放たれた犬はうれしそうに雨の中を疾走する。まるで飛んでいるようだった。邪魔者もいなくなり、ぼくらは近付いて互いの温度の差を調べた。


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