僕の父は元船員で神戸の住吉駅の近くに
父が勤めていた会社の船員寮があった。
父の船が神戸に停泊すると母と一緒に
神戸の住吉の寮にいっていた。
住吉と言っても正確には本山なのだけれど
最寄り駅は住吉なのでとりあえず住吉としておく。
住吉駅はいまは快速も止まるけれど当時は各駅停車しか
止まらない駅だった。
住吉駅で三宮方面の電車を待っていると
「まもなく各駅停車西明石行きが参ります」といつも場内アナウンスがあった。
各駅停車西明石行き。僕には懐かしい響きだ。
一昨日京都駅の近くの家電量販店で買い物をして
その品を各駅停車西明石行きの網棚に置き忘れてしまった。
もうたぶんダメだろうとおもいつつも一応自宅最寄り駅に
忘れ物の届けをしたら昨日西明石駅から電話があった。
忘れ物が見つかったので着払いで送るか
西明石駅まで受け取りにいくのかの二択だった。
僕は家にいていつ届くかわからない荷物を
待つのが苦手なので西明石駅まで受け取りに行く方を選択した。
それで今日西明石に行った。
西明石まで各駅停車でいこうかなともおもったのだけれど
最近はJRも駅が増えたしなんか各停はつらいなと思って
隣町の駅から新快速に乗った。
新快速が神戸駅を過ぎてしばらくすると西に向かって右手の
窓にいかにも潮風にうたれた感じの松林が見えた。
これは左を見れば海が見えるかも、と思って
左の窓をみたら海だった。
久しぶりに海をみたなと思う。
それも電車の車窓から海を見たのは何年ぶりだろう。
北海道に旅行に行くとき親不知、子不知辺りの
日本海を見て以来ちょっと記憶にない。
神戸より西から大阪方面に通勤する人は
ここを毎日通るんだなと思った。
西明石の駅で忘れ物を受け取った。
ちょっと西明石駅の売店を見ると
海産物などいわゆる明石名物、それに神戸の洋菓子の
ブランドが並んでいる。
僕がすんでいる辺りでは見かけない売店の光景だなと思う。
洋菓子のブランドが多いのを見てやっぱり神戸は港町だなと思う。
西明石駅の回りも一周したけれどそんなに発展した町のようには
思えない。
多くの大都市近郊の町がそうであるように昼間は年配の方が多い。
西明石からまた大阪方面に戻った。
今度は各駅停車に乗りどこかの駅から快速か新快速に乗り換えることにした。
電車がまた海の見えるところに差し掛かるとそこは須磨駅に近いことが
わかった。
須磨駅で下車した。
須磨駅で降りるのも何年ぶりだろう。
すくなくとも過去五年は須磨駅で降りた記憶がない。
須磨駅を降りるとそこは須磨の海岸に直結している。
浜に出るといぬの散歩をしている人や段差に座って海を見ている人も
ちらほらいる。
子供に「もうそろそろこちらへいっらしゃい」と呼び掛けているお母さんもいる。
時計を見ると午後4時半頃。
西に日が傾いている。
今日は冬至だ。日が落ちるのは早い。
海の方を見ると水平線は弧を描いている。
正確な弧を。
180度の弧と言いたいところだけれど実際には端の方が
山や建物で切れているので180度に近いけれど180度には満たない。
水平線が弧を描いているとはっきりと意識して見たのは
あるいは今日が初めてかもしれない。
地球が丸い証拠だ。
弧が描くラインに視線をおいて沖の何隻かの船を見ると
それらは水平線にそって浮かんでいるように見える。
見渡す限りの水平線のかなたにあるだろう僕の行く国が
という井上陽水さんの歌詞の一節が頭に浮かぶ。
浜には千鳥もいる。
淡路島かよう千鳥のなく声に幾夜寝ざめぬ須磨の関守
という百人一首の歌も頭に浮かぶ。
確かに古典の世界では須磨はうら寂しいところだなとも思う。
10分ほどして海に背を向けて須磨駅の方に戻ってくると
駅舎の左手に鳥居があった。
狭く囲った敷地のなかに金比羅さんと猿田彦さんと恵比寿さんが祭ってある。
敷地内の石を見ると阪神大震災で全壊という文字もかかれている。
あるいは震災前にはここにはもっと大きく金比羅さんなどが祭ってあったのかも
しれない。
いまは小さく祭ってある神殿にお参りをして須磨駅への階段を
登った。
冬至の日に須磨の夕日を見れたのも何かのご縁かもしれない。
