ケンのブログ

日々の雑感や日記

思い出すこと

2017年10月07日 | 日記
10月7日という日付を見て今日は1971年に亡くなった
母方の祖父の誕生日だなと思った。
僕はなぜかそういう記憶だけは確かなのでたぶんそれで
間違いないと思う。
僕は3才くらいの頃から小学校を卒業するまで
母方の祖父母と同じ敷地内で暮らしていた。
同居と言っても差し支えないと思う。
祖父はあんこの製造工場を経営していた。
毎年、夏休みになると東京からいとこの
Nちゃんがやってきて一緒に夏休みを一週間くらい
過ごした。
1970年、僕が小学校2年の時いとこのNちゃんと
取っ組み合いの喧嘩というほどではないけれど
相撲の突っ張りあいのような喧嘩をしていて
ずっとその喧嘩が止まらなかったことがある。
Nちゃんと二人で外からあんこの小豆がおいてある
倉庫の中に入り込んでそこでもまだ
突っ張りあいのような喧嘩をしたいた。
突然、祖父が杖を持って倉庫の中に入ってきた。
祖父は杖を上段の構えに振り上げて
「もう喧嘩せえへんか」と言った。
Nちゃんは「もうしない」と言って
喧嘩をやめた。
それでとりあえずNちゃんは無罪放免ということになった。
それから祖父はまだ杖を上段に構えたまま
僕にも「もう喧嘩せえへんか」と言った。
「わからん」と僕は言った。
この先喧嘩をしないかどうかそんなことわかるだろうかと僕は思った。
先の誓いなんてとても立てられるものじゃないと思った。
もう一度祖父は「もう喧嘩せえへんか」と重ねた。
僕は「わからん」と言った。
同じ問答が2度3度と続いたあと
「もう喧嘩せんと言わなんだら、この杖で頭をわってまうぞ」と祖父は言った。
「ええよわるんならわりんさい」と僕は言った。
祖父はしばらく呆然としていてそれから
倉庫の床にしゃがみこんで
「おじいちゃんにこんなにかわいい子の頭をわることはできない。
いや、ケンちゃんにはかなわん」と言った。
その言葉を聞いて僕は涙ぐんでしまった。
本当に祖父にはいろいろと可愛がってもらったなと思う。
自分は可愛がられて育ったという思い出を大切にしたいと思う。
それから約半年後の1971年2月に祖父は亡くなった。
朝、起きると普段は僕より早く起きて台所に立ったりしている
母がまだ寝ていた。僕は母が寝ている部屋へとことこ歩いていって
「お母さんどうしたの」と聞いた。
母は「昨日の晩、遅くにおじいちゃんなくなったの。お母さんは
このまましばらく寝ているから、あなたは学校へ行きなさい」と言った。
祖父が死んだ。
その知らせを母から聞いて僕は膝から畳の上にがくっと崩れ落ちた。
しばらくそのまま泣いた。
その日、学校に行ったのかどうか、それはまったく覚えていない。