ケンのブログ

日々の雑感や日記

ルツェルン祝祭管弦楽団 リッカルド シャイー指揮 京都公演

2017年10月09日 | 音楽
京都コンサートホールにリッカルドシャイー指揮ルツェルン祝祭管弦楽団
京都公演を聞きに行った。
オールリヒャルトシュトラウスプログラム。
最初に演奏されたのは交響詩「ツァラトストラはかく語りき」op.30
荘厳なオルガンの音、金管の響き、鮮やかに弦が続く。
ティンパニーも力強く鳴っている。
素晴らしい曲の始まり。
完璧な冒頭の演奏と思う。
弦の音が艶やかに響くとうっとりと夢見心地になる。
情感たっぷりに高音域も中音域も艶やかに音が出ている。
音楽が高揚するところではふわっとした感覚に浸る。
ロマンチックな旋律を歌いそれが次の瞬間さっと曇るときの
コントラストも自然で美しい。
曲が高揚するところでは音量も出ているのだけれど
聞く方の感覚としては大音量で圧倒するというよりも
音の密度が高く濃厚な音という印象が強く感じられる。
曲想が明るいところではリヒャルトシュトラウスの音楽って
こんなに明るいのかと思う。
木管楽器は鳥のさえずりのように美しい。
演奏が進むにつれて音の密度の高さ、濃厚さが
だんだん心象にしみついてくる。
柔らかくて艶やかで濃厚な音という感じ。
演奏を聞いているうちにリヒャルトシュトラウスって
すごい作曲家なんだなと今さらのように思う。
個々の奏者の自発性も目につく。
ヨーロッパの水準の高いオーケストラがしばしばそうであるように。
弦のソロ的な音も随所に出てくるけれどどれも美しい。
シャイーさんの指揮ぶりも優雅で美しい。
音楽が終わったあとの静寂が素晴らしかった。
演奏が終わったあとの深い静寂をこんなに味わった
経験は僕にとってそれほどないような気がする。
フライイング気味に拍手する方が皆無だったので
それを味わうことができて本当によかった。
次に演奏されたのが交響詩「死と浄化」op.24
弦がふわっと鳴る感じの曲の始まり。
だんだん音楽が深い、しかしそれでいて心が落ち着くような淵に
入っていく。
行ったことのない世界へ自分の心が誘われていくように感じられる。
オーボエやフルートの音、それにバイオリンのソロの音は
一体どこから来た音なの?そんな風に思う。
用心深く慎重に音楽が高揚する。
曲がギアチェンジして音楽が躍動し始める。
曲が猛り狂うところは一体何を象徴しているの?と思う。
ただ、その猛り狂ったところにもほんのりロマンが感じられるところが
奥ゆかしいと思う。
また、曲がギアチェンジして本当に清められたような曲想になる。
木管が、弦が夢見心地のように歌う。
だんだん曲想が明るくなると音楽は多様に揺れ動く。
だんだん音楽が柔らかく優しく包み込むようで夢見心地になってくる。
最後はシャイーさんは指揮棒を手放して手だけで指揮をしておられた。
音楽はだんだん恍惚状態になってくる。
リヒャルトシュトラウスの音楽ってこんなに美しいのかと
涙があふれそうになる。
この演奏も曲が終わったあとの静寂がとても深くそれが印象的だった。
次に演奏されたのが交響詩「ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」op.28
おとぎ話のような音楽の始まり。
音楽が愉快に転げるように展開していく。
金管の響きが夢見心地に美しい。
いい演奏だった。
帰りに京都植物園の門の前でたそがれの空をみると
ランプを灯した飛行機が飛んでいて飛行機雲が見えた。