中島みゆきさんは、シンガーソングライターで、自分で歌を作って自分で歌を歌われる。その一方でみゆきさんはたの歌手の方にも楽曲提供をしておられる。
みゆきさんが他の方に楽曲提供されたものをみゆきさん自身が歌われることもある。
そのように他の方に楽曲提供されたものをみゆきさん自身が歌われたものを聴くと、少なくとも僕が聴いた範囲内の話としては、みゆきさんが作った歌はみゆきさん自身がが歌うのが一番いいなと思うことが多い。
ただ、みゆきさんが桜田淳子さんに提供された「化粧」という歌を聴くと、うーん、これは、少なくとも僕はみゆきさんが歌ったものよりも桜田淳子さんが歌ったののほうが好きかなと思う。
もちろんみゆきさんの歌もかなり好きだけれど。
桜田淳子さんが歌う「化粧」はみゆきさんが歌ったものよりもストレートな歌い方と思うけれど、そのストレートな歌い方の中に、深い情感がこもっているし、何とも言えない色気が漂っているように僕には思える。
花の中3トリオというようなキャッチフレーズでデビューされた桜田淳子さんと山口百恵さん、そして森昌子さんの3人だけれど、3人が3人とも20歳になるころには、もうアイドルという範疇をはるかに超える存在になっておられたように思う。
3人とも僕より4つくらい年齢が上なので、僕は年上のお姉さんを追いかけるような気持ちでこの三人のことを見てきたのだけれど、百恵さんも宇崎竜童さんの歌を歌い出した頃に、なんかかわいいお姉さんから、急にカッコイイ女性という感じになってしまったなと当時、中学生くらいだった僕は感じていた。
あのころは、歌番組も盛んで、今以上にアイドルは歌が中心だったから、いくら容姿やスタイルがよくても肝心の歌が、よくなければ、一線にはいられないという時代だったのだと思う。
そうやって、3人とも歌を磨いてこられた結果、20歳を超える頃にはもうアイドルというところをはるかに超えたところに行ってしまわれたのかなと思う。
さて、このみゆきさんの「化粧」という歌だけれど、サビのところの歌詞でこんなフレーズが出てくる。
「馬鹿だね 馬鹿だね 馬鹿だね あたし
愛してほしいと思ってたなんて
馬鹿だね 馬鹿だね 馬鹿のくせに
愛してもらえると思っていたなんて」
というフレーズが、、、。
こういう感情って女性、男性に限らず、自分が愛してもらえなかったと感じたときに、自分に対して痛切に抱く思いなのではないかと僕は思う。
そして、話をもっと一般化すれば、男女の間の愛とか、人間同士の愛とか、そういうものを超えて自分にそもそも愛というものが注がれているのだろうかという痛切な問いを心に抱いたときに多かれ少なかれ誰もが抱く思いなのではないか。
僕はそんなふうに感じる。
自分が愛されているかどうか、そのことに対して、痛切な疑問を持ったときにみゆきさんのこの「馬鹿だね あたし 愛してほしいと思ってたなんて」というフレーズを見ると、同質の原理で本当に心が慰められる気がする。