隣町の青少年センターで本や新聞を読んでいると
回りの高校生がやっている教材がちらっと目に入る。
大学入試センター試験の過去問あるいは過去問から構成された
問題集をやっている子がおおい。
社会など覚える系の科目は一問一答や教科書を読んでいる子が
多いけれど。
この時期に過去問をやるのは合理的な勉強方法だなと思う。
大学入試センター試験は出題のパターンが大体決まっているから
同じ学力の子なら過去問をしっかりやって出題パターンに
そって頭が反応するようにトレーニングするのとしないのでは
かなりスコアーが違ってくると思う。
以前中学三年生が受ける全国学力テストで
点数をあげるために学校の授業でこの学力テストの
問題を生徒に解かせたりしてそれでは本末転倒だと
いう発言が文部科学大臣からなされたような記憶がある。
そのニュースに接したときにまあそれは本末転倒だろうけれど
過去問を生徒に解かせたくなる先生の気持ちも少しはわかるな
と思った。
やはり過去問を解くと学力テストでのスコアーはたぶんアップするだろうと
思う。
あらかじめこういう問題が出るというパターンを想定して
試験を受けるのとどういう出題形式の問題がでるのか
知らないで丸腰で試験を受けるのではそれは結果に差が
でると考えるのが合理的だと思う。
そんなことを考えていたら今日の全国紙に
プレテスト難易度高くという見出しで2021年に
始まる大学入学共通テストの試行調査の結果と
その分析が書いてあった。
記述式の問題で採点の公平性が担保されるのかなど
いろいろなことが書かれていた。
ただ、僕は新聞の記事を読みながら2021年に
大学入試を受ける子は過去問がない状態で
試験に臨まなければならないのだなということをしみじみと思った。
こういう状況になるといろんな情報を集めて
それを生徒に還元する能力のある私立高校が
有利になるのではないかと考えた。
しかし、どんなに入試方法が変わっても
受かる子は受かるし受からない子は受からない。
共通一次試験が導入されたときも田舎の
僕の高校では先生はろくに情報を持っていないな
大体こんな感じということを把握しているだけだな
と当時高校生だった僕は思った。
それでもその田舎の高校からでも受かる子はちゃんと受かっていった。
そんなことを考えていたら村上春樹さんがかれこれ
23年前に書かれたエッセイが頭に浮かんだ。
以下抜粋で引用します。
言い訳をするのではないけれど、僕には昔から
他人から与えられたものに対してどうしても真剣に取り組めないという
困った傾向があって、小学校に入ってから大学を出るまで
それが僕の学業を一貫して阻害してきたようである。
中略
僕はそれでも、なんとか国立大学に入ってくれないかと親に言われて
一年浪人して嫌な数学と生物を詰め込もうとこれ努めたわけだが
案の定うまくいかず、結局芦屋市立図書館の読書室でうとうと居眠りをしながら
一年間を無駄に費やすことになってしまった。
慣れないことは下手にやるものではない、
するっとできることはするっとできるうちにやっておきたい、
という貴重な教訓である。
中略
だって試験なんて向き不向きもあるし、運もあるし、成り行きもある、
それに、だいたい、たかが大学のことじゃないですか、、、
と言ってもその「たかが」のことで
嫌な思いをしている人も世の中にはきっと多いのだろう。
そう思うと心が痛まないでもない。
なんか2017年の今現在でも村上春樹さんのこの文章が
僕の大学入試に関する思いを一番語っていてくださるなと思う。
※村上春樹さんの文章は「やがて悲しき外国語」という本に収められている
「ヒエラルキーの風景」というエッセイから引用しました。
ちなみに、村上春樹さんは県立神戸高校から早稲田大学の文学部に
進まれました。 県立神戸高校は兵庫県ではトップクラスの
県立高校です。そういう高校から早稲田大学文学部に入っても
回りからそんなに評価されないという事情を考慮すると
ここで村上春樹さんが書いておられるきもちがわかりやすいと思います。
県立高校の入試は大学入試と違って特に対策をしなくても
賢い人ならばするっと通ってしまうことも往々にしてありますし。