父が勤めていた会社の船員寮があった。
父の船が神戸に停泊すると母と一緒に
神戸の住吉の寮にいっていた。
住吉と言っても正確には本山なのだけれど
最寄り駅は住吉なのでとりあえず住吉としておく。
住吉駅はいまは快速も止まるけれど当時は各駅停車しか
止まらない駅だった。
住吉駅で三宮方面の電車を待っていると
「まもなく各駅停車西明石行きが参ります」といつも場内アナウンスがあった。
各駅停車西明石行き。僕には懐かしい響きだ。
一昨日京都駅の近くの家電量販店で買い物をして
その品を各駅停車西明石行きの網棚に置き忘れてしまった。
もうたぶんダメだろうとおもいつつも一応自宅最寄り駅に
忘れ物の届けをしたら昨日西明石駅から電話があった。
忘れ物が見つかったので着払いで送るか
西明石駅まで受け取りにいくのかの二択だった。
僕は家にいていつ届くかわからない荷物を
待つのが苦手なので西明石駅まで受け取りに行く方を選択した。
それで今日西明石に行った。
西明石まで各駅停車でいこうかなともおもったのだけれど
最近はJRも駅が増えたしなんか各停はつらいなと思って
隣町の駅から新快速に乗った。
新快速が神戸駅を過ぎてしばらくすると西に向かって右手の
窓にいかにも潮風にうたれた感じの松林が見えた。
これは左を見れば海が見えるかも、と思って
左の窓をみたら海だった。
久しぶりに海をみたなと思う。
それも電車の車窓から海を見たのは何年ぶりだろう。
北海道に旅行に行くとき親不知、子不知辺りの
日本海を見て以来ちょっと記憶にない。
神戸より西から大阪方面に通勤する人は
ここを毎日通るんだなと思った。
西明石の駅で忘れ物を受け取った。
ちょっと西明石駅の売店を見ると
海産物などいわゆる明石名物、それに神戸の洋菓子の
ブランドが並んでいる。
僕がすんでいる辺りでは見かけない売店の光景だなと思う。
洋菓子のブランドが多いのを見てやっぱり神戸は港町だなと思う。
西明石駅の回りも一周したけれどそんなに発展した町のようには
思えない。
多くの大都市近郊の町がそうであるように昼間は年配の方が多い。
西明石からまた大阪方面に戻った。
今度は各駅停車に乗りどこかの駅から快速か新快速に乗り換えることにした。
電車がまた海の見えるところに差し掛かるとそこは須磨駅に近いことが
わかった。
須磨駅で下車した。
須磨駅で降りるのも何年ぶりだろう。
すくなくとも過去五年は須磨駅で降りた記憶がない。
須磨駅を降りるとそこは須磨の海岸に直結している。
浜に出るといぬの散歩をしている人や段差に座って海を見ている人も
ちらほらいる。
子供に「もうそろそろこちらへいっらしゃい」と呼び掛けているお母さんもいる。
時計を見ると午後4時半頃。
西に日が傾いている。
今日は冬至だ。日が落ちるのは早い。
海の方を見ると水平線は弧を描いている。
正確な弧を。
180度の弧と言いたいところだけれど実際には端の方が
山や建物で切れているので180度に近いけれど180度には満たない。
水平線が弧を描いているとはっきりと意識して見たのは
あるいは今日が初めてかもしれない。
地球が丸い証拠だ。
弧が描くラインに視線をおいて沖の何隻かの船を見ると
それらは水平線にそって浮かんでいるように見える。
見渡す限りの水平線のかなたにあるだろう僕の行く国が
という井上陽水さんの歌詞の一節が頭に浮かぶ。
浜には千鳥もいる。
淡路島かよう千鳥のなく声に幾夜寝ざめぬ須磨の関守
という百人一首の歌も頭に浮かぶ。
確かに古典の世界では須磨はうら寂しいところだなとも思う。
10分ほどして海に背を向けて須磨駅の方に戻ってくると
駅舎の左手に鳥居があった。
狭く囲った敷地のなかに金比羅さんと猿田彦さんと恵比寿さんが祭ってある。
敷地内の石を見ると阪神大震災で全壊という文字もかかれている。
あるいは震災前にはここにはもっと大きく金比羅さんなどが祭ってあったのかも
しれない。
いまは小さく祭ってある神殿にお参りをして須磨駅への階段を
登った。
冬至の日に須磨の夕日を見れたのも何かのご縁かもしれない。