ケンのブログ

日々の雑感や日記

とりとめのないこと

2017年10月16日 | 日記
隣町の駅前に安倍内閣総理大臣が選挙演説にいらしていた。
駅前にO府警の警察官や私服の警備員
あるいは私服警官と思われるような方々が
いっぱいたっていらっしゃる。市民交流センターの
入り口には菊の後紋章のようなバッジをつけた
方も立っておれれた。
皇族並みの警護の仕方だなと思ってしまった。
へたに近寄ると取り押さえられそうな気がしたので
遠くから見ていた。
確かに総理大臣の姿だった。
「阪神タイガースが優勝できなかったからと言って
名前だけ変えても意味がないように野党も名前だけ
変えても意味がありません」とおっしゃっていた。
割りと早口で話されるけれど結構聞き取りやすいと思った。
阪神タイガースの例えは総理大臣自ら考えられたのか
誰かブレーンの方が考えられたのか
結構うまい例えばなしだなと思った。
しかし、今、たしかクライマックスシリーズの最中だし
ちょっと微妙かもとも思った。
クライマックスシリーズは落合博光さんもおっしゃっていたけれど
ペナントレースで負けたチームは「俺たちは
ペナントレースでは負けたんだという気楽な気持ちで
行けるけれどリーグ優勝したチームは勝って当然という
プレッシャーがあるから、ペナントで優勝したチームが
有利とは限らない。ペナントレースと
クライマックスシリーズは別物と考えた方がいい」という
主旨のことをおっしゃっていた。
落合さんらしい単純明快な論理だなと思う。
確か、僕の記憶でも落合さんは自分が監督のとき
クライマックスシリーズで日本シリーズに進んで
うちはペナントで優勝したわけではありませんから
ということを結構強調しておられたような気がする。
そういうところは落合さんはそれはそれ、これはこれ
という割りきりのよい方なんだなと思う。
そういう割りきりのよさが落合さんを一流たらしめていると
いってもよいかも知れない。
通りかかったN神社に参拝すると本殿の前で女性が三人
「お祈りするときは自分の名前を名乗らなあかんらしいよ」とか
「ご縁があるように5円入れるといいんちゃうの」とか
「それでは少なすぎるやろう」とかおっしゃっていた。
自分の名前を名乗るというのはネットの参拝の作法らしきもので
読んだ気がするけれど、僕は参拝のときに自分の名前を
名乗ったことがない。
ちなみに、神社が出している参拝の作法には
手水での柄杓の扱い方や
二拝二拍手一拝は書いてあるけれど
名前を名乗るというのは書いてない場合が多いと思う。
絵馬なども奉納せずに持ち帰って飾ってもいいですか
と社務所で聞いてだめですと言われた経験は一度もない。
「それはお好きにしてください」とおっしゃる場合がほとんどだ。
持ち帰る場合は丁寧に神社の袋に入れてくださる。
まあ、昔は本物の馬を奉納していたのが今は略式に
絵馬を奉納するというようなことが
クエスチョンアンドアンサーのようなサイトに
よく書いてあるけれど、僕、個人的には
絵馬をなにがしかの金額を支払って買った時点で
それなりの金額を神社に奉納したことになるので
あとは持ち帰っても自由と思っているのでけれど
やっぱり慎重を期して絵馬を持ち帰る場合は
持ち帰ってもいいですか?と社務所で聞いてしまう。
なにか心配が生じた場合は
もろもろのまがごと罪けがれあらんをば
払いたまえ、清めたまえと祈れば
大概は大丈夫と思える。
また、そのような自分でありたいなと祈っている。