特に団塊の世代の村上春樹さんの時代なら、、、。
回りの高校生がやっている教材がちらっと目に入る。
大学入試センター試験の過去問あるいは過去問から構成された
問題集をやっている子がおおい。
社会など覚える系の科目は一問一答や教科書を読んでいる子が
多いけれど。
この時期に過去問をやるのは合理的な勉強方法だなと思う。
大学入試センター試験は出題のパターンが大体決まっているから
同じ学力の子なら過去問をしっかりやって出題パターンに
そって頭が反応するようにトレーニングするのとしないのでは
かなりスコアーが違ってくると思う。
以前中学三年生が受ける全国学力テストで
点数をあげるために学校の授業でこの学力テストの
問題を生徒に解かせたりしてそれでは本末転倒だと
いう発言が文部科学大臣からなされたような記憶がある。
そのニュースに接したときにまあそれは本末転倒だろうけれど
過去問を生徒に解かせたくなる先生の気持ちも少しはわかるな
と思った。
やはり過去問を解くと学力テストでのスコアーはたぶんアップするだろうと
思う。
あらかじめこういう問題が出るというパターンを想定して
試験を受けるのとどういう出題形式の問題がでるのか
知らないで丸腰で試験を受けるのではそれは結果に差が
でると考えるのが合理的だと思う。
そんなことを考えていたら今日の全国紙に
プレテスト難易度高くという見出しで2021年に
始まる大学入学共通テストの試行調査の結果と
その分析が書いてあった。
記述式の問題で採点の公平性が担保されるのかなど
いろいろなことが書かれていた。
ただ、僕は新聞の記事を読みながら2021年に
大学入試を受ける子は過去問がない状態で
試験に臨まなければならないのだなということをしみじみと思った。
こういう状況になるといろんな情報を集めて
それを生徒に還元する能力のある私立高校が
有利になるのではないかと考えた。
しかし、どんなに入試方法が変わっても
受かる子は受かるし受からない子は受からない。
共通一次試験が導入されたときも田舎の
僕の高校では先生はろくに情報を持っていないな
大体こんな感じということを把握しているだけだな
と当時高校生だった僕は思った。
それでもその田舎の高校からでも受かる子はちゃんと受かっていった。
そんなことを考えていたら村上春樹さんがかれこれ
23年前に書かれたエッセイが頭に浮かんだ。
以下抜粋で引用します。
言い訳をするのではないけれど、僕には昔から
他人から与えられたものに対してどうしても真剣に取り組めないという
困った傾向があって、小学校に入ってから大学を出るまで
それが僕の学業を一貫して阻害してきたようである。
中略
僕はそれでも、なんとか国立大学に入ってくれないかと親に言われて
一年浪人して嫌な数学と生物を詰め込もうとこれ努めたわけだが
案の定うまくいかず、結局芦屋市立図書館の読書室でうとうと居眠りをしながら
一年間を無駄に費やすことになってしまった。
慣れないことは下手にやるものではない、
するっとできることはするっとできるうちにやっておきたい、
という貴重な教訓である。
中略
だって試験なんて向き不向きもあるし、運もあるし、成り行きもある、
それに、だいたい、たかが大学のことじゃないですか、、、
と言ってもその「たかが」のことで
嫌な思いをしている人も世の中にはきっと多いのだろう。
そう思うと心が痛まないでもない。
なんか2017年の今現在でも村上春樹さんのこの文章が
僕の大学入試に関する思いを一番語っていてくださるなと思う。
※村上春樹さんの文章は「やがて悲しき外国語」という本に収められている
「ヒエラルキーの風景」というエッセイから引用しました。
ちなみに、村上春樹さんは県立神戸高校から早稲田大学の文学部に
進まれました。 県立神戸高校は兵庫県ではトップクラスの
県立高校です。そういう高校から早稲田大学文学部に入っても
回りからそんなに評価されないという事情を考慮すると
ここで村上春樹さんが書いておられるきもちがわかりやすいと思います。
県立高校の入試は大学入試と違って特に対策をしなくても
賢い人ならばするっと通ってしまうことも往々にしてありますし。
特に団塊の世代の村上春樹さんの時代なら、、、。