昨日、横綱の鶴竜が引退したというニュースに接した。
休場が続いていて、そのままフェードアウトのような引退に、残念なことだなと思った。
鶴竜は僕にとっては地味な横綱だったけれど、そのまま、なんとなく地味に引退してしまったなという印象がぬぐいされない。
折しも今は桜のシーズン。
散るこそ花と 散る花を美化することは、ともすれば死を美化することにも繋がりかねないから、安易に散り際の美学ということは慎むべきとは思う。
しかし、横綱が引退するなら、場所中に連敗してそのまま引退とか、場所を皆勤したものの、思うような成績、あるいは思うような相撲内容ではなくそれで引退、という花道をできれば飾ってほしかったという気持ちは僕の心のどこかに宿っている。
せっかく横綱になったのだもの、もう少しファンに最後の印象を残して引退してもいいのにと思ってしまう。
新聞には、成績が振るわず、横綱審議委員会からも厳しいことを言われ、鶴竜本人も悩み抜き、もういいかなと気持ちが切れてしまったという内容のことが書いてある。
きっと、そのとおりなのだと思うし、それが鶴竜関らしいとも言えるのだろう。
それでも、やっぱり引退の花道くらいはあってもよかったのに、とそのことに気持ちが行ってしまう。
僕の記憶にある限り、もっとも印象的で美しい横綱の引退は北の湖の引退だった。
怪我が治っていないのに、国技館が蔵前から両国に移ったということでそのこけら落としの場所に怪我を押して強行出場して、初日から二連敗してそのまま北の湖は引退した。
もちろん、そのときは北の湖が怪我を押して強行出場したことなどニュースにならなかったけれど、後になって、当時の春日野理事長から、両国国技館のこけら落としの晴れの場所に横綱が休むことはできない、散る覚悟で出るようにと言われて、そのまま強行出場して二連敗そして引退という流れになったということが明るみになった。
北の湖の最後の対戦相手は平幕の多賀竜。僕もそれをテレビで見ていたけれど、あっというまにいいところなく後退して北の湖は負けてしまった。
翌日の新聞にも、北の湖は多賀竜と差し手争いをしているうちにみるみる後退して負けてしまった。という内容のことが書いてあった。
そして、その傍らには浴衣を見て記者の取材に応じる北の湖の写真が載っていて、その写真の横に「北の湖おつかれさま」というかなり大きな見出しが出ていたと記憶している。
僕にはあれは、印象深い引退の光景だったなと今でも記憶に残っている。
フェードアウトするように引退する鶴竜も、それらしいといえばそれらしいかもしれない。
何ヶ月か前に、プロ野球で4番を打った人の談話として、「4番を打つものの気持ちは、4番を打ったものにしかわからない」という内容のことが書いてあった。
まさに、そのとおりと思うし、横綱の気持ちも、横綱になった人にしかわからないものだと思う。
だから、安易に何か書くべきではないけも知れないけれど、横綱が休場の延長でフェードアウトするように引退っていかにも寂しい気がする。
相撲は、当たり前の話だけれど、相撲を取る人とお客さんがいて初めて成立する。
いくら相撲をとっても客がいなければ、そもそも興行が成立しない。
鶴竜がこんなふうに引退するのも鶴竜関の性格によるところも大きいと思うけれど、もう、ちょっと調子が落ちたりすると、ボロカスに叩いてしまう、今のファンとか世の中の風潮にも、横綱がこんな引退の仕方をしなければならない原因があるような気がしてならない。
もう少しファンも土俵を暖かい目で見るようにならないと、横綱も人の子、フェードアウトのような引退になってしまったりする可能性も高くなってしまうように思えてならない。
まあ、それは、さておき、鶴竜も引退して、時代は移っていくなと思う。
次の安定した横綱が誕生することを願っている。
やはり、横綱のいない土俵にはいちまつの寂しさがあるから、、、。